第3話 帰り道まで
「何時から?」
ミオが先に聞いた。
エダンは俺じゃなく、森の方を見た。
「朝。古い炭焼き小屋を見てくるって出た。昼には戻るって」
「一人?」
「兄貴はだいたい一人」
その答え方で、普段から止めても聞かない人なのだと分かった。
俺には少し親近感がある。
ミオにはなさそうだった。
「東へ行ったのは確か?」
「たぶん」
ミオが俺を見る。
「それ、さっき俺が怒られたやつ」
「今は怒ってない」
「今は?」
「急いでるから」
エダンが俺たちを交互に見た。
「仲いいの?」
「今日会った」
声が重なった。
エダンは一瞬だけ変な顔をしたが、笑わなかった。
それどころじゃない。
斧を持っていた男も来た。
「沢沿いは俺たちが見る。古い道には二人回す」
村の中でもう人が動き始めていた。
誰も、外から来た冒険者が全部解決するのを待ってはいない。
少し安心する。
男はミオの地図を指した。
「お前らが来た線は、こいつとエダンで見ろ」
「俺も行きます」
俺が言うと、男は短剣を見た。
次に俺の顔を見た。
「森は歩けるのか」
「今日一回、転びました」
「帰ってこい」
評価が早い。
ミオが地図を畳んだ。
「暗くなる」
さっきも聞いた。
俺が口を開く前に、彼女は続けた。
「だから行くなら、帰り道を作りながら」
同じ言葉なのに、意味が変わっていた。
今度は俺も何も言わなかった。
森へ戻る。
三人になると、同じ道が狭い。
先頭はエダンだった。
さっきまで町の話を聞いていた少年とは別人みたいに速い。
でも、速いだけじゃない。
曲がる前に足元を見る。
枝を一本持ち上げて、後ろの俺たちが通るまで押さえる。
小さな沢へ下りる前には、石を蹴って沈まないか確かめた。
「詳しいな」
「村の裏だぞ」
「俺、家の裏でもこんな歩き方できない」
「家の裏で何してたんだよ」
「ゴミ出し」
エダンは初めて少し笑った。
ミオは笑わず、地図に線を足していた。
昨日、俺たちが通った細い道へ出る。
地面の轍はまだ残っていた。
エダンがしゃがむ。
「あ」
「分かる?」
「これ、うちの炭車だ」
「炭車?」
「細い荷車。じいちゃんのやつ。兄貴が直して使ってた」
俺とミオは同時に轍を見る。
昨日から引っかかっていたものが、一つだけ落ちた。
「じゃあ、枝を切ったのも?」
エダンは近くの切り口を触った。
「たぶん兄貴」
「村の人、道はないって言ってたけど」
「道じゃないよ。炭焼きの跡を勝手につないでた。どこまで行けるか試すって」
「町までつながってた」
エダンが顔を上げた。
「町まで?」
「俺たちは来た」
その顔を見て、俺は少しだけ気分がよくなった。
昨日まで灰色だった場所で、村の誰かがこっち側から道を作っていた。
俺たちは反対側から入ってきた。
どっちも最後まで知らなかっただけだ。
「兄貴、やったじゃん」
エダンは喜ばなかった。
轍の先を見た。
「帰ってきてから言う」
その通りだった。
少し進むと、轍が二つに分かれた。
右は俺たちが昨日来た方。
左は、細い斜面へ上がっている。
ミオが地図を見比べる。
「こっちは昨日見てない」
「炭焼き小屋は左」
エダンが進もうとした。
「待って」
ミオが足元を指す。
左の轍だけ、途中で土が崩れている。
新しい。
その脇に、靴跡が一つ。
深い。
「重いもの持ってた?」
エダンがすぐ答える。
「たぶん炭袋。帰りに持ってくるって」
先へ行く。
空がだんだん暗くなる。
森の中は、外より先に夜になる。
俺の視界には何も表示されていない。
明るさ補正みたいな親切もないらしい。
「ゲームなんだから、暗視くらいくれてもいいのにな」
「松明持ってるでしょ」
「文明が手動すぎる」
ミオが一本渡してきた。
火をつける。
煙が全部、俺の顔へ来た。
「なんで」
「風」
