↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界リセットなし。~死んだら別人生、それでも俺の歩いた道は残るVRMMO~  作者: ユミヒロ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/97

第43話 昔の穴は、道の横にあった

翌朝、ユリウスは俺の朝飯の横に木札を置いた。




焼いた芋。


薄いスープ。


木札。




朝飯としては一個だけ場違いだ。




「食いにくい」




俺が言うと、ユリウスは気にせず木札を指で叩いた。




「昨日、南から北へ抜けた二十七人のうち、十四人が荷物の積み替えで止まってる。平均で四半刻弱。北から南はもっと悪い」




「朝から数字を添えるなよ。芋がまずくなる」




「芋の味は変わらない」




「気分が変わるんだよ」




隣でパンをちぎっていたミオが、木札を自分の方へ引き寄せた。




「低い穴と、外へ出るところ?」




「そこが大きい。あと泥の板。人だけなら流れる。荷物が大きいと詰まる」




ユリウスが三本の線を引く。




入口。


低い穴。


岩棚。




線の間に小さな数字が増えていく。




俺には、道が数字に食われているように見える。




ただ、言ってることは分かる。




白嶺街道は人が通れるようになった。


人が通れるから、荷物も通したくなる。


荷物が通るから、もっと大きい荷物を持ってくる。




昨日までの正解が、今日はもう狭い。




エダンが鍋の向こうから顔を出した。




「兄貴が言ってた。今朝また樽来たって」




「樽、人気だな」




「樽が人気なんじゃなくて、中身が人気なんだろ」




「中身何?」




「油」




ちょっと地味だった。




俺が芋をかじると、ユリウスが続けた。




「だから別経路を探す価値はある」




「それ、俺に言う?」




「言わなくても探すだろうと思ってる」




「分かってきたじゃん」




ミオが木札から顔を上げた。




「候補は?」




ユリウスは俺を見る。




俺はエダンを見る。




エダンが少し考えてから、同じところへ辿り着いた顔をした。




「ヘルム爺さんの話か」




北側の羊飼い。




初めて白嶺を抜けた日に会った老人だ。




あの時、俺たちが山の中から出てきたと聞いて、こう言った。




――昔の穴か?




