すべきこと
目が覚めると、天井が石だった。
一瞬、どこにいるのかわからなかった。
、、、あ、タイムマシン。魔女。鳴井。過去に来た。
司は起き上がり、窓の外を見た。朝だった。石畳の上を、もう人が歩いている。露店を開ける商人、荷を運ぶ男、走り回る子供。あちらとは違う朝の音がした。馬の蹄の音、人の声、遠くで鐘が鳴る音。
扉を開けると、廊下の向こうからいい匂いがした。
食堂に降りると、シオンが先に座っていた。使用人が焼いたパンとスープを運んでくるところだった。
「早いね」シオンが言った。
「そっちこそ」
「俺はいつもこんなもんだ」
司は向かいに座った。スープは温かく、芋と豆が入っていた。パンは昨夜のものと同じ素朴な味だった。
「今日、どうするんだ。何処か行くか?」シオンが聞いた。
「本が読める場所に行きたい」
シオンは少し意外そうな顔をした。
「本?」
「この国のことを知りたい。大陸のことも」
「、、、まあ、いいけど」シオンはパンをちぎりながら言った。「ツカサって、何処から来たんだ?この国の文字は読めるのか?」
そうだ。文字が読めない。この時代の、この国の文字が、読めるわけがない。
「何処から来たかは、、分からないんだ。気づいたらあそこにいた。あと多分、文字は読めない」
「だと思った」シオンは立ち上がった。「待ってろ」
少しして、シオンが戻ってきた。手に眼鏡を持っていた。レンズが薄く青みがかっていて、フレームに細かな紋様が彫られている。
「これは眼鏡っていうんだ」シオンは言った。「分析や観測に長けた魔法を小さく分割して、眼鏡に込めてあるらしい。目元にかけると、知らない文字でも意味が読み取れる」
「そんなものがあるのか」
「ベルナ製だ。高いんだぞ、これ」
司はそっと受け取った。かけてみると、視界が少しだけ変わった。色味が増したような、解像度が上がったような——不思議な感覚だった。
「壊すなよ」シオンが言った。
「気をつけます」
本を読める場所ーー王立図書館は、王都の中心街に近い場所にあった。石造りの重厚な建物で、入口の柱には紋章が刻まれている。中に入ると、天井が高く、棚が壁一面に並んでいた。小型化された淡灯がいくつも吊り下げられ、柔らかい光が本の背表紙を照らしていた。
司は眼鏡をかけたまま、棚の前に立った。背表紙の文字が、するりと意味として入ってくる。不思議な感覚だった。読んでいるというより、意味が流れ込んでくる感じだ。
棚を眺めながら背表紙を一つずつ確認していると、ふと目が止まった。一冊だけ、眼鏡を通さなくても読めた。日本語だった。日本語で書かれた背表紙が、一冊。気になったが、今するべきはこの世界全体の把握。また後にしよう。、、とは言いつつ、その一冊も手に取った。
司はまず、大陸地図を机に大きく広げた。
13の国が描かれていた。
中央に位置するのがカルナ、エルディア、ソルヴェン、ティセル、そしてベルナの五国。西側にヴェルミア、アルダン、セルフォス、クレイン。東側にザフィル、ドルカン、イェセン、マルヴァ。
授業で習ったはずだ。何度も見た覚えのある地形だった。魔女が実在したこの時代の地図は、歴史の教科書にも載っていた。しかし、、、真面目に見ていなかった。カルナという名前はどこかで聞いた気がする。ベルナも、確か何かで出てきた。魔道具の国だったか。それ以外は、ほとんど何も浮かんでこなかった。
授業をちゃんと聞いておけばよかった、と今更思った。
司は一つずつ、関連する本を引っ張り出した。
カルナーー現在僕がいる国。農業と交易で栄え、魔道具の輸入により中央諸国では比較的生活水準が高い。騎士制度が発達しており、護国騎士名家十家が中心となり国の護りを担う。国内には王女を除き魔女は存在しないとされ、差別も粛清も記録にない。
エルディアとソルヴェンーー大陸中央の穀倉地帯。農業大国で、カルナとは友好関係にある。魔道具の普及率はカルナより低い。
ティセルーー中央諸国の中では唯一、傭兵の国として知られる。戦闘力の高い傭兵を各国に派遣し、魔物討伐の報酬を主に国家収入としている。どの国とも深く結びつかず、またどの国とも表向きは友好的だ。
ベルナーー中央西寄りに位置する。次のページを開いた瞬間、司は少し手を止めた。
魔道具機械国家、とあった。
大陸唯一の、魔道具を自国で製造可能な国。魔封石という、ベルナでしか産出されない鉱石と魔法を加工し、独自の工学技術によって魔道具を生産する。その技術力は他国の追随を許さず、製造方法は国家機密として非公開とされている。輸出品目は照明用の淡灯から、筋力増幅具、治癒石、観測用魔道具まで多岐にわたり、大陸中の国々がベルナの魔道具なしには立ち行かないとまで言われている。
機械国家。
司はその言葉を頭の中で転がした。自分の時代にも似たような国はある。科学技術で世界を引っ張る国々。しかしベルナのそれは、どこか違う気がした。魔封石、魔道具、魔力ーー全ての技術に、魔法がある。製造方法が非公開、という一文が、頭の隅に引っかかった。
次は、西側。
ヴェルミアーー西側最大の国。強力な軍事力を持ち、周辺国に影響力を行使している。魔女に対する差別が根強く、魔女と判明した者は市民権を剥奪される。
アルダンーーヴェルミアの隣国。ヴェルミアの影響を強く受けており、魔女への扱いはさらに苛烈。数年前から、魔女の粛清が公式的に行われているという記録がある。