「ゲームの嫌がらせじゃなく?」
「風」
二回言われた。
坂の上で、エダンが急に止まった。
手を横へ出す。
俺も止まる。
ミオも止まった。
前方の茂みが動いている。
低い音。
鼻を鳴らすみたいな音。
俺は短剣へ手をかけた。
エダンが小声で言った。
「猪」
「強い?」
「怒らせたら」
「倒せる?」
「なんで倒す前提なんだよ」
まっとうなことを言われた。
茂みから黒い背中が見えた。
大きい。
灰狼よりずっと重そうだ。
その後ろで、小さい影が二つ動いた。
「子連れ」
エダンの声がさらに小さくなる。
俺は短剣から手を離した。
「どうする」
「下がる」
「どこへ」
「さっきの分かれ道」
ミオが首を振った。
「戻ると時間かかる」
三人で黙る。
俺は斜面を見る。
猪のいる場所より上に、太い根が何本も出ている。
人なら通れそうだ。
炭車は無理。
兄貴も炭袋を持っていたなら、たぶん使っていない。
でも今の俺たちは三人だけだ。
「上、通れるかも」
ミオが先に俺を見る。
「跳ばないで」
「まだ何も言ってない」
「顔」
本当に分かりやすいらしい。
今度は跳ばなかった。
根へ片足をかける。
体重を乗せる。
身体が少しだけ前へ出たがる。
昨日なら、そのまま勢いで行っていた。
今日は一回止めた。
左手で枝をつかむ。
右足を一段上へ。
補助が、遅れて身体についてくる。
軽い。
「……これなら」
上からロープを下ろす。
ミオが登る。
次にエダン。
途中でエダンの足が滑った。
俺とミオでロープを引く。
泥が飛んだ。
ほとんど全部、俺に来た。
「ごめん」
「今のはゲームの嫌がらせでいい?」
「泥」
ミオが言った。
「知ってる」
下では猪がこっちを見ていた。
追ってはこない。
エダンが息を整えながら言った。
「兄貴なら、こんなとこ通らない」
「だろうな」
「じゃあ、今の何だったの」
ミオが聞く。
「近道」
「捜索で近道増やさないで」
正論だった。
でも地図には、しっかり線が増えていた。
斜面を降りると、また細い轍へ合流した。
そこで車輪の跡が急に深くなる。
一メートル。
二メートル。
その先で途切れていた。
炭車が横倒しになっていた。
片方の車輪が外れている。
エダンが走る。
「兄貴!」
返事はない。
炭袋が一つ破れて、黒い粉が土へ広がっている。
血は見えない。
俺はそれを確認して、少しだけ息を吐いた。
ミオは炭車の周りを回った。
「足跡」
「どっち?」
「一人。こっち」
斜面の下へ続いている。
途中で、右足だけ跡が深い。
「怪我してる?」
エダンが聞く。
「分からない。重いものを持っててもこうなる」
ミオは断定しなかった。
俺たちは足跡を追った。
十数メートル下ったところで、古い石積みが見えた。
丸い屋根。
半分、土に埋まっている。
「炭焼き窯」
エダンが言った。
入口の前に土砂が落ちていた。
新しい崩れ方だった。
エダンが駆け寄る。
「兄貴!」
何も返らない。
もう一度。
「兄貴!」
俺は土砂へ近づいた。
耳を澄ます。
風。
松明の火。
エダンの荒い息。
それから。
コン。
小さい音がした。
三人とも動かなかった。
もう一度。
コン。
土の向こうからだ。
エダンが膝をつく。
「兄貴!」
今度は、声が返った。
小さい。
でも、はっきり人の声だった。
「……エダン?」
エダンの顔が崩れた。
笑ったのか泣きそうなのか、分からない。
俺も息を吐いた。
生きている。
それだけで、森の暗さが少し薄くなった気がした。
土砂へ手をかける。
その向こうから、兄の声が飛んできた。
「触るな!」
俺の手が止まる。
「上が落ちる!」
ミオが松明を高くした。
入口の上。
根の切れた斜面。
亀裂が、暗い土の中を横へ走っていた。
エダンが俺を見る。
俺も見る。
見つけた。
次は、全員で帰る番だった。




