第73話 地下に入るなら、帰る時間も書け
【本文】
ユリウスが持ってきた木札は、昨日までの倍くらいあった。
朝飯の横に置かれている。
まただ。
「食卓に仕事を持ってくるなよ」
俺が言うと、ユリウスはスープを一口飲んでから答えた。
「仕事じゃない。地下へ入る人間の記録だ」
「もっと朝飯から遠ざかった」
ミオが木札を一枚取る。
上から順に、
名前。
入った時刻。
一緒に入った人。
持っていく物。
行く場所。
戻る予定。
六つ。
「多くない?」
俺が言う。
ユリウスはパンをちぎりながら、こっちを見もしない。
「昨日、お前が地下で動けなくなったとして、上にいた俺が知っていたのは『レンたち三人が下にいる』だけだ」
「場所はミオの地図が」
「地図はミオが持って下りた」
「……なるほど」
朝から一個負けた。
エダンが木札を覗く。
「持ってく物まで要る?」
「帰ってきた時に足りない物があれば分かる。逆に、地下から持ち出した物も分けられる」
「そこまでやる?」
俺が聞く。
ユリウスがやっと顔を上げた。
「地下が一部屋なら要らない」
昨日見たものを思い出す。
南北に続く通路。
赤い切石の閉塞。
黒い板みたいなもの。
一定間隔の穴。
一部屋ではない。
たぶん。
俺は木札を自分の前へ引いた。
「書けばいいんでしょ」
「字、読めるように書けよ」
隣からシンが言った。
いつ来た。
「俺の字、読めるし」
「昨日の『梁』、虫に見えた」
「似てないだろ!」
ミオが一度だけ木札を見た。
「……ちょっと似てた」
味方がいない。
地下入口には、昨日の立入禁止札がそのまま立っていた。
その横に小さな机。
シンが使っていた通行記録の机を、半分だけ地下用にしたらしい。
ユリウスが木札へ番号を振っている。
一。
二。
三。
「番号いる?」
「同じ名前がいた時に困る」
「レンが二人来たら?」
「片方帰す」
「何で」
「面倒だから」
こいつ、少しずつ人間らしい言い方を覚えてきた気がする。
今日の地下班は、俺、ミオ、エダン。
昨日と同じ。
ガランは肩がまだ上がらないので上。
ユリウスも上に残る。
俺が聞いた。
「ユリウスは来ないの?」
「記録する人間が全員地下へ入ってどうする」
正しい。
ちょっと悔しい。
セドリックも今日は上だ。
昨日、地下を見たがっていたのに、自分から言った。
「現状を理解していない者が一人増えても、安全には寄与しませんので」
役人っぽいけど、嫌いじゃない。
俺たちは木札へ書く。
行く場所。
《南側閉塞壁まで》
戻る予定。
昼の鐘より前。
ユリウスが確認する。
「途中で別の場所へ行くなら?」
「上へ戻って書き直す」
エダンが答えた。
「戻れなくなったら?」
ミオが聞く。
「予定を十五分過ぎたら、上から一回合図。返事がなければ、入口から決めた場所まで確認班を出す」
「十五分?」
俺が聞く。
「早すぎる?」
「いや。思ったより早いなって」
ユリウスが炭筆を置いた。
「地下で一時間待ってから探されたいなら伸ばす」
「十五分でいいです」
俺は素直に言った。
降りる。
昨日までと同じ縄。
同じ欠けた梁。
同じ四角い部屋。
ただ、今日は途中の壁へ小さな白線が増えている。
番号もある。
《一》
《二》
《三》
昨日の地図と対応していた。
俺が少し感心していると、ミオが言った。
「便利?」
「まあ」
「昨日、いらないって顔してたのに」