爺さんの爺さんから聞いただけの話。


山は昔、中を通れた。


北と南で兵が行き来した。




本当かどうかは分からない。




今の街道と同じ穴なのかも分からない。




でも、「昔の穴」がもう一つあるなら。




俺は残っていた芋を口へ放り込んだ。




「行こう」




ミオがため息をつく。




「飲み込んでから言って」




北へ抜けるのに、もう前ほど時間はかからない。




狭い場所は狭いまま。


泥も消えていない。




でも、固定縄の位置も、板の置き方も、荷物を渡す順番も決まっている。




前は一個ずつ考えていたことを、身体が先にやる。




その変化が少し面白い。




北側へ出ると、ヘルムの羊は昨日と違う斜面にいた。




老人本人は、小屋の横で壊れた柵を直していた。




俺たちを見るなり、嫌そうな顔をした。




「また山から湧いたか」




ボルクがいないので、前より会話は少し大変だった。




エダンが北言葉と南言葉を混ぜながら話し、足りないところを身振りで補う。




何とか「昔の穴を見たい」まで伝えると、ヘルムは金槌を止めた。




「何で今さら」




エダンが街道の方を指す。




「荷物が増えた。今の穴、人は通れても荷車は無理なんだ」




ヘルムは俺たちの顔を順番に見た。




最後にユリウスを見る。




「そいつは?」




「数字を数える人」




俺が答えると、ユリウスがこっちを見た。




「説明が雑すぎる」




「だいたい合ってるだろ」




ヘルムには通じていないはずなのに、何となく笑われた。




老人は柵へ金槌を置く。




「穴は、わしも入ったことない」




「場所は分かる?」




ミオが聞く。




「たぶんな」




その「たぶん」が長かった。




まず羊を数える。




一頭足りないと言って探す。




見つけた羊を小屋へ戻す。




次に杖がないと言い出す。




杖は最初から脇に立ててあった。




それを俺が渡す。




「年取ると探し物で半日終わるぞ」




ヘルムが平然と言った。




「穴、今日中に見つかる?」




「急ぐな。山は逃げん」




それもそうだけど。




俺たちは小屋から北西へ歩いた。




羊道を一つ越える。


細い沢を渡る。


膝ほどの低木を抜ける。




ヘルムは途中で三回止まった。




一回目は方角を見るため。


二回目は石を拾うため。


三回目は「この木だったか?」と木を見るため。




三本並んだ針葉樹の前で、老人が首をひねった。




「昔は三本だった」




俺は数える。




「四本あるけど」




「増えたな」




「木は増えるよ」




ミオが笑いを堪えながら地図へ位置を書いた。




そこから斜面を下る。




昨日まで俺たちが使っていた街道からは、かなり離れた。




荷車をそのまま持って来るには、こっち側にも新しい道が必要になる。




でも斜面そのものは緩い。




少なくとも、縄で二メートル降りる場所はない。




ユリウスが何度か振り返る。




「こっちの方が傾斜は楽だな」




「まだ穴も見えてないぞ」




俺が言うと、ユリウスは足元を見た。




「だから今は傾斜だけ見てる」




やっぱり遊び方が違う。




小さな谷底へ降りた。




水は流れていない。




ただ、雨の時だけ沢になるらしく、白い石が帯みたいに並んでいる。




ヘルムが、その石の帯から外れた斜面を指した。




「たしか、あの辺だ」




何もない。




低木。


崩れた土。


大きな岩。




俺は斜面へ近づく。




ミオが後ろから言った。




「先に足元。昨日雨降ってるから」




「了解」




土を踏む。




柔らかいところを避ける。




エダンは俺より右側へ回った。




「レン。こっち、変だぞ」




呼ばれて行く。




岩の下に、枯れ枝が溜まっていた。




自然に溜まったようにも見える。




でも、その奥だけ葉が動いている。




風だ。




俺はしゃがんだ。




手を近づける。




冷たい風じゃない。




少しぬるい。




白嶺の中で感じたのと似ている。




「開いてる」




ミオがすぐ隣へ来た。




「まだ穴とは言わないよ」




「分かってる。風が出てる」




ユリウスは斜面を見上げ、崩れている範囲を確認している。




「上から石どけるな。落ちたら全部来る」




「そのくらい分かる」




「昨日までなら先に手出してただろ」




