5話「疲労困憊」
「次は〜」
「まだあるんですか!?」
「終点〜、終てーーーん」
がこん、と空間が揺れる。扉は固く閉ざされたままだ。しかし、プシュー、と電車独特の開閉音が鳴り響く。
後ろから。
その瞬間、太陽のように強い明かりが僕たちを照らした。眩し過ぎて目を閉じる。キィィ、と甲高いブレーキ音が響く。光に慣れ始めた瞼を少し開いてみる。
不気味な猿のおもちゃたちはずらりと並んで座っている。それは変わらない。
ただ僕の目の前に、錆びついた軽自動車のライトが停まっていた。
「少年! 早く乗れ!!」
運転席から声がする。桃太郎を名乗ってた方のおじさんだ。
この人本当に運転してきた。電車の中に軽自動車が乗り込んでいる。
「いぃぃおおおおじさん!! たたた助けてください!!」
「よーしよしよし怖かったな! すまん、ながら運転は厳しかったぞ!!」
僕は鼻水と涙で顔中の穴が詰まっていた。転がるように、開いている助手席に転がり込む。勢いよく軽自動車の扉を閉めると、
ばたん。
後部座席に猿彦さんが乗り込んできた。それはもう当然のような顔で。
おいマジか。
「このおっかない人も乗るんですか!?」
「バカ言え、命の恩人だぞ! 桃太郎さんのお供なめんなよ、強かっただろう!?」
「桃太郎さん、時間切れだ! 早く車出せ、早く!!」
「おっけい!!」
後部座席からガンガンと振動がくる。座席の後ろを蹴られているようだ。
「しっかり捕まってろ!!」
車のアクセルが踏み込まれる。トンネルを閉じていた扉は、またプシュー、と音を立てて開かれた。
おーい、の合掌が鼓膜を揺らす。おーいおじさんが何十人も乗車してくる。朝8時の山手線のラッシュのようだった。
大勢の人間がトンネルに雪崩れ込んでくる。そうだ、辺りはもうトンネルに戻っていた。電車も猿も消えていた。
軽自動車がエンジンを吹かせ走り出す。勢いよく僕は額をぶつけた。痛い、痛いことばかりだ。災難だ、なんて日だ。
顔を上げる。サイドミラーには、人間と呼ぶには厳しいゾンビの群れが押し寄せていた。横を見る。自称桃太郎おじさんは前方だけを見ていた。気付いたら口に煙草を咥えている。煙が蔓延してくる。小さな車内で受動喫煙が行われていた。僕は軽く咳き込む。
時々身体が跳ね、軽自動車はどんどん加速してトンネルを走り抜けていく。ゾンビは次第に遠ざかっていった。
そ、そろそろ良いだろうか……?
「……あの、今の全部、なんですか?」
「きさらぎ駅は?」
「知ってます……都市伝説の」
「昔は怪談だった、今はネットよ」
そういえば言ってたな。向こうからくるタイプの都市伝説。
「それが君の魂を狙っていた」
「……なぜですか?」
「少年の魂が格別だからだ。君、飛び込もうとしてたな」
「はい……」
「怪異や神は、今やネットや噂を通してしか現代に存在できん。奴らは時に人間の魂を食らう。美味いからだ。そして人間の生命力を通して、存在を保つことができる。力を得られる。あの世とこの世の境界が曖昧になってる人間が、一番引きずり込みやすい」
「僕のこと、ですか?」
「そうだ。君は特別美味いから、良いタイミングで狙い撃ちされた」
「…………」
「トンネルは境界になりやすい。もうすぐ常世に戻れるぞ」
もうすぐ戻れる。戻っていいのか?
僕は向こう側に行きたかったんじゃないのか。現実に戻ったら、僕はまたいじめられる。
気付いたら、下を向いていた。
「降ろしてください……」
「お家まで我慢してくれ」
「降ろしてください! 僕は関東なんざ知ったこっちゃないんですよ!」
喉が悲鳴を上げるほど叫んでいた。こんなに大きな声が出るんだな、と思って、すぐに罪悪感が湧いてきた。
……狭いところで騒いではいけない。そんなルールない、そもそも巻き込まれた僕が錯乱するのも無理はない。でも悪いことをした気がした。自分の思考が歪んでるのは、少しだけ分かっていた。
「……ごめんなさい」
「いやいやこっちこそ! 少年の事情も知らずすまんな!」
「いえ……え? 何で事情知らないんですか、三度目なんですよね」
ふと少し前の記憶が蘇る。
非現実的なことが起き過ぎていた。おじさんが桃太郎かどうかはとにかく、不思議な力があるのは間違いない。
「あまり宛にしない方がいいぞ、そのおっさん」
後部座席からぴしゃりと声がする。ミラー越しに猿彦さんが腕を組んで……悟りを開いてそうな顔をしていた。
おじさんは気まずそうに口を閉ざしてしまった。
「え?」
「その人はわりとポンコツだ」
「じゃあ三度目っていうのは?」
「三度やり直して結構な力を使い果たした。ところどころ記憶がすっぽ抜けてる」
「……ええ……」
「しかも」
まだ情報を叩き込まれるのか? 身構えてじっと押し黙る。
「……まだ逃げ切れてない」
その言葉を合図にしたように、車体が激しく揺れる。
ばっと顔を上げると。
凄まじい顔で血涙を流す、頭髪の薄い好々爺。
おーいおじさんが、フロントガラスに張り付いていた。
「……っっ……う、わぁぁぁあああ!!」
そろそろ見慣れてきてしまったが、形式上叫んでおいた。




