第23話 三人で持てない石
ジンまでの距離は、思ったより近かった。
近いのに、すぐ助けられない。
それが一番きつかった。
細い通路を抜けた先に、小さな空間があった。
岩壁の一部が崩れ、男が腰を壁へ預けて座っている。
年は俺たちと同じくらいに見える。
濃い緑の外套。横には長い槍。
左足の膝から下が、平たい石の下に挟まっていた。
俺が近づくと、ジンは顔を上げて苦笑した。
「三人って聞いて、もっとごつい救助隊が来るの想像してた。悪い、思ったより普通だな」
俺は石の周りへしゃがみながら返す。
「こっちも、もう少し助けやすい挟まり方してる人を想像してた。お互い期待外れってことで」
「言うなあ。ちょっと安心した」
声は笑っている。
額には汗がにじんでいた。
ミオがすぐ横へ座り、足ではなくジンの顔を見る。
「痛み、今どれくらい? 感覚がないとか、息がしづらいとかは?」
ジンは一度だけ目を閉じた。
「左足はかなり痛い。指は動く。息は平気。頭も打ってないと思う。……たぶん三時間くらいここにいるから、時間の感覚は怪しいけど」
エダンが思わず声を上げた。
「三時間? 一人で?」
「一人で来たからな。自慢にならないけど」
ジンはそう言ってから、俺たちの後ろに伸びる暗い通路を見た。
「そっち、外につながってるんだろ?」
俺がうなずく。
「村側へ出る。狭いし段差もあるけど、戻れる道は作ってきた。ジンはどこから入った?」
「上。たぶんお前らの入口より、かなり西側。岩の割れ目から入って下ってきた。途中で床が抜けて、ここへ落ちた。戻る方は、落ちた時に石が崩れて塞がった」
ミオが地図へ手を伸ばしかけて、止めた。
今は描くより先に助ける。
その切り替えが分かる。
俺は石へ手をかけた。
大きい。
俺一人ではびくともしない。
エダンも反対側へ回る。
「二人で持ち上げて、ミオが足抜く?」
ミオは石の形を見て首を振った。
「持ち上がっても、手が滑ったら足の上へ戻る。支える物が先に要る。あと、この上の石も少し乗ってる」
ジンが乾いた笑いを漏らした。
「そうなんだよ。俺も最初、格好つけて自力で抜こうとした。二回やって諦めた。三回目やる前に、さすがに頭が戻った」
「二回やってるなら十分遅いよ」
俺が言うと、ジンは少しだけ笑った。
「お前に言われると、何か納得いかないな」
初対面なのに、そこは見抜かれているらしい。
エダンが立ち上がった。
「俺、兄貴呼んでくる。板と太い縄も要る。三人で持てないなら、人増やした方が早い」
俺はすぐうなずいた。
前なら、ここで何とか三人だけで解こうとしたかもしれない。
今は違う。
「頼む。戻る時、灰色の紐一本だけ高い位置へ結び直してあるから、そこ見落とさないで。急いでも走るなよ」
エダンは袋を背負い直しながら、少し嫌そうな顔をした。
「それ、兄貴がレンに言う台詞だろ。まあ行ってくる。遅かったら、勝手に石いじるなよ」
「分かってる」
エダンが俺を見る。
「本当に?」
「今日は二回言わせないで」
「じゃあ信じる。半分だけ」
それで十分だった。
エダンが戻っていく。
俺とミオはジンのそばに残った。
待つ時間ができると、急に音が増えた。
水の細い流れ。
遠くの風。
ジンの呼吸。
俺は自分の外套を丸め、石のない方の足の下へ置いた。
ジンが少し姿勢を変える。
「助かる。そういえば、まだお前らの名前聞いてないな」
俺が名乗ると、ミオも続けた。
ジンは二人の名前を一度ずつ口にして覚えた。
「レンとミオ。さっき走ってったのがエダンか。パーティー?」
「たぶん違う」
俺が答えると、ミオが横からすぐ訂正した。
「毎回それ言うけど、ここまで一緒に来て『違う』も変じゃない? 正式に組んでない、くらいでいいと思う」
「じゃあ、正式じゃないパーティー」
ジンが笑って、すぐ顔をしかめた。
痛みが来たらしい。
しばらく呼吸を整えてから、ぽつりと言った。
「いいな、それ。俺ずっと一人で動いてたから、こういう時だけ急に一人が馬鹿みたいに感じる」
俺は何も格好いいことを返せなかった。
「普段は一人、楽なんだけどね。行きたい時に行けるし」
「分かるよ」
反射で答えた。
ミオがこっちを見る。
何も言わない。
その視線だけで、たぶん続きまで分かっている。
ジンは天井へ目を向けた。
「俺さ、風が変だったから入ったんだよ。外は冷えてるのに、割れ目の中から少しだけぬるい空気が出てて。何かあると思った」
俺とミオが同時に反応した。
ジンが苦笑する。
「その顔。お前らも風追ってたんだな」
ミオが地図を膝へ置いた。
「同じかはまだ分からない。私たちの入口では、風は途中から山の奥へ流れてる。ジンが入った場所は外へ出てたなら、どこかでつながってる可能性はあるけど」
「なるほど。じゃあ俺、役に立つ情報持ってた?」
ジンが少し得意そうに言う。
俺は石を見た。
「持ってる。でも今は情報より本人を先に外へ出したい。地図の話はそのあとでいい」
言いながら、自分で少し驚いた。
未知の入口。
別の風路。
普段なら絶対に食いつく。
でも今、目の前に帰れない人がいる。
順番は迷わなかった。
一時間もしないうちに、遠くからエダンの声が聞こえた。
「レン! いるか!」
そのあと、兄の低い声。
さらに別の村人が二人。
持ってきたのは厚い板、短い丸太、太縄。
兄はジンの状態を一度見て、すぐ石の周りへ目を移した。
「持ち上げるんじゃない。こっちを支点にして少しだけ浮かせる。足が抜けるだけでいい。欲張って全部動かすな」
誰も反対しなかった。
板を差し込む。
丸太を支点にする。
太縄を石の角へ回す。
俺と兄が板へ体重をかけ、村人二人が縄を引く。
エダンは石が戻らないよう、木片を少しずつ差し込む。
ミオがジンの足元で待つ。
「ジン、石が上がっても自分で急に引かないで。私が足首を支えるから、合図したら一緒に動かす」
ジンは歯を食いしばりながらうなずいた。
「頼む。たぶん叫ぶけど、気にしないで」
「叫ぶ方は自由。暴れるのは困る」
ミオらしい返しだった。
兄が俺を見る。
「いくぞ。ゆっくりだ。力自慢する場面じゃない」
「分かってる」
板がしなる。
石が、ほんの少し浮いた。
エダンが木片を入れる。
もう一度。
二センチ。
三センチ。
ミオが声を上げた。
「今。ジン、こっち」
ジンが息を止める。
足が抜けた。
その瞬間、男の叫びが洞窟に響いた。
俺たちは石をゆっくり戻す。
終わった。
そう思った。
ジンも、しばらく目を閉じたあと笑った。
「……助かった。マジで、助かった」
俺も笑い返しかけた。
そこでミオの顔が変わった。
「レン。待って」
ジンの外套の脇。
石に隠れて見えなかった場所が、暗く濡れている。
赤い。
ジン自身も、初めて気づいたようにそこを見た。
「え。そっちもやってたのか、俺」
声から、さっきまでの軽さが少し消えた。