「昨日までの俺を何だと思ってるんだ」




エダンが小声で言った。




「だいたい合ってる」




仲間が増えたのに味方が減っている。




俺たちは上を触らず、横に溜まった枝と小石だけを少しずつ外した。




三十分。




穴らしいものが出た。




高さは腰くらい。




今の街道の低い穴と大差ない。




俺はちょっとがっかりした。




「これも四つん這いじゃん」




ヘルムが首を振る。




「そこじゃない」




「え?」




老人が杖で、俺たちが掘った場所の左を叩いた。




「そっちは水抜きだ。穴はこっち」




全員で黙る。




俺が立ち上がった。




「最初に言ってよ」




「お前らが勝手に掘った」




何も言い返せない。




左側は、大きな岩が二つ重なっていた。




よく見ると、岩じゃない。




角がある。




片方は、明らかに四角い。




土から出ているのは上の一部だけ。




エダンが手で表面を払った。




「切ってある」




ミオはしゃがみ込まず、少し離れて全体を見る。




「入口が崩れて埋まった?」




「かもしれない」




俺は言い切らなかった。




最近、少しだけ覚えた。




分からないものは、分からないままでいい。




ユリウスが四角い石の脇を指した。




「ここ。土の色が違う」




崩れた斜面の中に、灰色の細い線がある。




石。




横へ続いている。




俺たちはそれに沿って、落ちた土だけをどけた。




今度は勝手に掘り進めない。




上を見て。


石の噛み方を見て。


動くものだけ外す。




やがて、縦の石が一本出た。




さらに横の石。




枠だ。




人が立って通れるくらいの幅がある。




中央は土と石で埋まっている。




エダンが表面を手でなぞった。




「これなら、昔はでかかったかもな」




俺は足元を見る。




枠の前だけ、土が少しへこんでいる。




雨の跡かと思った。




違う。




二本。




平行した浅い溝。




幅は、今朝見た荷車の車輪と似ていた。




俺がしゃがむ。




指で土を払う。




溝は石の上についている。




自然に水が削った線じゃない。




少なくとも、まっすぐすぎる。




ミオが隣で息を止めた。




「……測るね」




「うん」




まだ何の跡かは言わない。




ユリウスが後ろから覗く。




「荷車の幅、覚えてる?」




俺は笑った。




「そこは覚えてない」




「俺は測った」




やっぱりこいつは変だ。




ユリウスは腰の袋から紐を出した。




結び目が二つある。




朝、荷車の車輪幅を測っていたらしい。




溝へ当てる。




完全には合わない。




でも、近い。




エダンが黙ったまま白嶺を見る。




ヘルムは杖へ体重を預けていた。




「爺さんの話、嘘じゃなかったかもな」




俺は埋まった入口へ手を置いた。




土の向こうから、ぬるい風が来る。




今の街道より広かったかもしれない穴。




荷車みたいな何かが通ったかもしれない溝。




そして山の中へ続く風。




俺はユリウスを見る。




「明日帰るんだっけ?」




ユリウスは入口を見たまま答えた。




「予定では」




「予定、変わりそう?」




「まだ穴が開いてない」




その言い方で十分だった。




俺も同じだ。




開いてないなら、開けたくなる。


第44話 車輪の溝は山の中へ続いていた

【本文】


昔の穴を開けるのに、一番役に立ったのは冒険者じゃなかった。




石工だった。




しかも、俺たちが呼んだわけじゃない。




入口の鍋屋の隣で朝飯を食っていた男が、エダンの兄から話を聞いて勝手についてきた。




名前はガラン。




四十くらい。


太い腕。


腰に槌が三本。




白嶺の埋まった入口を見るなり、俺たちを睨んだ。




「昨日、ここ触ったの誰だ」




俺とエダンが同時に少しだけ手を上げる。




ガランは俺たちの掘った水抜き側を見る。




「そっちはまあいい。こっちは?」




「枠が出るところまで」




「上の石触ったか」




「触ってない」




「なら、まだ賢い」




褒められた感じが全然しない。




ユリウスが入口の横から聞く。




「開けられる?」




ガランは即答しなかった。




斜面を見る。


石枠を見る。


