第2話 道がなくなった場所
「道は、ありました」
ミオが言った。
斧を持った男は、俺たちの顔より先に靴を見た。泥の色まで確かめるみたいに。
「東から来たって?」
「たぶん」
俺が答えると、ミオが横から言った。
「たぶんじゃない。東」
「地図が灰色なんだから、方角くらいしか自信ないだろ」
「方角には自信ある」
男は二人のやり取りを聞いても笑わなかった。
「来い」
村の端まで連れていかれた。
畑が終わるところで、地面まで終わっていた。
土が大きく抉れ、谷へ落ちている。根をむき出しにした木が途中で引っかかり、その下を濁った水が流れていた。
対岸には、道の続きらしい平らな地面が見える。
「前は、ここから町へ出られた」
男が言った。
「長雨で崩れた。それっきりだ」
俺は崖の縁から下を覗いた。
飛ぶには遠い。
降りるには急すぎる。
何より、荷車は絶対に無理だ。
「じゃあ、俺たちが通ったのはこれじゃないな」
ミオは返事をせず、腰の板を開いた。
さっきまで歩いた線。その終点に村。
男が指した昔の道は、もっと南にある。
二本はつながっていない。
「別の道」
ミオが短く言った。
「そんなもんは知らん」
「枝が切られてた。高さも揃ってた」
「細い車輪の跡もあった」
俺が足す。
男の目が止まった。
「車輪?」
それ以上は聞けなかった。
俺の腹が鳴ったからだ。
かなり大きく。
男がこっちを見る。
ミオも見る。
崖の下を流れる水だけが、何事もなかったように音を立てている。
「……今の、ゲームの音?」
ミオが聞いた。
「俺の腹」
「そう」
何か言え。
男はようやく少しだけ笑った。
「飯なら村で食える」
その言葉に、今までで一番強く反応した気がする。
村の真ん中に、宿屋なのか食堂なのか分からない大きな家があった。
入口には靴が並び、土間の奥では鍋から湯気が上がっている。
木の長机に座ると、女将らしい女が器を置いた。
「豆煮込み、銅貨二枚」
「泊まりは?」
「床で三枚。毛布を使うなら四枚」
「一枚で毛布?」
「夜に寒いって言うなら二枚」
「今決めます。毛布ください」
隣でミオが紙を広げ始めた。
「私は床だけでいい」
「寒くない?」
「地図乾かすから」
「寝ないの?」
返事がない。
もう机の半分を使っている。
俺の器を置く場所が少しずつ追いやられた。
「そこ、俺の飯の領土なんだけど」
「汁こぼさないで」
「取ってる側が言う?」
ミオは線を引いている。
豆と根菜と、何の肉か分からない肉の煮込みはうまかった。
森を歩いた後だからかもしれない。
二口目で、もう一杯食えると思った。
三口目で、腰の袋に入れた灰狼の牙が椅子に当たってカチンと鳴った。
「あ、それ」
向かいから声がした。
日に焼けた少年が、俺の顔ではなく腰の袋を見ている。
「灰狼?」
「たぶん」
「見せて」
「名前」
「え?」
「知らない人に牙だけ渡すの怖いだろ」
少年は少し考えた。
「エダン」
「レン」
「ミオ」
ミオが地図から顔を上げずに言った。
俺はそっちを見る。
「今回は聞かれる前に言ったな」
「うるさい」
昨日より一個だけ会話が進んだ。
牙を渡すと、エダンは窓の光へ透かした。
「小さい」
「返せ」
「でも欠けてない。売るなら銅貨五枚くらい」
「そんなする?」
「町ならもっとするかも」
そこでエダンの目が上がった。
「町って、でかい?」
俺とミオが同時に止まる。
「ここよりは」
「店、何軒ある?」
「数えてないな」
「武器屋は?」
「ある」
「冒険者は?」
「多い」
「どれくらい?」
「柵に引っかかるくらい」
ミオがようやく顔を上げた。
「それは一人」
エダンが笑った。
「何だそれ」
「初日の事故」
「事故じゃない。自分で越えた」
「もっと悪い」
エダンはしばらく笑っていた。
村へ入ってから、初めて普通の笑い声を聞いた気がした。
俺は残りの煮込みを食べる。
エダンはまだ町の話を聞きたそうだった。
「外って、何がある?」
「知らない」
「町から来たのに?」
「町の向こうは知らない」
「冒険者なのに?」
「今日なった」
エダンが真顔になる。
ミオの肩が少し揺れた。
「笑うところ?」
「別に」
絶対笑っている。
食べ終わって立つと、短剣の刃に小さな欠けがあるのを見つけた。
灰狼にやられたのかと思ったが、位置が変だった。
たぶん、木の根へ刺して足場にしたときだ。
裏の鍛冶場へ持っていく。
親父は刃を見て、俺を見る。
もう一回、刃を見る。
「何と戦った」
「灰狼」
刃の根元を爪で叩く。
「こっちは?」
「木」
「木の魔物か」
「普通の木」
炉の音だけになった。
「なんで剣で木と戦った」
「戦ってない。足場にした」
また炉の音だけになった。
後ろでミオが咳をした。
振り返ると、地図を見ていた。
顔は見えない。
絶対笑っている。
修理は銅貨六枚。
灰狼の牙を売れば、ほとんど戻ってくる。
少し迷って、売らなかった。
理由はない。
初日に倒した一匹目だから、なんとなく持っていたかった。
短剣を受け取る。
握った瞬間、昨日より少しだけ身体に馴染んだ気がした。
Lv2のせいなのか、単に俺が慣れただけなのか分からない。
鍛冶場の横に薪割り台があった。
俺は短剣を抜きかける。
「やめろ」
親父に言われた。
「まだ何もしてない」
「顔で分かる」
今日二回目だ。
そんなに分かりやすいのか、俺。
食堂へ戻る途中、ミオが村の端でしゃがんでいた。
土を見ている。
「また何か見つけた?」
「これ」
細い轍が一本。
森で見たものと同じくらいの幅だった。
村の荷車も近くに置いてある。
見比べると、そっちは車輪がもっと太い。
「同じじゃないな」
「うん」
轍は村の中から来ていた。
でも、古い崩落道へは向かわない。
家と家の間を抜けて、草むらで消えている。
ミオが短い線を地図に足した。
「どこから来たんだろうな」
「分からない」
「追う?」
ミオは少しだけ考えた。
「今日は追わない」
意外だった。
「なんで」
「暗くなる」
「まだ明るいけど」
「帰れるところまで含めたら暗くなる」
昨日と同じだ。
先へ行く俺と、帰る線まで見るミオ。
俺は草むらを見た。
行きたい。
でも腹はいっぱいで、短剣は直ったばかりで、寝床まで確保してある。
明日でもいいか、と少しだけ思った。
そのとき、後ろからエダンが来た。
さっきまで町の話を聞いていた顔ではなかった。
ミオの地図。
細い轍。
俺たちの泥のついた靴。
順番に見た。
「レン」
「何?」
「お前ら、東の森から来たんだよな」
「うん」
エダンは一度、唇を舐めた。
「……兄貴、見なかった?」