「顔で決めるな」
南側閉塞壁へ着く。
赤い石はそのまま。
開けない。
今日は、壁の右側。
昨日、一定間隔で見つけた小さな四角い穴を調べる。
六歩おき。
拳くらい。
一個目。
浅い。
二個目。
浅い。
三個目。
少し深い。
エダンが細い棒を差し込んだ。
「これだけ奥あるぞ」
「どれくらい?」
「棒一本入る」
ミオが糸を結んだ棒へ替える。
差す。
抜く。
糸が少し右へ引かれている。
風。
閉塞壁の向こう側から来る風と、向きが違う。
俺は壁へ耳をつけた。
冷たい。
何も聞こえない。
「横に空間ある?」
「候補」
ミオが先に言った。
分かってる。
穴の下。
石の継ぎ目。
よく見ると一枚だけ、周りより薄い板状の石がある。
俺が手を伸ばす。
エダンが手首を掴んだ。
「触る前に呼べ」
「まだ触ってない」
「触る顔だった」
顔で判断される日だ。
棒で端を押す。
動かない。
上。
下。
右。
左。
右下だけ、少し沈む。
石そのものが動いたんじゃない。
奥に空間がある感触。
ミオがしゃがんで、ランプを低くした。
「継ぎ目から風出てる」
俺も手を近づける。
確かに。
「外せる?」
エダンが石の周りを見る。
「これなら赤い壁よりは危なくなさそう。でも勝手に抜かん方がいい」
正しい。
俺たちは印だけつけた。
《薄板状》
《背面空隙候補》
《開口せず》
ここで終わるつもりだった。
少なくとも、木札にはそう書いた。
でも帰り道。
四角い部屋の手前で、ミオが止まった。
「レン。昨日の地図」
「持ってるのミオでしょ」
「そうじゃなくて、頭の中」
無茶を言う。
ミオは床へしゃがみ、指で線を描いた。
赤い閉塞壁。
今見つけた薄い板。
四角い部屋。
「この薄板の向こうが空いてるなら、閉塞壁の裏とつながる可能性ある」
エダンもしゃがむ。
「距離は?」
「十五歩ちょっと」
俺は通路の右壁を見る。
ただの石壁。
でも、風はある。
「開けなくても、向こうへ回れる?」
胸が速くなる。
ミオが俺を見る。
「可能性はある」
「戻って道具持って」
「今日は戻る」
「まだ鐘まで」
「戻る予定、書いたでしょ」
「昼前でしょ。まだ」
エダンが上を見る。
「でも調べ始めたら止まらんだろ」
二対一。
俺は通路の奥を見る。
薄板。
その向こうの空間。
行きたい。
ものすごく。
上から。
コン。
一回だけ音がした。
合図。
まだ十五分超過ではない。
帰還予定が近い時の確認音。
ユリウスだ。
エダンが笑った。
「上にも一人いたわ」
「分かってるよ」
俺たちは戻った。
入口から顔を出す。
ユリウスが砂器を見る。
「十二分前」
「まだ十二分あった」
「十二分しかない」
言い方。
木札を返す。
ユリウスは三枚。
一。
二。
三。
全部戻ったことを確認してから、裏返した。
《帰還》
一文字。
妙に気持ちいい。
俺がそれを見ている間に、街道の方から大きな音がした。
バキッ。
続いて、
「止めろ!」
シンの声。
俺たちが振り返る。
北から来た荷車の片側が傾いていた。
車軸じゃない。
積んでいた木箱が一つ崩れて、通路側へ滑っている。
旅人が二人、慌てて押さえている。
俺は反射で走ろうとした。
でもシンの方が早かった。
「引くな! 右の縄そのまま!」
荷車の前へ回る。
「後ろの二台、止まって! 人は壁側!」
エダンが作った通行板をひっくり返す。
《停止》