土へ棒を刺す。




何度も。




俺は待った。




昔ならたぶん、「いけそう?」を三回くらい聞いていたと思う。




今日は一回でやめた。




ガランは土のついた棒を抜いた。




「全部は無理だ。上がまだ生きてる。真ん中抜くと落ちる」




「じゃあ終わり?」




俺が聞くと、石工は鼻で笑った。




「人が入る穴なら作れる。荷車は後だ」




それで十分だった。




午前中いっぱい使って、入口の右側だけを開けた。




土を出す。


小石を出す。


木で仮支えを入れる。




大きな石は動かさない。




ガランが「止めろ」と言えば止める。




ユリウスは持ち出した土の量まで数えていた。




誰の役に立つ数字かは分からない。




たぶん本人は楽しい。




やがて、立っては無理でも、腰を曲げれば入れる隙間ができた。




奥は暗い。




ランプを入れる。




光が、思ったより遠くまで伸びた。




俺の胸が勝手に速くなる。




「広い」




ミオが入口の外から言う。




「レン、まだ入らない」




「入ってない」




「肩が半分入ってる」




「これは見るため」




エダンに背中を引かれた。




「一回戻れ。ガランさんの顔見ろ」




石工が怖い顔をしていた。




俺はすぐ戻った。




中へ入るのは四人。




俺、ミオ、エダン、ユリウス。




ガランは入口に残る。




「一刻で戻れ。揺れたら走るな。壁から離れろ。上から砂が落ち始めたら即戻れ」




エダンが縄を腰へつける。




「全部覚えた?」




「俺に聞く?」




「レンに聞いてる」




「覚えた」




ミオが俺の結び目を一度引く。




「今日は地図袋、自分で持つから」




「信用下がった?」




「穴を見た時の顔で少し」




そんな顔してたかな。




入口をくぐる。




三歩で天井が上がった。




立てる。




さらに進む。




道幅は、三人並ぶと肩が当たるくらい。




今の白嶺街道とは比べものにならない。




床は石だ。




全部きれいに敷かれているわけじゃない。


割れているところも、土が被っているところもある。




でも、二本の溝は続いていた。




入口で見たものと同じ幅。




俺はランプを下げる。




「ずっとある」




ユリウスが紐で幅を測る。




「ほぼ同じ。多少ずれてるけど、削れ方の差かも」




ミオは壁際を見ている。




「地図には『平行溝』。用途は書かない」




「分かってるって」




「レンに言ってるんじゃなくて、自分に言ってる」




そういう時もあるらしい。




エダンが壁を触った。




「こっち、黒い」




煤みたいな色が残っている。




古い火の跡かもしれない。




ただの鉱物かもしれない。




俺は口を開きかけて、閉じた。




ミオが横目で見た。




「成長してる」




「何も言ってないのに褒められた」




「言いそうな顔してたから」




少し進むと、右側から水の音がした。




細い。




ぽたぽたじゃない。


流れている。




ユリウスが立ち止まる。




「水?」




エダンが耳を澄ませた。




「横だな」




壁に割れ目がある。




人一人通れるほどではない。




でも、奥から湿った空気が来ている。




ミオが地図へ印を一つ置いた。




「帰りに見る。先に本線」




本線。




その言葉が妙に嬉しい。




まだ道と決まったわけでもないのに。




さらに二十メートルほど進んだところで、床の溝が片方だけ消えた。




崩れている。




天井から落ちた石が山になっていた。




荷車どころか、人も通れない。




俺は思わず止まった。




「終わった?」




ユリウスは石の山を見る。




「ここまでは」




「言い方ずるいな」




「道が終わったとは言ってない」




エダンが崩れの右側へランプを向けた。




「風ある」




石の間。




指二本くらいの隙間から、空気が来る。




奥は続いている。




ただ、今は通れない。




俺は少し笑った。




「やっぱり、開けたら終わりじゃないな」




ミオが返す。




「今の街道もそうだったでしょ」




その時。




後ろで、何かが鳴った。




カリ。




四人とも止まる。




もう一度。




カリカリ。




入口側じゃない。




