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世界リセットなし。~死んだら別人生、それでも俺の歩いた道は残るVRMMO~  作者: ユミヒロ


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第49話 山の中で槌の音が返った

【本文】


翌朝、ガランは新しい帽子をかぶっていた。




前のより派手だった。




赤い布に、黄色い縁取り。




俺は見ないふりをした。




「何か言え」




「似合ってる」




「嘘つけ」




「じゃあ何で聞いたの」




ガランは帽子のつばを引っ張った。




「鍋屋の婆さんが勝手に買ってきた。地下で見つけやすい色にしろってよ」




後ろで鍋屋のおばちゃんが胸を張る。




「流されても見つかるでしょ」




「流す前提にするな」




朝から平和だった。




でも今日は、昨日より先へ行く。




水を戻した時に見つけた石床の通路。




ミオの地図では、昔の穴の崩れの向こう側に近い。




近いだけで、同じ道とはまだ決まっていない。




だから確認する。




入る前に、ミオが地図を地面へ広げた。




「今日は二組に分けたい」




俺はしゃがむ。




「地下と、本線?」




「うん。レン、エダン、私、ユリウスは昨日の石床側。ガランさんとエダンのお兄さんは昔の穴の崩れ手前。音が通るか試す」




ガランが槌を肩へ乗せた。




「俺はそっちの方がいい。虫より石の相手が楽だ」




兄が小さな板を持ち上げる。




「叩く回数は?」




ユリウスが答える。




「一回、間を置いて二回。向こうで聞こえたら同じように返す」




俺は横から口を挟んだ。




「三回じゃ駄目?」




「三回は地下から戻れの合図に使ってる」




「ああ、そっか」




エダンが笑う。




「増えすぎてレンが先に混乱しそうだな」




「俺、けっこう覚えてるよ」




ミオが俺を見た。




「じゃあ、鈴一回は?」




「暇」




「二回」




「注意」




「三回」




「戻る」




「槌、一回二回」




「……何だっけ」




全員が笑った。




仕方ない。




似てる。




シンは今日も入口の木札係だった。




俺たちの名前を書きながら、顔を上げる。




「俺、槌の合図も書いとこうか?」




「お願い」




俺が即答すると、シンが木札の端に小さく書いた。




《槌 1→2 返事も1→2》




「助かる」




「死んで覚えた。頭で覚えるより書いた方がいいことある」




軽く言った。




誰も変に黙らなかった。




ユリウスだけが、木札の位置を入口から少し離した。




「ここだと泥跳ねる」




「そこ?」




「字が消えたら困る」




シンは木札を移した。




「じゃあここ」




それで終わった。




地下へ入る。




昨日できた流れは落ち着いていた。




水場も戻っている。




虫の足跡は、前より少ない。




完全にいなくなったわけじゃない。




灰の上に、新しい跡が二本。




でも本線まで出てきてはいない。




石床の通路へ入る。




二本の平行溝。




壁はところどころ崩れている。




天井は、今の白嶺街道よりずっと高い。




俺はランプを前へ出した。




昨日は入口から十数メートルで戻った。




今日は先へ。




三十メートル。




四十。




通路が緩く右へ曲がる。




そこでミオが止まった。




「ちょっと待って」




地図を出す。




歩いた距離。




曲がり。




高度。




昨日までの線へ重ねる。




「たぶん、崩れの南側」




俺の胸が跳ねる。




「じゃあ音やろう」




ユリウスが俺の肩を掴んだ。




「まず全員止まってから」




「止まってるよ」




「レンの足だけ前向いてる」




足を見る。




確かに。




一歩出る気満々だった。




エダンが槍の石突きを床へ置いた。




「じゃあ俺が叩く?」




「槌じゃないと向こうが分からなくない?」




ミオが言う。




俺たちは少し考えた。




ユリウスが持っていた小さな鉄杭を出した。




「これを石へ当てて、槍の柄で叩けば音は出る」




