第4話 四人で帰る
「触るな!」
土の向こうから声が飛んできた。
「上が落ちる!」
俺は土砂へ置きかけた手を引いた。
一拍遅れて、ぱらぱらと砂が落ちる。
入口の上に走った亀裂からだった。
エダンが膝をついたまま叫ぶ。
「兄貴、怪我は!」
「右足。たぶん捻っただけだ。動かせる」
声は近い。
でも、土一枚向こうにいる近さが逆に嫌だった。
見えていれば手を伸ばせる。
見えないと、どこまで掘っていいのか分からない。
ミオは入口を見ず、斜面を見上げていた。
「ここを掘ったら、上の土も来る」
「じゃあ上を止める?」
「何で?」
「……気合い?」
「帰る?」
「ごめん」
エダンは笑わなかった。
今はそれでいい。
俺たちは入口から一度離れた。
土砂をどかせば助けられる。
その土砂をどかすと、もっと落ちる。
ゲームなら、こういう時に《救助》とか《採掘》とか、便利な表示が出ると思っていた。
何も出ない。
目の前には泥と石と根っこしかなかった。
「中、どんな感じ?」
ミオが土の向こうへ聞く。
「窯の半分は空いてる。入口側だけ埋まった」
「出口、ほかにない?」
「人が通れるのはここだけ」
少し間があった。
「煙抜きなら後ろにある」
エダンが立ち上がった。
「裏、回れる」
俺たちは窯の横を回った。
丸い石積みの屋根は土に半分埋まっている。苔が厚く、木の根が上を押さえていた。
後ろ側の地面近くに、拳二つ分くらいの黒い穴があった。
「小さ」
「煙の穴だから」
エダンが言う。
穴の向こうから兄の声がした。
「聞こえるぞ」
「元気そう」
「うるさい」
エダンが初めて少し笑った。
俺は穴へ手を突っ込んでみた。
肘で止まる。
当然、人は通れない。
穴の周りは土ではなく石だった。
一個ずつ積まれている。
「これ外したら?」
「窯ごと崩れない?」
ミオが聞く。
「分からん」
「分からないなら外さない」
正しい。
でも、それで終わるのも困る。
エダンが石積みを触って回った。
「ここ、後から埋めたとこかも」
「分かる?」
「石が違う」
俺には全部同じ灰色に見える。
エダンは二つ並んだ石を叩いた。
片方は鈍い音。
もう片方は少し高い。
「こっちは窯の壁。こっちは煙道を塞いだ石」
「外せる?」
「たぶん」
ミオが俺を見る。
「今の“たぶん”は?」
「俺に聞くなよ」
「基準が増えてきた」
こんな時でも、そこだけは気になるらしい。
エダンが最初の石へ指をかけた。
動かない。
俺も横から押す。
動かない。
二人でやる。
まだ動かない。
「道具」
ミオが言った。
「あった」
横倒しになった炭車まで戻る。
外れた車輪。
折れていない車軸。
炭袋の下に、短い鉄の棒も転がっていた。
俺は車軸を持ち上げた。
重い。
でも、持てる。
昨日なら腕だけで持ち上げていた気がする。
今は腰を落とす。
身体が勝手に少しだけ良い位置へ寄ろうとする。
その補助に全部任せず、足の場所だけ自分でずらした。
急に軽くなった。
「今の何?」
エダンが聞いた。
「分からん」
「分からないこと多くない?」
「今日始めたゲームだからな」
「ゲーム?」
一瞬、空気が止まった。
そうだった。
エダンにとって、ここはゲームじゃない。
「……いや、こっちの話」
エダンは何か聞きたそうだった。
でも、今は兄を出す方が先だった。
車軸を石の隙間へ入れる。
俺が押す。
エダンも押す。
石が少し浮いた。
「待って」
ミオが止める。
「上、変わった?」
三人で窯を見る。
何も落ちない。
もう一度。
少しずつ。
石が抜けた。
穴が広がる。
冷たい空気が中へ入っていった。
「兄貴!」
「いる」
「見える?」
穴の奥で何かが動いた。
目だった。
「気持ち悪」
「助けに来た弟に最初に言うことかよ!」
声が戻ってきた。
それだけでエダンの肩が下がった。
二個目の石は簡単に外れた。
三個目はやめた。
ミオが壁の上に細い亀裂を見つけたからだ。
「ここまで」
「まだ人は通れない」
俺が言う。
「人を通す穴じゃなくていい」
ミオは外した石の向こうを覗いた。
「中から入口を支えられない?」
兄が返事をするまで少し時間がかかった。
「木ならある」
「何の?」
「炭棚。古いけど」
そこからは、変な作業になった。
俺たちは煙道からロープを入れる。
兄が中で受け取る。
ロープの先に炭車の板を結ぶ。
板を一枚ずつ、中へ引き込む。
何度か引っかかった。
二枚目は途中で結び目が外れた。
板が中へ落ちる音がした。
「痛っ」
全員止まる。