次に、近くにいた荷運びの男へ言う。
「木箱だけ先に下ろす。車輪触らない。傾いてる方へ人入れないで」
声は大きい。
でも慌てていない。
俺は入口の横で止まった。
行かなくていい。
シンが回している。
木箱を二つ下ろす。
荷車が戻る。
縄を締め直す。
十分くらい。
道が開く。
誰も怪我してない。
シンは最後に、落ちた木屑を足で端へ寄せた。
それからこっちを見る。
「何」
「いや」
「地下どうだった」
俺は薄板の話をする。
閉塞壁の裏へ回れるかもしれないこと。
シンは木箱の割れ目へ布を挟みながら聞いていた。
「じゃあ明日?」
「たぶん」
「なら今日の地下は終わり?」
「終わり」
口にしてから気づく。
前なら、まだ昼前なのに終わるのがもったいなかった。
今ももったいない。
でも。
今日の分は終わった。
ユリウスが横から言う。
「記録にそう書く」
「いちいち書くなよ」
「終わったことを書かない記録に何の意味がある」
また正しい。
腹立つ。
俺は木札の裏を見た。
三人入った。
三人戻った。
予定より十二分早い。
その下に、
《右壁薄板の背面に空隙候補。次回、非破壊確認》
とミオが書き足した。
明日の入口が、
もう一つできた。
第74話 開けないまま、向こうへ回った
【本文】
次の日。
ガランは、薄い鉄板を持ってきた。
鏡じゃない。
槌でもない。
先が少し曲がった、細長い板。
「何それ」
俺が聞くと、ガランは板を俺の鼻先から遠ざけた。
「お前に渡すとこじるから、俺が持つ」
「信用が」
「あると思ってたのか」
ないらしい。
薄板状の石は、昨日のままだった。
地下へ入るのは今日も三人。
俺。
ミオ。
エダン。
入口の木札も書いた。
《右壁薄板まで》
《開口確認のみ》
《昼の鐘より一刻前までに帰還》
ユリウスが読んでから言う。
「『確認のみ』の意味、分かってるか」
「見るだけ」
「外れたら?」
「勝手に入らない」
「奥が広かったら?」
「……勝手に入らない」
一拍あった。
ユリウスはそこだけ気に入らなかったらしい。
「エダン」
「俺が止める」
「ミオ」
「記録する」
「俺は?」
「止められる」
全員ひどい。
地下へ。
薄板の前。
今日はガランが入口側から縄越しに指示する。
肩が上がらないので降りない。
でも道具だけは全部選んだ。
鉄板を石の下へ差す。
俺じゃない。
エダンが。
少し押す。
砂が落ちる。
止める。
ガランの指示。
「右だけ。上は触るな」
もう一度。
石が、
コッ、
と一センチくらい奥へ入った。
外れるんじゃない。
押し込まれた。
そのまま下へ少し落ちる。
隙間。
黒い。
ミオがランプを近づける。
「空いてる」
俺は覗く。
幅は狭い。
人が横向きなら通れるかもしれない。
高さは胸くらい。
奥へ二メートルほど。
そこで右に曲がっている。
風が来る。
閉塞壁の向こうから感じたのと同じ、乾いた風。
胸が速くなる。
「入れる」
俺が言う。
エダンが即答した。
「今日は確認のみ」
「分かってる」
ミオが俺を見る。
「目が分かってない」
最近みんな顔を見る。
鏡を差す。
右へ曲がった先。
光が反射する。
石床。
壁。
さらに向こう。
赤い色。
俺は息を止めた。
閉塞壁の裏だ。
たぶん。
位置が合う。
ミオが距離を測る。
エダンが昨日の地図を見て言う。
「回ってるな」
「開けなくても行ける」
言った瞬間、嬉しくなる。