セルフォスとクレインーー西側の小国。アルダンとヴェルミアの間で均衡を保ちながら存続している。魔女への態度はそれぞれ異なるが、どちらもある程度の差別意識は存在する。
東側。
ザフィル、ドルカン、イェセン、マルヴァーー東側四国は、いずれも魔女教団の影響下にある。魔女教団が政治に関与し、一部の国では魔女が統治者となっている。中央諸国とは長年緊張関係にあるが、戦争は起きていない。その理由として、各国に未来を読む者や因果を観測する者がいる。彼らが互いに牽制し合っているため、戦争は回避され続けられている、と書かれていた。
司は本を閉じ、しばらく宙を見た。
淡灯がゆっくりと点滅している。
シオンは隣のテーブルで、別の本を読んでいた。司が何を調べているのか、あまり聞いてこなかった。
ーー司は次に騎士学院の本を手に取った。
カルナの騎士学院ーー王都に設置された、騎士を育成するための機関。入学は十五歳から十八歳まで。卒業すると叙勲され、国に仕える騎士として任務に就く。護国騎士名家の子弟は優先的に入学できるが、平民出身でも試験を経て入学可能。
司はもう一度大陸全図を広げた。
この世界で、自分は何をすべきなのか。
鳴井は、何かを変えてほしかった。そうでなければ、タイムマシンに乗せる理由がない。死神を探せ、と言った。死神、魔女、あるいは魔女に近い存在、、、。
未来とここ、何が違うのか。
2042年には魔女がいない。魔法がない。かつてはいたが、歴史の中で消えた。金田先生はそれを聖戦と呼んだ。世界平和のための正しい選択だったと。
しかし本当にそうだったのか。
西側では魔女が粛清されている。東側では魔女が国を治めている。なぜ、魔法が使えるのに、魔女は粛清されるのか。、、、力があるから、か。制御できないからか。
鳴井が伝えたかったこと。過去に送った理由。
ーーー魔女を、守ってほしかったのか。
消えていく魔法を。粛清され、いなくなってしまう魔女を。未来では存在しなくなってしまった、その全てをーー変えてほしかったのか。なぜ。
わからない。まだわからない。
しかし一つだけ、はっきりしたことがあった。
ここで本を読んでいるだけでは、足りない。
数冊、本を借りた。
図書館を出ると、昼を少し過ぎていた。
シオンと並んで石畳を歩いていると、大通りの向こうから蹄の音が聞こえた。一団が来る。馬が五頭、それぞれに騎手が乗っている。
司は足を止めた。
見慣れないものがあった。
馬の頭に細長い金属の帯が巻かれている。関節の部分にも、革と金属を組み合わせた装具がついている。大きな筋肉の上にも、胸の前にも、同じような装備が取り付けられていた。馬全体が、何かに覆われているような印象だった。馬自身は穏やかな様子で歩いているが、その足取りが普通の馬と微妙に違う。一歩一歩が、力強い力が余っているような歩き方だった。
騎手たちも装備が違った。眼鏡をかけている者がいる。レンズが薄く光を帯びていた。防具も、カルナの騎士のものとは意匠が異なる。継ぎ目に細かな紋様が入っていて、所々に小さな石が嵌め込まれていた。
「ベルナの商人だ」シオンが言った。
五人は静かに馬を進めていた。騒いでいない。怒鳴ってもいない。ただ、整然と、大通りを行く。その様子は穏やかで、洗練されていた。
周囲の市民が道を開けた。歓迎するように、少し頭を下げる者もいる。ベルナの商人が来るということは、新しい魔道具が入ってくるということだ。
司はその一団が通り過ぎるのを、ただ見ていた。
本で読んだ言葉が頭に浮かんだ。魔道具機械国家。工学の国。
確かに、そうだ。あの馬具は明らかに工学的な発想から生まれている。馬の筋肉の構造を理解して、どこに装具をつければ最も効率よく力が増幅されるか、計算した上で作られている。眼鏡も防具も、機能を追求した設計だ。
しかし。
司の時代の科学とは、何かが根本的に違った。
2042年の機械には、魔法がない。電気がある。半導体がある。量子回路がある。しかしそのどれにも、魔力は介在していない。魔法は、司の時代では今は存在しないもの、として扱われている。
しかしあの馬具の継ぎ目から、かすかに光が滲んでいた。嵌め込まれた石が、脈打つように点滅していた。機械の中に、魔法が息をしていた。
同じ工学でも、出発点が違う。
司の時代は魔法を捨てた上で科学を積み上げた。しかしベルナは魔法を科学の中に組み込んだ。同じ機械国家という言葉が、全く別のものを指していた。
一団が角を曲がり、見えなくなった。
「どうした」シオンが言った。
「いや」司は前を向いた。「なんか、違うなと思って」
「何が」
「うまく言えないけど」
シオンは少し首を傾けたが、それ以上は聞かなかった。
二人はまた歩き始めた。石畳の上に、昼の光が落ちている。
「シオン」
「ん」
「魔女って、会えるのか」
シオンは少し間を置いた。
「この国にはいない」
「他の国に行くしかない?」
「そうだな」シオンはゆっくりと言った。「だが、そう簡単に行ける場所じゃない。西側にも、隠れてるやつはいる沢山いるだろう。見つかれば殺されるけど」
司は石畳を見た。
粛清。殺される。魔法が使えるだけで。
「魔女、会ってみたいな」
シオンはしばらく司を見ていた。それから、小さく息をついた。
「、、、多分、行けるぞ」
司は何も言わなかった。
淡灯が、静かに光っていた。