さっきの水音の方。




エダンが槍を抜く。




俺も短剣へ手をかけた。




ユリウスはランプを少し下げた。




「音、二つ以上」




「分かるの?」




俺が小声で聞く。




「重なってる」




ミオは壁際へ一歩寄った。




「戻る?」




その判断を俺へだけ投げない。




四人で考える。




崩れの先へは行けない。


時間も半分使っている。




ここで戦う理由はない。




俺が頷いた。




「戻る。水の割れ目も今日は見ない」




エダンも槍を構えたまま下がる。




「賛成。入口まで距離あるしな」




その瞬間、割れ目から何かが飛び出した。




石みたいな塊。




床へ落ちる。




動く。




「虫?」




俺が言った。




大きさは猫くらい。




背中は灰色の硬い殻。


前脚だけ妙に太い。


口の横に黒い顎がある。




一匹。




その後ろでも音がする。




二匹。


三匹。




ミオが一歩下がった。




「増える」




「見れば分かる!」




一匹目が突っ込んできた。




速い。




身体補助が右へ避ける動きを出す。




俺はそれに乗る。




でも床に溝がある。




右足が少し取られた。




「危なっ」




顎が靴の先をかすめる。




エダンの槍が横から入った。




殻に当たる。




硬い音。




弾かれた。




「背中駄目だ!」




ユリウスが後ろから言う。




「ひっくり返せない?」




「簡単に言うな!」




二匹目が来る。




狭い。




四人で前後に並んでいるせいで、自由に動けない。




俺は短剣を構えながら、床を見る。




二本の溝。




片方は崩れで消えている。




もう片方は、俺たちの足元まで続いている。




虫の太い前脚。




まっすぐ突っ込む。




俺は一歩だけ前へ出た。




ミオが声を上げる。




「レン?」




「溝使う!」




説明している暇はない。




一匹目がまた来る。




ぎりぎりまで待つ。




身体補助は避けろと言ってくる。




今度は逆らわない。




最後に半歩だけ横へずれる。




虫の左前脚が溝へ入った。




ガクッと身体が傾く。




エダンがすぐ理解した。




槍を殻の横へ差し込む。




「押すぞ!」




「うん!」




二人で押す。




ひっくり返った。




腹は白い。




俺は短剣を入れる。




一匹が止まる。




通知を見る余裕はない。




二匹目。




三匹目。




ユリウスがランプを高く上げた。




「同じところでやれ! ばらけるな!」




命令口調なのに、今は腹が立たない。




二匹目を誘う。




今度はエダンが前。




溝へ入れる。




俺が横から蹴る。




ひっくり返す。




三匹目は途中で止まった。




学習したのかと思った。




違う。




奥から、もっと大きい音がした。




カリカリカリカリ。




たくさんいる。




俺とエダンが同時に言った。




「戻る!」




今度は誰も反対しない。




走らない。




でも速く戻る。




ミオが先。


ユリウス。


エダン。


俺。




後ろから殻の擦れる音が追ってくる。




「何匹?」




俺が聞く。




ユリウスが振り返らずに答える。




「数える余裕ない」




「初めて聞いた!」




「嬉しそうにするな!」




入口が見えた。




ガランの顔。




「何連れてきた!」




「虫!」




「見れば分かる!」




今日それ二回目だ。




外へ出る。




ガランが入口横に用意していた厚い板を倒した。




完全に塞ぐわけじゃない。




人が出られる隙間だけ残して、低い位置を遮る。




最初の虫が板へぶつかった。




ゴン。




板が揺れる。




でも出てこない。




もう一度。




ゴン。




そのうち音が止まった。




俺たちは斜面に座り込んだ。




息がうるさい。




エダンの槍には傷。


俺の靴の先には浅い切れ目。




ミオの髪には、いつの間にか蜘蛛の糸みたいな白いものがついている。




ユリウスはランプを持ったまま、しばらく何も言わなかった。




俺が聞く。




「何匹だった?」




「分からない」




「記録不能?」




「うるさい」