扉を壊さず。
赤い石も抜かず。
別の道で向こう側へ。
ゲームで隠し通路を見つけた時みたいだ。
でも今日は入らない。
本当に入らない。
俺たちは戻った。
上へ出て説明する。
ユリウスが最初に聞いた。
「入ったか?」
「入ってない」
「本当に?」
「三人とも」
エダンが証人みたいに頷く。
ミオも。
ユリウスは木札へ、
《未進入》
と書いた。
大きい。
疑いすぎ。
ガランは薄板の構造を聞いて、少し考えた。
「点検口みたいなもんかもしれんな」
「点検口?」
「人が普段通る道じゃない。裏へ回るための狭い穴」
「じゃあ入れる?」
「補強してからだ」
やっぱりそれ。
昼まで使って、入口の石を落ちないよう木枠で支えた。
人が通る部分だけ。
広げない。
上の石も触らない。
ガランが支えを二回叩く。
三回目で少し気に入らない顔をして、一本やり直した。
「違う?」
俺が聞く。
「気分が悪い」
「気分で?」
「こういう気分は大事だ」
職人の気分は信用した方がいい。
午後。
改めて木札を書く。
今度は行く場所が変わる。
《右壁点検口候補》
《閉塞壁背面まで》
《二人進入》
《エダンは入口待機》
《半刻以内》
二人。
俺とミオ。
エダンは狭い穴の手前に残る。
「何で俺残るの?」
「三人入って中で詰まったら困る」
ユリウスが答えた。
「レンじゃなく俺に説明するのやめろ」
エダンが苦笑する。
「いや、分かるからいい」
俺とミオは腰縄をつける。
一本じゃない。
それぞれ別。
入口側のエダンへつながる。
狭い。
横向き。
肩が石に当たる。
ミオの地図板は置いてきた。
小さい紙と炭筆だけ。
三歩。
四歩。
右へ曲がる。
床が少し下がる。
膝をつく。
冷たい。
「レン、止まって」
後ろからミオの声。
「何」
「蜘蛛の巣」
「それで?」
「顔についてる」
今言う?
手で払う。
糸が余計についた。
「取れた?」
「増えた」
最悪。
本筋に関係ない敵が一番しつこい。
さらに進む。
天井が上がる。
立てないけど、しゃがめる。
前。
赤い石。
背面。
昨日まで正面から見ていた閉塞壁を、今は裏から見ている。
変な感じだ。
石の積み方が違う。
表は平らだった。
裏は雑。
出っ張っている。
小さい石が隙間へ詰めてある。
木の楔みたいなものも、腐って残っている。
ミオが触らずに見る。
「こっち側から詰めた?」
「そう見える」
言い切らない。
俺も学習している。
赤い石のさらに向こう。
数歩先に、昨日鏡で見た黒い板。
近くで見ると、板というより壁だった。
黒い。
石じゃない。
金属かもしれない。
表面に細い線。
縦に何本も。
床との間は指二本くらい空いている。
右の壁と左の壁には、太い溝。
上にも。
ガランが言っていた戸袋。
本当に何かが動いていた場所に見える。
ミオが紙へ描く。
俺は床を見る。
二本の平行溝。
白嶺の古道で何度も見たものと似ている。
その溝が、黒い板の直前で止まっていた。
「ここまで何か来てた」
俺が言う。
ミオは少し考える。
「少なくとも、溝はここまで続いてた」
正しい。
板の向こうは見えない。
下の隙間へ鏡を入れる。
光。
反射。
向こうにも石床。
溝。
続いている。
俺の喉が鳴った。
「これ、向こうも道だ」
「床は続いてる」
また訂正された。
でも同じくらい嬉しい。
赤い石の閉塞。
その奥の黒い板。
二重。
何で二回塞ぐ?