「準備いいな」




「ガランが持たせた」




「本人より準備いい」




エダンが鉄杭を壁へ当てる。




一回。




カン。




間。




二回。




カン、カン。




静かになる。




水の音。




遠くの滴。




誰も喋らない。




何も返らない。




俺は息を吐きかけた。




その時。




ゴン。




遠い。




石の向こう。




少し間が空く。




ゴン、ゴン。




鳥肌が立った。




「聞こえた」




俺が言うと、ミオがすぐ口元へ指を当てた。




「もう一回」




同じ合図。




返る。




一回。




二回。




場所は、正面より少し左。




エダンが壁へ耳を近づける。




「かなり近いぞ」




ユリウスは距離を数えていた。




「崩れの厚み、思ったより短いかも」




ミオが地図へ小さな点を打つ。




「これで、同じ道の反対側にいる可能性はかなり上がった。でも石床が本当に連続していたかはまだ分からない」




俺は笑った。




「その言い方にも慣れてきた」




「いいことです」




「先生みたい」




「生徒が勝手に壁へ入ろうとするからね」




エダンが横で吹き出した。




本線の崩れの裏側。




そこまで来た。




でも、今日はそれだけじゃ終わらなかった。




通路の左壁。




槌の音を探している時、風が当たった。




細い隙間。




高さは膝くらい。




昨日までの虫穴とは違う。




空気が乾いている。




俺がしゃがむ。




ミオが何も言わない。




たぶん、もう「顔入れない」は言い飽きたらしい。




鉤棒を入れる。




二メートル。




三メートル。




奥で何かに当たる。




硬い。




カン。




「石」




エダンが隙間の周りを照らす。




「こっち、縁が四角い」




土を払う。




小さな開口。




人が作ったのかは、まだ分からない。




でも形は妙に真っすぐだった。




ユリウスが聞く。




「入る?」




俺が即答する前に、自分で止まった。




時間を見る。




まだある。




入口は一つ。




狭い。




虫の跡はない。




「一人だけ見る。縄つけて、五メートルまで」




自分で言った。




ユリウスの眉が少し動いた。




「俺が言おうと思ってた」




「先に言った」




「だから何だ」




ちょっと嬉しい。




入るのは俺になった。




身体を横にして滑り込む。




最初の二メートルは土。




その先で急に広がる。




四つん這いから膝立ち。




ランプを上げる。




部屋だった。




小さい。




六畳くらい。




壁は石。




床に、灰色の殻が積もっている。




虫だ。




でも動いていない。




抜け殻。




たぶん。




俺は縄を一度引く。




問題なしの合図。




足元を見る。




青いものがあった。




前に床下の蓋から見えた、丸い青い何か。




同じ色。




今度は近い。




手のひらより少し大きい。




石みたいに硬そうで、表面に細かな穴がある。




一個じゃない。




三つ。




五つ。




壁際に並んでいる。




俺は触らない。




そこまで学んだ。




代わりにランプを近づける。




薄い青の中を、何かが動いた気がした。




俺は固まった。




もう一度見る。




動かない。




見間違いかもしれない。




でも。




殻の山の奥。




カリ。




音がした。




一回だけ。




俺はすぐ戻った。




狭い穴から顔を出す。




「何かいた?」




エダンが聞く。




「抜け殻いっぱい。青い丸いのもある。あと一回だけ音」




ミオが地図へ印を置く。




「今日は入らないね」




「うん」




自分で言った。




その返事に、俺自身が少し驚いた。




本線へ戻る。




槌で最後にもう一度合図。




返事が来る。




一回。




二回。




今度は、ちょっと近く感じた。




外へ出ると、ガランが新しい帽子を指で押さえながら待っていた。




「聞こえたか」




「三回」




「こっちもだ」




「崩れ、どれくらい?」