ちょっとだけ勝った気がした。




ガランは板を見てから、俺たちを見る。




「だから一刻で戻れって言った」




「一刻以内です」




ミオが即答した。




ガランは少し黙った。




「……そこは守ったか」




「はい」




褒められた。




たぶん。




ヘルムが離れたところから羊を連れてきた。




「何かいたか」




エダンが北言葉で説明する。




老人は聞き終えると、普通に言った。




「昔から穴には虫がいる」




俺は立ち上がった。




「それも最初に言ってよ!」




「わしが入ったことないって言っただろ」




それもそうだった。




ミオが地図を開く。




入口から崩れまで。


横の水音。


虫が出た割れ目。




短い一本の線。




今の街道よりずっと短い。




でも幅は広い。




床には二本の溝が続いていた。




崩れの向こうからは風が来ている。




荷車が通れるかは、まだ分からない。




そもそも何の溝かも、まだ分からない。




ただ。




「明日も来る?」




俺が聞くと、エダンは槍の傷を見ながら笑った。




「虫対策してからな」




ミオは地図を閉じる。




「水の方も確認したい」




俺はユリウスを見る。




「帰る予定は?」




ユリウスは、さっきまでの木札を取り出した。




裏返す。




そこに書いてあった日付を、指でこすって消した。




「一日延ばす」




その仕草が、ちょっと面白かった。




数字を数える男も、


未知の穴には負けるらしい。


第45話 山の中に水場ができた

【本文】


次の日、虫対策として持ってきたものは、盾でも火薬でもなかった。




木の蓋だった。




エダンの兄が丸い板を二枚抱えている。




「何それ」




俺が聞くと、兄は面倒そうに答えた。




「桶の蓋」




「虫に投げる?」




「お前に投げるぞ」




違った。




昨日の虫は、低いところを走る。




入口に板を立てると止まった。




なら、人が通る時だけ足元に簡単な遮りを置けば、奥から一気に来ても時間を作れる。




ガランが作った案らしい。




さらに今日は、長い鉤棒が二本。


厚手の脚当て。


袋に詰めた灰。




灰は虫の足跡を見るためだ。




ユリウスが袋を持ち上げた。




「昨日、何匹いたか分からなかったから、出入りだけでも数える」




「昨日の『分からない』、まだ悔しいの?」




「別に」




悔しい顔だった。




ミオは入口前で地図を畳んだ。




「今日は水音の方だけ。崩れは触らない。虫が多かったら戻る」




俺は頷く。




「了解」




エダンが俺を見る。




「素直だな」




「俺、いつも素直だよ」




兄が鼻で笑った。




「その台詞だけで信用なくすのすごいな」




中へ入る。




昨日と同じ石床。




同じ二本の溝。




でも今日は、入口から十五メートルほど進んだところに灰を薄く撒いた。




ユリウスが壁へ小さな木札を立てる。




《一》




さらに進む。




《二》




「番号、好きだな」




俺が言うと、ユリウスは振り返らない。




「戻る時に距離が分かる」




「便利なのが腹立つ」




ミオが小さく笑った。




水音の割れ目まで来た。




昨日、虫が出た場所。




今日は音がしない。




エダンが槍の石突きで床を軽く叩く。




コン。


コン。




反応なし。




もう一度。




少し遠くで、カリ、と鳴った。




全員止まる。




でも続かない。




「いるな」




俺が小声で言う。




エダンが頷く。




「寝てるか、奥にいる」




ミオが割れ目を覗いた。




「人は通れない。でも下が空いてる」




割れ目は壁の途中から始まり、足元へ向かって広がっている。




土と小石を少し取ると、膝をつけば身体が入るくらいになった。




ただし昨日の虫が出てきた場所だ。




俺はすぐ入らなかった。




まず長い鉤棒を入れる。




左右。


床。


天井。




何も引っかからない。




次に、先へ布を結んだ棒。




振る。




反応なし。




ユリウスが言う。




「俺が入口側見る。三人で行け。音したら二回叩く」




「来ないの?」




俺が聞く。




「狭い場所に四人入る意味ない。昨日それで動きにくかった」




ちょっと意外だった。