俺が黒い板の端を見る。
触らない。
その横。
右壁に、人が一人通れそうな幅の窪みがある。
奥は暗い。
完全な通路かは分からない。
ミオがランプを向ける。
二メートル。
三メートル。
先が曲がっている。
「枝道?」
「候補」
「行く?」
ミオは腰の砂器を見る。
「残り十九分」
行ける。
十九分なら。
俺は一歩出しかける。
腰縄が少し張った。
後ろ。
エダンからの合図。
二回。
時間確認。
「……戻る」
自分から言った。
ミオが何も言わない。
「何」
「いや。ちゃんと戻るんだなって」
「俺を何だと思ってるんだよ」
「昨日までのレン」
その言い方、ユリウスにもされた。
帰る。
狭い穴。
蜘蛛の巣。
今度は避ける。
出口。
エダンが腰縄を受ける。
「早かったな」
「十九分残した」
「自慢する数字じゃないだろ」
上へ。
ユリウスが木札を確認する。
二人。
二人帰還。
エダンも待機終了。
「十八分前」
「十九分あった」
「上へ上がるのに一分使った」
細かい。
セドリックが図を見ている。
赤い閉塞。
黒い板。
さらに右側の窪み。
「二重に閉じられている可能性がある、と」
「可能性」
ミオが言う。
「黒い方が元から閉じる設備だったかも分からない。赤い石は後から詰めたようには見える」
ガランが絵を覗く。
「楔が裏にあるなら、赤い方はこっちから積んだ可能性高いな」
「何のために?」
俺が聞く。
誰も答えない。
それでいい。
たぶん。
その時、街道の方でまた声がした。
「板! 板持ってきて!」
シン。
昨日とは違う。
雨が降り始めていた。
短い強い雨。
入口近くの土が急に柔らかくなり、手押し車の車輪が沈んでいる。
シンが三人へ指示して、板を敷いていた。
俺たちは地下へ入っていた。
誰も呼びに来なかった。
事故になっていない。
必要な時だけ戻れの合図が来る。
俺がいなくても回っている。
少し変な気持ちだ。
嬉しいような。
置いていかれたような。
シンが泥だらけの板を持って俺の横を通る。
「何ぼーっとしてんの。そっち持って」
「俺、今地下から」
「知ってる。帰ってきたなら働けるだろ」
英雄より扱いが雑になっている。
板を持つ。
雨の中。
足元は泥。
地下には、二重に閉じられたかもしれない道。
その横に、まだ見ていない枝道。
俺は板を置きながら、そっちのことばかり考えていた。
開けなくても、
まだ進める。
第75話 塞いだ壁の横に、階段があった
【本文】
翌朝。
地下入口の前に、人が七人いた。
多い。
俺たちじゃない。
見物人。
南から来たプレイヤーが三人。
荷運びの男が二人。
商人が一人。
あと鍋屋のおばちゃん。
最後だけ見物なのか仕事なのか分からない。
シンが立入禁止札の横へ、もう一枚置いた。
《地下見学はできません》
文字が大きい。
昨日より大きい。
「誰か聞いた?」
俺が言う。
シンが炭筆を削りながら答える。
「朝だけで四人」
「早いな」
「掲示板に『二重扉』って出てる」
「扉って決まってない!」
「俺に言うな」
情報だけどんどん強くなる。
セドリックが少し離れたところで、その札を読んでいた。
「南側でも問い合わせが来ています」
「何て?」
「古代地下要塞を見学できるか、と」
「要塞!?」
昨日より三段くらい進んでいる。
ミオが地図袋を閉じながら言う。
「見てない人ほど名前つけるの早いね」
本当に。
ユリウスは見物人を数え、シンへ小声で何か言う。
シンが通行机を少し入口から離した。
地下を見る人と、街道を通る人が混ざらない位置。
もうそこまで考えている。
今日の目的は、昨日見た右側の窪み。
黒い板の横。
そこが通路なのか。
どこへ行くのか。
それだけ。
開けない。
黒い板も動かさない。