「当たった!?」
エダンが叫ぶ。
「足じゃない。頭」
「もっとダメだろ!」
「軽い板だ!」
「先に言って!」
俺はロープの結び目を見た。
「これ、俺?」
ミオが無言で俺を見た。
俺だった。
三回目はミオが結んだ。
一度で通った。
何も言わなかった。
言わない方が腹立つ時もある。
中で板を斜めに立て、入口側の崩れを押さえる。
一本。
二本。
兄の声がだんだん近くなる。
「少しなら掘れる」
今度は入口側へ戻った。
俺が土をかく。
エダンが石を運ぶ。
ミオは上の亀裂を見ながら、触っていい場所だけ指す。
早くやりたい。
でも、早くやると危ない。
土を一掴みずつ減らす。
石を一個ずつ横へ置く。
一度だけ、レンガくらいの石が落ちてきた。
身体が先に避けた。
俺の意思より半歩速い。
肩をかすめる。
痛い。
でも、面白いと思ってしまった。
今の避け方、もう一回――
「今はやめて」
ミオが言った。
「まだ何も」
「顔」
エダンまで言った。
二人に増えた。
最悪だ。
穴が膝の高さまで開いた。
中から手が出る。
土で真っ黒だった。
エダンが掴む。
「兄貴」
「引くな。足が痛い」
「ごめん」
「あと、臭い」
「助けに来た弟に言うことそれ?」
同じやり取りを返している。
たぶん、もう大丈夫だ。
最後は俺とエダンで両脇を支えた。
兄は右足を地面につけるたび顔をしかめたが、自分で歩けた。
外へ出たところで、土の上に座り込む。
しばらく誰も喋らなかった。
ミオが水を渡した。
兄は一口飲んで、最初に言った。
「炭車は?」
エダンが顔をしかめる。
「兄貴より先に壊れてた」
「車輪、直したばっかなんだぞ」
「今それ?」
俺は笑った。
ミオも少しだけ口元を曲げた。
兄が俺たちを見る。
「誰?」
「今?」
本当に今だった。
帰り道で、名前を交換した。
兄の右足は思ったより悪くなかった。
ただ、速くは歩けない。
来る時に使った根の斜面へ着く。
俺は上を見る。
ロープもある。
一人ずつなら通れる。
三人でも通れた。
四人目は片足を痛めている。
「別の道」
俺より先にミオが言った。
エダンもうなずいた。
兄が首を傾げる。
「そこ、近道だぞ」
「知ってる」
「なら――」
「今日は近道じゃない」
自分で言って、少し変な感じがした。
俺なら絶対、行ける方を選ぶと思っていた。
今は、全員で帰れる方が先だった。
遠回りして、細い轍を戻る。
途中で炭車の横を通った。
兄が止まった。
「車輪だけ持って帰れないか」
エダンが本気で怒った。
「歩け!」
「歩いてる!」
俺とミオは少し先へ行った。
兄弟喧嘩は放っておくのが正しい気がした。
村の煙が見えたのは、空が赤くなり始めた頃だった。
最初にこちらへ気づいたのは、昼の斧の男だった。
手を上げる。
後ろから何人か走ってくる。
エダンの兄は、急に背筋を伸ばした。
「普通に歩ける」
「さっきまで肩借りてたじゃん」
「村では歩ける」
分からなくもない。
三歩で顔が歪んだ。
エダンが無言で肩を貸した。
村へ入ると、女将が出てきた。
兄を見た。
右足を見た。
それから頭を一発叩いた。
「痛っ!」
「足じゃないからいいだろ」
「よくない!」
周りの大人が笑った。
誰かが水を持ってきた。
誰かが椅子を出した。
俺たちは急にやることがなくなった。
食堂へ戻る。
朝と同じ机。
ミオが地図を広げる。
泥だらけの線が一本増えている。
俺は豆煮込みを頼んだ。
「また?」
「今日は大盛り」
女将が器を置く。
「銅貨三枚」
「昨日二枚だったよね?」
「大盛り」
「一枚で倍にはならない?」
「ならない」
世界は厳しい。
食べ始めたところで、エダンの兄が足を引きずりながら入ってきた。
「寝てろよ」
「聞きたいことがある」
俺たちの向かいに座る。
ミオの地図を指した。
「お前ら、本当にこの線から来たのか」
「来た」
「町から?」
「うん」
兄はしばらく地図を見た。
嬉しそうでも、怖そうでもなかった。
ただ、分からない顔をしていた。
「俺が枝を払ったの、ここまでだぞ」
指が止まる。
今日、炭車が倒れていた分かれ道より少し手前。
俺たちが昨日歩いた道は、その先も町まで続いている。
「じゃあ、その先は?」
エダンが聞く。
兄は首を振った。
「知らん」
ミオの鉛筆が止まった。
俺は豆を一個、口に入れた。
さっきまで腹が減っていたのに、急に味が分からなくなる。
村から作られた道は、途中で終わっていた。
でも俺たちは、その続きを通ってきた。