ガランは地面へ簡単な断面を描いた。




「向こう側まで行けるなら、正面から全部崩すよりずっと楽だ。両側から見られる。支えも入れられる」




俺は地面の線を見る。




崩れ。




北。




南。




その下を回って、俺たちは反対側へ行った。




今まで壁だったものが、急に厚みのある障害に変わった。




厚みが分かるなら、攻略できる気がする。




ミオが地図を畳んだ。




「まだもう一つあるよ」




「何?」




「レンが見た部屋。虫の抜け殻」




忘れてたわけじゃない。




ちょっと後回しにしたかった。




エダンが笑う。




「先にそっちだろうな。崩れ開けて虫まで通りやすくしたら最悪だ」




ユリウスも頷く。




「道を開ける前に、道の横を片付ける」




俺は白嶺を見る。




あと少しで崩れを越えられると思ったのに、横からまた問題が出てきた。




でも不思議と嫌じゃない。




道って、たぶんそういうものだ。




真っすぐ進みたい時ほど、横を見ることになる。


第50話 虫を全部倒す必要はなかった

【本文】


青い丸いものは、卵じゃなかった。




少なくとも、ミオはそう言った。




「卵じゃない、とは言い切れないけど、昨日レンが見た『中が動いた』は水だった可能性が高い」




朝。




入口の屋根の下。




昨日持ち帰った――もちろん青い丸いものじゃない――抜け殻の欠片を、薬師がひっくり返していた。




丸い青い塊は持ってきていない。




写真もない世界なので、俺が絵を描いた。




ひどい絵だった。




ミオが描き直した。




もっとひどくはなかった。




「表面に穴。青い。丸い。壁際に複数。近くに抜け殻」




薬師は絵を見ながら首を傾げる。




「青泥石じゃないかね」




「何それ」




「水を含む石。乾くと色が薄くなる。湿地でたまに見る」




「じゃあ虫の卵じゃない?」




「知らんよ。虫がそこへ卵を産んでるかもしれない」




結局、分からない。




それでよかった。




今日の目的は、正体当てじゃない。




虫があの部屋をどう使っているかを見る。




そして、昔の穴を開けた時に虫まで本線へ流れ込まないようにする。




ユリウスが木札へ三つ書いた。




《倒す》


《塞ぐ》


《分ける》




俺は三つ目を指した。




「これ?」




「候補。全部倒す必要があるか分からない」




エダンが槍を磨きながら言った。




「虫、俺ら見たら襲ってくるけど、ずっと追っては来ないよな」




「水も避けてた」




俺が言う。




ミオが昨日の地図を開く。




「巣っぽい部屋は本線の左。虫の自然洞穴は下。水はさらに下流へ流れてる。もし本線との間だけ切れれば……」




ガランが鼻を鳴らした。




「言うのは簡単だ」




「だから見に行く」




俺が立つ。




ガランが赤い帽子をかぶる。




「俺も行く。石触るなら勝手に触るな」




「帽子、今日も派手だね」




「地下で見失うなよ」




「帽子を?」




「俺をだ!」




今日、中へ入るのは五人。




俺、ミオ、エダン、ユリウス、ガラン。




シンは入口。




ボルクが地下の中継。




エダンの兄は本線側。




人数は多い。




でも一か所に固まらない。




昨日までの失敗から、役目を分ける。




地下の石床通路。




崩れ裏。




小部屋の入口。




まず俺が昨日と同じ五メートルまで入る。




音なし。




次にエダン。




二人で部屋へ。




ランプを増やす。




明るくなると、昨日より分かった。




抜け殻は確かに多い。




でも床全面じゃない。




奥の壁際に偏っている。




青い丸い石も同じ場所。




エダンがしゃがむ。




「湿ってる」




壁から水が滲んでいる。




ほんの少し。




青い石の表面を伝って、床へ落ちていた。




俺は触らない。




エダンも触らない。




成長している。




ミオとユリウスが入る。




最後にガラン。




五人入ると、さすがに狭い。




「二人出よう」




ミオが言う前に、ユリウスが自分から外へ戻った。




「入口見る」




ガランも続く。




「俺は石の外見る」




部屋に残るのは俺、ミオ、エダン。




「これくらいが楽だな」