赤い石も触らない。
俺は木札へ自分で書いた。
ユリウスが読む。
「今日は素直だな」
「毎日成長してるから」
「昨日も同じこと言ってた」
言ってない気がする。
地下班。
俺。
ミオ。
エダン。
今日はガランも途中まで来る。
肩はまだ完全じゃないので、重い物は持たない。
黒い板の近くを見たいらしい。
「職人も気になるんじゃん」
俺が言うと、ガランは小槌を腰へ差した。
「お前と一緒にするな。俺は構造が気になる」
「同じじゃん」
「違う」
違いが分からない。
点検口候補を通るのは俺とミオ。
エダンとガランは手前。
昨日と同じように腰縄。
木札。
戻る時刻。
道具。
全部。
狭い穴を通る。
蜘蛛の巣は昨日俺が取ったので今日はない。
ちょっと勝った気がする。
閉塞壁の裏。
赤い石。
黒い板。
右側の窪み。
今日はそこへランプを向ける。
幅は一人分。
高さは普通に立てる。
三歩。
曲がる。
床が少し下がる。
石壁。
人工っぽい。
でも通路の幅が、今までより狭い。
荷車は無理。
人だけ。
ミオが壁を見る。
「削り方が違う」
「新しい?」
「そこまでは分からない。少なくとも本線と同じ作りじゃない」
少し進む。
六歩。
また小さな四角い穴。
昨日、本線に並んでいたものと同じくらい。
さらに六歩。
また。
「続いてる」
俺が言う。
ミオが数える。
「間隔も近い」
枝道じゃない。
何かのために同じ規則で作られている。
十数歩進んだところ。
左側が開いた。
小部屋。
入る。
床に石の台が三つ。
腰くらいの高さ。
壁には横長の溝。
鉄の欠片。
木だったものの黒い粉。
宝箱はない。
残念。
いや、探してないけど。
ミオが石台の上を見る。
「ここ、擦れてる」
表面だけ滑らか。
何かを置いていた?
分からない。
俺は壁の横長の溝へ近づく。
外側。
黒い板がある方向。
同じ高さに三本。
「これ、板を動かすやつ?」
「候補」
反射で返ってきた。
俺はもう気にしない。
床にも穴。
丸い。
太い柱か棒が入っていたような大きさ。
ガランが見たら喜びそうだ。
いや、職人だから構造が気になるだけだった。
奥へ。
小部屋の反対側にも出口がある。
そこから先は少し下り。
空気が冷たくなる。
水の音はない。
ランプの火は安定。
道は続く。
腰縄が張る。
長さの限界。
俺は止まった。
「ここまで」
自分で言う。
ミオが驚かない。
それがちょっと寂しい。
「印つけて戻ろう」
壁へ白い線。
《A》
名前をつけると用途を決めそうなので、ただの文字。
戻る。
途中、小部屋の石台をもう一度見る。
三つ。
同じ高さ。
壁の溝。
床の穴。
黒い板。
赤い詰め石。
どれも答えじゃない。
でも一個ずつ、誰かが作った理由がある。
点検口を出る。
ガランへ絵を見せる。
俺たちが見た順に。
横溝。
床穴。
石台。
ガランは一番最後の石台で止まった。
「これ、三つとも同じ?」
ミオが頷く。
「ほぼ」
「高さは?」
「腰より少し下」
「壁の溝と同じ位置?」
ミオは紙を見直す。
「近い」
ガランがしばらく黙る。
俺は待つ。
言わせたい。
でも待つ。
ガランは黒い板の絵を指で叩いた。
「板を人力で動かすなら、梃子か巻き上げの場所が要る」
「じゃああの部屋が?」
「かもしれん」
候補。
みんな感染している。
エダンが黒い板側を見た。
「つまり、閉じるための仕組み?」
ガランは首を傾けた。
「開けるためかもしれん。上げるのか下げるのかも分からん」
ミオが言う。
「でも、動かすための場所だった可能性は上がった」
黒い板。
ただの壁じゃない。
赤い石は、そのさらに手前を後から埋めた可能性が高い。
元から閉じられる場所を、
後でもう一度塞いだ。
何で。
答えはまだない。