自分も見たいだろうに。




でも、残る役を普通に選ぶ。




俺は頷いた。




「二回ね」




「三回なら即戻れ。何でもいいから戻れ」




「二回と三回、聞き間違えない?」




「そこはお前の耳に期待する」




「急に雑」




ミオが先に入る。




次に俺。


最後にエダン。




五メートルほど這う。




虫の殻が一枚落ちていた。




空。




エダンが槍の先でひっくり返す。




「抜け殻かな」




「持って帰る?」




俺が聞くと、ミオはすぐ返した。




「いらない」




「研究とか」




「レンが持つなら」




「じゃあいい」




何でも持って帰ると荷物になる。




少し学んだ。




割れ目の先で、急に天井が上がった。




立てる。




ランプを上げる。




小さな空間。




壁は自然の岩。




床の半分を、水が流れていた。




幅は腕二本分くらい。




深さは足首ほど。




透明。




岩の間から湧いて、反対側の割れ目へ消えている。




俺は思わずしゃがんだ。




「水だ」




ミオが横に来る。




「見れば分かる」




今日三回目くらいの流れになりそうだったので黙った。




エダンが笑う。




「飲むなよ」




「まだ何もしてない」




「手が水に伸びてる」




止めた。




水は冷たかった。




白嶺の中なのに、昨日の入口の風よりずっと冷たい。




湯気もない。




地熱洞窟の水とは別なのかもしれない。




分からない。




ミオは瓶を出した。




「持って帰る。飲めるかは村で確認」




「ゲームなら毒かどうか出ないの?」




俺が聞く。




「出る物もある。でも、全部親切に教えてくれる前提で飲みたくない」




それはそうだ。




エダンが上流側へランプを向ける。




水は岩の隙間から来ている。




人は通れない。




下流側も同じ。




ただ、下流へ消える場所の横に、人工っぽい溝が一本あった。




昨日の車輪の溝とは違う。




細い。




水を流すための溝にも見える。




エダンが屈んだ。




「これ、削ったのかな」




ミオが答える。




「候補。今は『細溝』」




「名前、だんだん雑になってない?」




「用途決めつけるよりいいでしょ」




その時。




壁の向こうで、二回音がした。




コン、コン。




三人とも止まる。




ユリウスだ。




二回。




注意。




俺たちはすぐ戻る。




割れ目を這い出ると、ユリウスが指を口に当てた。




本線の奥。




昨日の崩れ側から、カリカリ音がする。




灰を見る。




小さな足跡が三本。




こっちへ来ている。




「三?」




俺が聞く。




「今見えるのは三。昨日の個体と同じかは分からない」




「そこまで言う?」




「分からないものを同じにするな」




ミオが俺を見る。




「似てきたね」




「誰と誰が?」




「レンとユリウス」




俺とユリウスが同時に嫌な顔をした。




足跡は木札《二》の少し先まで来ていた。




虫本体は見えない。




こちらの音を聞いて戻ったらしい。




今日は追わない。




水だけ持って帰る。




入口を出た時、昼前だった。




兄が瓶を見る。




「飲んだか」




「飲んでない」




「珍しい」




「みんな俺を何だと思ってるんだよ」




ガランは水より、瓶の底の砂を見た。




「細かいな。流れはちゃんとある」




ヘルムは普通に水を一口飲もうとした。




全員で止めた。




「爺さん!」




老人が不満そうに言う。




「羊はその辺の水飲んどるぞ」




「これは穴の中!」




「山の水だろ」




強い。




結局、少量だけ村側へ持ち帰った。




宿の女将が鍋に入れる前に、エダンの兄が知り合いへ見せに行った。




薬師。


井戸掘り。


あと、なぜかパン屋。




パン屋は「水で味変わるから」と言った。




そこまで違うのかは分からない。




夕方。




簡単な確認では、変な匂いも濁りもなく、煮沸すれば使えそうだという話になった。




もちろん、ずっと同じ状態とは限らない。




雨の後。


雪解け。


上流に何か入り込んだ時。




条件は変わる。




でも、今まで入口で使う水は村から運んでいた。




鍋。