エダンが肩を回した。




その時。




奥の抜け殻が動いた。




俺は短剣へ手をやる。




一匹。




灰色の虫。




殻の下から出てくる。




でも襲ってこない。




青い石へ近づく。




口元をつける。




「水飲んでる?」




俺が小声で言う。




ミオは答えない。




見ている。




虫は石の表面にたまった水をなめていた。




しばらくして、抜け殻の山へ戻る。




「巣じゃなくて、水場?」




エダンが言う。




「両方かもしれない」




ミオがようやく答えた。




俺はちょっと笑った。




「それ便利だな」




「便利だから使ってるの」




部屋の奥を照らす。




抜け殻の山の後ろに、細い穴。




虫が入っていった。




人は無理。




でも自然洞穴の方角に近い。




つまり、この部屋は虫の本拠地じゃないかもしれない。




地下の虫道と本線の間にある、水飲み場。




俺たちが本線を開けると、ここを経由して虫が上へ出る。




なら。




「ここ塞げばいい?」




俺が小部屋の入口を見る。




エダンは首を振る。




「虫が水飲めなくなる」




「じゃあ、俺らの道だけ塞ぐ?」




ミオが立ち上がった。




「それが『分ける』かな」




外へ戻る。




ガランへ説明する。




本線と小部屋の間。




人は通らなくていい。




虫は地下側から水場へ来られればいい。




ガランは石壁を見た。




「完全に塞ぐのは嫌だな。水がどこ通ってるか分からん。空気も」




ユリウスが聞く。




「じゃあ柵?」




「石で腰壁。上は鉄格子……鉄はもったいない。太い木格子だな。虫の頭が通らない間隔」




俺は虫の大きさを手で示した。




「これくらい」




「お前の手幅、信用ならん。測れ」




ユリウスがすでに紐を出していた。




「昨日の死骸の幅、測った」




ガランが初めて少し感心した顔をした。




「お前、役所みたいな顔してるけど現場向きだな」




「褒められてる?」




「半分」




俺は吹き出した。




ユリウスがこっちを見る。




「何だ」




「昨日から半分が流行ってる」




「知らん」




木格子を作るのに半日かかった。




入口の外にいた鍛冶屋まで参加した。




鉄の釘を四本だけ使う。




貴重だから、それ以上は嫌だと言われた。




ガランは石へ浅い溝を作り、木を噛ませる。




外せるようにする。




永久にはしない。




「虫がもっとでかくなったら?」




俺が聞く。




「その時直す」




「腐ったら?」




「直す」




「誰が?」




ガランの手が止まった。




全員も止まった。




ユリウスだけ、すぐ答えた。




「決める必要がある」




俺はちょっと嫌な予感がした。




ミオも同じだったらしい。




「それ、今日やる話?」




「今日は格子作る」




ユリウスは木を押さえ直した。




「でも誰かが直す話は消えない」




面倒くさい。




道を作るって、こういう話が後からずっとついてくる。




午後。




格子を仮設した。




でも本当に虫が通れないか分からない。




試す。




小部屋の奥へ、昨日見つけた抜け殻を少し寄せる。




青い石の水はそのまま。




人間側には何も置かない。




俺たちは本線側で待つ。




十五分。




何も来ない。




二十分。




カリ。




一匹。




小部屋へ出てくる。




水を飲む。




戻る。




格子へは来ない。




さらに一匹。




同じ。




「人がいないと、こっち来ない?」




俺が言う。




ミオが小声で返す。




「可能性はある。今まで私たちが近づいたから襲ってたのかも」




「じゃあ悪いの俺ら?」




「そこまで言ってない」




エダンが槍を下げた。




「道に出なきゃ、わざわざ殺す必要ないな」




俺も短剣をしまう。




それが、思ったより気持ちよかった。




攻略って、全部倒すことだと思ってたわけじゃない。




でもゲームを始めた頃なら、敵がいたら倒す方が分かりやすかった。




今は違う。




通りたい道があって。




虫には虫の道がある。