俺は一度上へ戻る。
木札。
四人入った。
四人戻った。
途中待機を含めて全員。
ユリウスが確認する。
それからセドリックが聞いた。
「午後も調査を続けますか」
俺は答えようとして。
止まった。
昨日までなら、
「行く」
で終わっていた。
地下は面白い。
行きたい。
でも上には見物人が増えている。
荷車も来る。
地下の天井は、上の街道の床でもある。
俺が面白いから掘るだけでは、もう済まない。
「今日の安全なら、続けてもいいと思う」
俺は言った。
「ただ、俺だけで決めるのはやめよう」
セドリックが紙を構える。
「では誰が」
「毎日ここにいる人」
エダンを見る。
シンを見る。
ガラン。
ユリウス。
ミオ。
鍋屋のおばちゃんは、少し遠くで普通に鍋を混ぜている。
「全員は無理だけど、使ってる側から何人か。南と北も一人ずつ」
セドリックが聞く。
「レン殿は?」
「調べる側」
「決める側には入らない?」
完全に外れるのも違う。
俺は少し考えた。
「入ってもいい。でも一人で決めない」
口にすると、意外と普通だった。
何かを手放した感じもしない。
むしろ楽。
ユリウスが横で言う。
「暫定なら、今日決めるのは立入人数と通行止めの範囲だけでいい」
「そういうの得意だよね」
「お前が苦手すぎる」
「言い方」
結局、午後の調査は続ける。
地下三人。
地上構造二人。
入口記録一人。
役割だけ決めた。
永久の所有。
料金。
誰の土地か。
そこは決めない。
今日の安全だけ。
午後。
もう一度、右側通路。
今度は腰縄を少し長くした。
ただし長くした分、途中にエダンを置く。
声が届かない場所を作らない。
小部屋。
《A》
その先。
午前に止めた場所から進む。
下り。
十歩。
十五歩。
壁の作りがまた変わる。
石が大きい。
床は少し湿っている。
右へ曲がる。
そこで。
道がなくなった。
最初、崩れているのかと思った。
ランプを上げる。
違う。
床が終わっている。
四角い穴。
幅は二人分くらい。
下へ。
ランプを近づける。
石。
一段。
その下にも。
さらに下にも。
「階段」
俺が言った。
今度はミオも訂正しなかった。
階段だった。
地下の通路から、
さらに下へ降りる階段。
十段までは見える。
その先で曲がっている。
空気が上がってくる。
冷たい。
閉じた匂いじゃない。
もっと奥に空間がある。
俺は縁へしゃがむ。
ランプを下げる。
光が届かない。
胸が速い。
ものすごく。
「今日、行く?」
自分でも分かっていて聞いた。
ミオは砂器を見る。
戻る予定まで、まだある。
でも。
階段の幅。
曲がった先。
下の空間。
何も分からない。
ミオが俺を見る。
「入口まで戻って、行き先書き直すなら」
一瞬。
俺は笑った。
「それなら行けるんだ」
「今日行くとは言ってない」
そこ大事らしい。
俺たちは階段の最上段に白い印をつけた。
《B》
触らない。
降りない。
戻る。
狭い穴を抜ける。
上へ。
木札を返す。
ユリウスが帰還を確認する。
「全員?」
「全員」
「持ち物」
「全部」
「新しい場所は?」
俺はミオを見る。
ミオが地図を広げる。
黒い板。
横の通路。
小部屋A。
その先。
一本の線が下へ折れている。
《B 下り階段》
ユリウスがしばらく黙った。
セドリックも。
ガランは肩を吊ったまま身を乗り出す。
シンだけ、通行札を書きながら言った。
「また道増えた?」
俺は地図を見る。
地上の白嶺街道。
その下の古い通路。
さらに下へ降りる階段。
「……増えたかも」
シンがため息をついた。
「じゃあ木札、また増やす?」
ユリウスが答える。
「増やす」
二人とも普通だ。
俺だけ、もう階段の先を考えていた。
白嶺は、
下にも続いていた。