旅人。


荷物待ち。


縄洗い。


怪我の手当て。




人が増えるほど、水も増える。




俺はそこで初めて、道の横に水があることの意味が分かった。




次の日の朝。




昔の穴の入口には、桶が三つ置かれていた。




早い。




まだ正式に水場と決めてもいない。




ガランが入口の仮支えを直し、エダンの兄が水を汲むための細い縄を用意している。




鍋屋のおばちゃんは、もう桶を一つ予約していた。




「スープに使うなら毎回村から運ぶより楽だからね」




ユリウスが困った顔をしている。




「まだ継続して使えるか確認してない」




「じゃあ今日は一桶だけ」




「量の問題じゃなくて」




「使ってみなきゃ分からないだろ」




おばちゃんが返す。




ユリウスが黙る。




俺は笑った。




「強いね」




「笑うな。こういうのが一番難しい」




ユリウスは本気で困っていた。




数字にできる前に、人が使い始める。




白嶺街道らしい。




ミオは桶の横に小さな札を立てた。




《試用中》


《飲用は煮沸》


《雨後は再確認》




その下に余白を残す。




「これなら?」




ユリウスは札を見る。




「最低限」




鍋屋のおばちゃんが読む。




「字、小さい」




ミオが黙って書き直した。




そういうところは素直だ。




俺とエダンは、もう一度昔の穴へ向かった。




今日は水を汲むだけじゃない。




昨日の崩れの手前まで、荷物を運んでみる。




小さな二輪車。




荷車ではない。


村で薪を運ぶ手押し車だ。




ボルクがどこからか借りてきた。




入口の枠はまだ狭いので、車輪を片方外して中へ入れ、奥で組み直す。




面倒くさい。




でも、組み直した瞬間、少しわくわくした。




石床へ置く。




二本の溝の上。




完全には合わない。




少し幅が狭い。




それでも車輪は転がる。




ゴロ。




今まで白嶺の中で聞いたことのない音。




ゴロゴロ。




エダンが押す。




俺が横につく。




荷物は水の入っていない桶一つ。




軽い。




それでも、手で抱えるより楽だ。




ミオが後ろから歩きながら、何度も床を見る。




「溝に合わせない方がいい。片輪取られるところある」




「了解」




「右、石浮いてる」




「見えた」




ユリウスは最後尾で時間を測っている。




「入口から水の分岐まで、昨日の手運びより速い」




俺が振り返る。




「今日は荷物軽いだろ」




「だから同条件じゃない。まだ結論じゃない」




分かってる。




でも、車輪が山の中で回っている。




それだけで楽しい。




水の分岐手前で止める。




ここから先は狭いから桶だけ持つ。




汲む。




戻る。




手押し車へ載せる。




そして入口まで転がす。




たったそれだけ。




南側へ抜けたわけじゃない。




荷車も通ってない。




崩れも残っている。




虫もいる。




それでも、昔の穴から最初の水桶が車輪で出てきた。




入口で待っていた鍋屋のおばちゃんが拍手した。




「それ、うちの?」




「まだ試し!」




ミオがすぐ止める。




おばちゃんは残念そうな顔をした。




ユリウスが時計代わりの砂器を見る。




昨日までの予定なら、こいつは今日帰るはずだった。




俺は聞く。




「で、帰る?」




ユリウスは砂器をしまった。




それから、昔の穴と、桶と、手押し車を見る。




「崩れの向こうを見てから」




「一日延長?」




「たぶん」




「昨日も聞いた」




「予定は変わる」




「数字の人なのに?」




ユリウスは少し笑った。




「数字は予定を守るためだけにあるんじゃない。変えた方がいいって分かる時にも使う」




それはちょっと格好よかった。




本人には言わない。




昔の穴は、まだ南へつながっていない。




でも、山の中に水場が一つ増えた。




小さな車輪が、一度だけ中を走った。




入口の外では、その水で何を煮るかをもう話している人がいる。




道が町になるって、


たぶんこういうことなのかもしれない。




誰かが「町を作ろう」と言う前に、


必要なものの方が先に集まってくる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。