重ならなければ、それでいい。




夕方。




次は崩れだ。




ガランが北側。




俺たちは南側。




両側から状態を見る。




槌の音がもう一度返る。




一回。




二回。




場所をずらす。




また返す。




崩れの中で、どこが厚くて、どこが薄いかを音で探る。




途中でエダンが言った。




「これ、穴の中で壁と会話してるみたいだな」




俺は笑う。




「向こうにガランいるけどね」




三回目。




俺たちの左側。




返事が、かなり大きかった。




ゴン。




ゴン、ゴン。




ミオが地図へ丸をつける。




「ここが一番薄い」




ユリウスが壁の高さを測る。




「人なら抜ける穴を先に作れるかも」




「荷車じゃなくて?」




俺が聞く。




「最初から荷車幅を抜いて崩れたら全部終わる。人が抜ける。反対側から支える。それから広げる」




ガランが向こう側から怒鳴った。




声は聞こえない。




でも槌が四回鳴った。




決めてない合図だ。




俺たちは顔を見合わせた。




「何?」




エダンが聞く。




ユリウスが首を振る。




ミオも分からない。




もう一度。




四回。




俺は壁へ近づいた。




「ガランー!」




聞こえるわけない。




返事は槌。




四回。




仕方ないので戻った。




外へ回る。




北側の崩れ前へ行く。




ガランが腕を組んでいた。




「遅い」




「四回って何!」




「腹減った」




俺はしばらく何も言えなかった。




エダンが壁へ手をついて笑い始めた。




ミオはしゃがんだ。




ユリウスだけ真顔だった。




「合図増やすなら事前に決めて」




「今決めた。四回は飯」




「採用しない」




ガランが赤い帽子を脱いで、ぱたぱた扇いだ。




道を作るのは大変だ。




虫より、人間の方が勝手かもしれない。




でも翌朝。




俺たちは本当に、崩れへ人一人分の穴を開ける準備を始めた。


第51話 荷車が白嶺を抜けた日

【本文】


崩れに最初の穴が開いた時、俺は向こう側のガランと目が合った。




穴の大きさは、顔一個分。




「いた」




俺が言う。




「そりゃいるわ」




向こうから返ってくる。




声が普通に聞こえた。




それだけで、妙に感動した。




昨日まで槌でしか話せなかった相手が、石の向こうにいる。




エダンが俺の後ろから顔を出そうとする。




「見せろよ」




「狭い」




「レンの頭が邪魔」




「順番」




ミオが後ろから言った。




「二人とも、穴広げる前に塞がないで」




ユリウスは笑っていない。




穴の縁を見ている。




「上、まだ細かい石落ちてる」




俺はすぐ下がった。




ガランの声。




「そういうとこだけ素直になったな」




「最近ね」




「最近じゃ遅い」




人一人分の穴を開けるのに、一日かかった。




荷車が通る幅になるまで、さらに三日。




俺は、その三日を嫌いじゃなかった。




むしろ面白かった。




初日は石を一個外すたびに止まった。




二日目は木の支えを入れた。




三日目は、北側と南側で高さが微妙に違うことが分かって床を削った。




全部、派手じゃない。




でも昨日より一歩だけ進む。




そのたびに、道の形が変わる。




入口側でも変化が起きていた。




鍋屋の屋根が二倍になった。




隣に靴直しの台。




その隣に縄屋。




水桶の奥には、小さな倉庫までできた。




誰が建てたのか聞いたら、三人が別々に「俺」と言った。




土地の境目も決めていないのに。




「これ、喧嘩にならない?」




俺が聞くと、エダンの兄が木材を抱えたまま答えた。




「もうなってる」




「なってるんだ」




「鍋屋が屋根の水落ちるって怒ってる」




見る。




本当に怒っていた。




白嶺の未来より、雨樋の方が今は大事らしい。




それも好きだった。




地下の虫は、木格子を越えてこなかった。




少なくとも三日間は。




小部屋の青い石の水も残っている。




虫はそっちを使う。




俺たちは本線を使う。




完全な安全じゃない。




だから格子の前には札を置いた。




