第2話「五里霧中」
「僕が死ぬと関東が滅ぶ……!?」
どんな戯言を聞かされたのか、自分の正気を疑った。しかし、おじさんのつぶらな瞳は本気だった。
「滅ぶ。間違いなく滅ぶ。1年後のお盆に。俺は関東が滅んだ瞬間に立ち合った。今、三度目の正直で世界をやり直してるところだ」
「世界をやり直す……? 今ループモノの話してます?」
「お? ループモノは俺も好きよ。今個人的に熱いループ作品は……」
「あ、いえ……続けてください」
「……申し訳ないがこのループが最後だ、もうやり直せん。関東が滅んだ理由は幾つかあるんだが、そのうちの一つが君の自殺だ」
おじさんが拳を握り熱く語る。話題が途中脱線したのは目を瞑ろう。
……話がややこしくなってきた。
僕は何でこんな変なおじさんの話を真剣に聞いてるんだろう……。
くそ、ファンタジーやオカルトモノを嗜む性分のせいで好奇心を刺激されている。
「簡単な話だ、天秤も片方しか傾かない」
「僕が生きれば関東が滅ばない……?」
「厳密に言えば、滅ばない未来に一歩近づく。何本かあるうちのフラグをへし折ることが出来るんだ」
「……でも僕が死んだ後の話なんて、僕には関係無いですよね」
「……………………!!!!!!????!!!!!!???!!!!!!!!!?!!!!!!!」
嘘だろ…………。
おじさんが雷に打たれたような顔をしてショックを受けている。顔が「確かに……!?」と物語っていた。
この人、3回も経験してるんだよな。何でこの反論を予期してなかったんだ。……いや、そもそもこんな妄言を信じる方がどうかしてる。
そして何より。男子高校生が変なおじさんに絡まれているのに、やけに静かだ。
周りの乗客も見て見ぬふりして助けてくれないんだな、世の中は無常……?
静か過ぎる。
気配という気配が無かった。
線路を走り抜ける金属音と、唸るような空調の音だけがやたらと耳につく。
数少ない乗客は皆、深く俯いている。表情が見えない。スマホを見てる人間は一人もいない。
そう言えば電車はいつ止まるんだ。僕が飛び込もうとしたのは快速だ、そろそろ停車駅に着いてもおかしくない。
何かが起きている。
「続きは後だ、備えろ。きさらぎ駅が来たぞ!」
おじさんの鋭い声が、車内に反響する。ただごとではない。
電車が不規則に揺れる。これは普通の揺れじゃない。縦に、生き物の背中のように、足元がぐにゃりと波打った。泥濘んだ床が弾む。
「駅の方から来るんですか!?」
「最近のきさらぎ駅はアクティブだ! 甘く見てると魂を掻っ攫われるぞ! 奴らはドトゥールの幻影まで覚えやがった、手段を選ばない食いしん坊め!」
「あの……っ……迷い込むタイプの都市伝説じゃないんですか!?」
「今月で5度目だ! 普通は迷い込むが、美味そうな魂を見つけたら出張する! 特に……君のように、死の淵に足を踏み入れる寸前の魂を目の前にするとな!」
おじさんの行動は迅速だった。
僕の腕を掴み勢いよく駆け出す。スポーツバッグを拾える余裕もなく、僕は身体ごと引っ張られた。
ぽよん、と柔らかい二つの双球が腕に触れる。今僕はお姫様抱っこをされ、至高の感触を知った。おじさんの胸が当たっていた。人生初めてのラッキースケベをおじさんに奪われた。
「遅い、遅いぞきさらぎ駅!」
顔に風が当たる。勢いが増していく。ジェットコースターで坂を下るような風圧が前方から顔面に当たる。おじさんが先頭車両まで駆け抜けていく。速い、速すぎる。人間の速さじゃない。
よく分からないが、この異様な空間の中でただ1人。おじさんだけが、僕を助けようとしている。
何か実感のない勝利を確信した瞬間、急な衝撃に襲われた。身体が弾むように、頸椎から背中までが仰け反る。
痛い。足を攣った時のような激痛が背に走る。今度は、今度は何が起きたんだ……! 僕はただ人身事故を起こそうとしただけなのに!
「くっ……万事休すか……!」
おじさんの低くてイイ声が降り注ぐ。痛みに悶える中、必死に辺りを見渡す。
電車が停まっていた。自動ドアが開いている。その向こうから、肌が粟立つ冷たさが襲ってくる。霧が煙のように、車内に立ちこめていった。
視界が白に飲み込まれていく。おじさんの腕の温もりも、緩慢に、しかし確実に失われていく。
周囲が不明瞭になる中、ぐんっと身体ごと引かれる衝動に襲われた。今日の僕はやたらと引っ張りだこのようだ。こんな人気者になったの生まれて初めて。
「しょうねーーーーん!!」
おじさんの叫び声が遠ざかっていくのを最後に、僕の視界がぐるりと回りだす。
瞬間、強制的に瞼を下されたように、意識ごと闇が覆った。




