第14話 白い壁
翌朝、俺たちは村の北へ杭を運んでいた。
昨日決めた地図に合わせて、分かれ道へ目印を置くためだ。
俺が言う。「重い」
ミオが前を歩いたまま返す。「持つって言ったのレン」
俺はそう返した。「言った時より重くなってる」
ミオが言った。「木は歩いてる間に太らない」
「俺の肩が弱くなった」
ミオが言った。「それは狼に噛まれかけたから」
正しい。
包帯の下がまだ引きつる。
エダンが後ろから杭を持ち上げた。
「半分持つ」
「優しい」
「遅いから」
撤回したい。
北の見張り丘は、村から見ると大した高さじゃない。
登ると、意外に長かった。
最初は畑の間。
次は低い雑木林。
その先で道が細くなり、昨日つけた白い縦線が一本だけ立っている。
自分で置いた印なのに、見つけると少し安心した。
俺が言う。「効いてる」
俺は短く返した。「何が」
ミオが短く返した。「白いやつ」
「昨日置いたから知ってるでしょ」
ミオが言った。「知ってても安心するものはする」
ミオは返事をしなかった。
たぶん地図に書いている。
丘が高くなるにつれて、村の音が減った。
鍛冶の金属音。鶏。誰かの怒鳴り声。
一つずつ遠くなる。
最後の斜面で風が変わる。
冷たい。
村では朝日が暖かかったのに、ここだけ冬の端っこみたいだった。
一本目の杭を打つ。
曲がった。
抜く。
打つ。
また曲がる。
ミオが言った。「右」
ミオが聞き返した。「俺から見て?」
エダンが短く返した。「杭から見て」
「杭に左右ある?」
エダンが短く返した。「今できた」
エダンが笑った。
俺は木槌を振り上げる。
俺はそう返した。「じゃあ杭の右ってどっちだよ」
「そっちじゃない」
「早く言え」
三本目がやっと真っすぐ入った。
木槌を地面へ置く。
腕がだるい。
ミオは丘の下を見て、道の角度を確かめていた。
エダンは残った縄をまとめている。
その時だった。
風が強くなった。
頭の上で、雲の切れ目が広がる。
光が落ちた。
丘の向こう。
ずっと遠く。
今まで灰色だった空の下に、白いものが浮かんだ。
最初、雲だと思った。
違った。
動かない。
一本じゃない。
白い稜線が何本も重なっている。
その手前には、黒い森が帯みたいに横たわっていた。
もっと手前には、俺たちが何日も歩いていた丘と沢と、細い道。
町も見えた。
屋根が集まった灰色の塊くらいにしか見えない。
ここ数日ずっと大きく感じていた村も町も、白い山脈の前では地図の端の点みたいだった。
手前の山の向こうに、もう一つ。
その向こうにも、さらに高い白。
日が当たったところだけ銀色で、谷は青黒い。
距離が分からない。
大きすぎて、近いのか遠いのかも一瞬分からなかった。
空の下半分に、白い壁ができていた。
俺は木槌を持ち直した。
意味はない。
何か持ってないと落ち着かなかっただけだ。
ミオが動かない。
地図を開いていない。
それが一番変だった。
エダンが少し遅れて言った。「あれが白嶺」
初めて聞く名前だった。
白嶺山脈。
「……でかいな」
自分でも、もう少し何か言えないのかと思った。
出てこなかった。
風が雲を運ぶ。
白い壁の一番高いところが、少しずつまた隠れていく。
見えていた時間は長くなかった。
なのに、消えたあともそこにあるのが分かる。
俺が聞いた。「あっち、村の人は行く?」
エダンは首を振った。
エダンが言った。「麓の森までは。上は行かない」
俺は聞き返した。「冒険者は?」
「来る。戻る」
短い。
「越えた人は?」
エダンは少し考えてから、また首を振った。
エダンが言った。「昔の話なら聞く。でも俺が知ってる人はいない」
俺は聞き返した。「昔?」
「爺さんたちは何でも昔って言うから分からん」
俺はそう返した。「それ、資料として弱いな」
「村の昔話に何求めてんだよ」
そこで一度だけ、いつもの感じが戻った。
でも白い壁を見ると、また黙った。
「俺は知らない」
俺はミオを見る。
まだ地図を開いてない。
俺は短く返した。「珍しいね」
ミオが短く返した。「何が」
ミオは白い雲の方を見たまま言った。「描かないの」
俺は短く返した。「遠すぎる」
「見えたじゃん」
「見えたのと、分かったのは別」
その言い方は、少し好きだった。
帰り道。
肩が痛くて、杭より木槌の方が重く感じた。
エダンは昼飯の話をしている。
ミオは途中から地図を開いた。
でも、白嶺の線はまだ引かなかった。
丘を下り切る前に、俺は一度だけ振り返った。
雲しか見えない。
もう一度振り返った。
やっぱり見えない。
三度目は、エダンに見つかった。
ミオが言った。「行きたいんだろ」
「まだ何も言ってない」
「顔」
最近そればっかりだ。
俺は前を向いた。
ミオが横で答える。「町に、記録あるかな」
「あると思う」
明日やることが決まった。