《開けるな》




その下にシンが勝手に一行足した。




《虫も開けてほしくないと思います》




ユリウスが消そうとした。




鍋屋のおばちゃんが止めた。




「こっちの方が読むよ」




結局、残った。




四日目の朝。




ガランが槌を置いた。




「小さい荷車なら行ける」




俺は聞き返した。




「白嶺の向こうまで?」




「今の古道区間はな」




「その先は?」




ミオが地図を開く。




昔の穴の北口。




今回開けた崩れ。




石床の通路。




地下から見つけた迂回線。




さらに南。




三日前、崩れを抜いたあとに初めて歩いた続きを、俺たちは毎日少しずつ確認していた。




石床は南へ続いていた。




途中で一度、自然洞穴へ変わる。




また石床に戻る。




そして昨日。




今まで使っていた白嶺街道の南側、水路より手前の大空間へ出た。




壁の裏だった。




最初は土に埋まった細い割れ目だった。




外側からエダンの兄が叩き、内側からガランが叩き、位置を合わせた。




そこにも古い石枠があった。




南側の入口だったのか、途中の出入口だったのかは分からない。




用途はまだ決めない。




でもそこを開けば、今までの一番狭い泥穴と、二メートルの岩棚を通らずに済む。




昨日、俺たちは人だけで北から南へ通り抜けた。




今日は荷車。




「荷車って言っても、あれだぞ」




ガランが指差した。




二輪。




細い。




村で薪や樽を運ぶ、小さなやつ。




馬が引く大きな荷馬車じゃない。




俺はちょっとだけ肩を落とした。




「もっとでかいやつ想像してた」




「欲張るな。最初は空荷だ」




「荷物もないの?」




「通るか分からん道に大事な荷積む馬鹿いるか」




正しい。




でも寂しい。




鍋屋のおばちゃんが横から袋を一つ投げた。




俺が受け取る。




玉ねぎ。




「これ載せな」




「大事じゃない?」




「一袋くらいなら」




ガランが嫌な顔をする。




「空荷って言っただろ」




「玉ねぎで壊れる道なら先に壊しといた方がいいよ」




ガランが黙った。




強い。




結局、玉ねぎ一袋を載せた。




あと縄。




修理道具。




合計しても人一人より軽い。




荷車を引くのはエダン。




押すのは俺。




前をミオ。




ユリウスは後ろ。




ガランは崩れ区間。




各区間に一人ずつ人が立つ。




シンは北口の木札。




「荷車にも名前書く?」




俺が聞くと、シンが炭筆を回した。




「書くなら何号?」




ユリウスが口を開きかける。




俺は先に言った。




「一号」




「番号いる?」




ミオが笑う。




「一台しかないよ」




ユリウスが少しむっとする。




「増えた時に困る」




「もう増える前提なんだ」




俺が言うと、ユリウスは荷車を見た。




「通ればね」




シンは木札に書いた。




《荷車一号 玉ねぎ》




玉ねぎが正式名称みたいになった。




北口から入る。




最初の石床。




車輪が平行溝へ落ちそうになる。




エダンが少し左へ寄せる。




「溝に乗せない方が楽だな」




「昔何が通ったんだろうね」




俺が言う。




ミオが前から返す。




「今は玉ねぎが通ってる。それで十分」




その通りだった。




崩れ区間。




ここが一番怖い。




新しい木支え。




削った床。




天井はまだ低い。




荷車の上へ積むなら高さ制限がいる。




今日は玉ねぎだけ。




俺たちは止まる。




ガランが支えを一つずつ見る。




「行け」




エダンが引く。




俺が押す。




車輪が石の継ぎ目へ当たる。




ゴン。




全員止まる。




「壊れた?」




「車輪は大丈夫」




俺がしゃがむ。




床石の角。




少し高い。




板を一枚置く。




乗せる。




越える。




たった十センチの段差で、荷車は止まる。




人なら気にもしない。




道を作る相手が変わると、世界の見え方も変わる。




地下水の分岐。




木格子。




今日は虫の音なし。




新しく開けた南側通路。




途中、天井から水滴。




玉ねぎの袋へ一滴落ちた。




「記念の水だな」




俺が言う。




エダンが振り返る。




「腐ったらレンが食えよ」




「一滴で?」




ミオが笑う。




ユリウスは笑わず、天井を見ていた。




「雨の後、ここ増えるかもしれない」




「今それ言う?」




「今見えたから」




それも正しい。




南側の出口。




昨日開けた石枠。




外の光が見える。




あと十メートル。




俺の手に力が入る。




エダンもたぶん同じだった。




荷車が外へ出る。




車輪が土を踏む。




陽が当たる。




一瞬、誰も何も言わなかった。




派手な通知はない。




世界初達成の光も出ない。




俺たちの前にあるのは、小さな荷車。




玉ねぎ一袋。




片輪に泥。




それだけ。




なのに、胸がいっぱいになった。




エダンが荷車の持ち手を離す。




「通ったな」




「通った」




ミオが地図を開く。




手が少し震えていた。




でも線はまっすぐ引けた。




ユリウスは砂器を見る。




「北口からここまで、前の人力荷運びよりかなり短い」




俺は笑った。




「数字で感動する人だ」




「感動してない」




「してる顔」




「どんな顔だ」




「ちょっと口元上がってる」




ユリウスが真顔に戻した。




遅い。




南側で待っていた人たちが近づいてくる。




エダンの兄。




ボルク。




村の人。




知らない冒険者もいる。




誰かが拍手した。




一人。




二人。




少しずつ増える。




俺はちょっと恥ずかしくなった。




「玉ねぎだぞ」




誰かが返した。




「最初は何でもいいだろ!」




確かに。




荷車から袋を下ろす。




その時だった。




袋の底が破れた。




玉ねぎが転がった。




一個。




二個。




十個くらい。




斜面をころころ下っていく。




「あっ!」




俺とエダンが同時に追う。




拍手していた人たちが笑う。




記念すべき初荷物は、南側の斜面へ散った。




鍋屋のおばちゃんがいたら怒る。




俺は玉ねぎを拾いながら思った。




たぶん、こういうのでいい。




全部きれいに成功するより、後で話せる。




昼。




北口へ戻ると、もっと人が増えていた。




新しい道を聞いた商人。




荷運び人。




冒険者。




鍛冶屋。




あと、見たことのない服の男が二人。




一人は南側から来たらしい。




灰色の上着。




革筒を持っている。




もう一人は北側。




ヘルムの羊小屋の方から来た。




青い紐を肩につけている。




二人とも、道ではなく入口の屋根と倉庫を見ていた。




ユリウスの顔が変わる。




「誰?」




南側の男が先に名乗った。




「南境の村々から、境界の確認に来た。道が開いたと聞いた」




北側の男も続く。




「北巡回所からです。通行が増えているので、事故と取引の確認を」




言葉は少し違う。




でも、二人の目が見ているところは同じだった。




屋根。




倉庫。




水桶。




人。




そして道。




南側の男が聞く。




「この建物は、誰の許可で?」




鍋屋のおばちゃんが鍋から顔を上げた。




「許可?」




北側の男は木札を見る。




「通行記録を管理しているのは、どなたですか」




ユリウスが一歩前へ出かける。




俺はその横で、玉ねぎを一個持ったまま止まった。




さっきまで、荷車が通ったことしか考えてなかった。




道を見つけた。




人が通った。




飯が来た。




水が来た。




倉庫ができた。




荷車まで通った。




だから次は、もっと大きい荷車だと思っていた。




違った。




人が増えたら、道の次に来るものがある。




南側の男がもう一度聞いた。




「ここは、誰の土地なんです?」




誰もすぐには答えなかった。




俺は手の中の玉ねぎを見た。




さっきまで、白嶺で一番面倒なのは崩れだと思っていた。




たぶん違う

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