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魔女の国  作者: kiko
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2042年12月3日

黒板を叩くチョークの音で、日野司は顔を上げた。


「魔女の存在が確認されたのは、今から遡ること約三百年前。当時の記録によれば、彼らは炎を操り、風を呼び、人の心に語りかけることさえできたとされています」


 金田綾世は黒板に「魔女根絶:1743年」と書いた。白いチョークの文字が、蛍光灯の下でくっきりと光る。三十代前半だろうか、眼鏡の奥の目が、いつも少しだけ鋭い。


 司は窓の外に目をやった。2042年の冬の空は、どんよりと曇っていた。上層区画のビル群が霞んで見える。磁気浮上式の輸送ラインが、音もなく滑っていく。あの技術も、元をたどれば魔法の転用だと、何かの授業で習った気がする。


「魔女という呼称は、性別に関わらず魔力を扱う者全般を指します。なぜそう呼ばれるようになったか、諸説ありますが——まあ、今日はそこは本題ではありません」


 金田は教壇に戻り、生徒たちを見渡した。


「重要なのは、私たちの先祖が彼らをどう扱ったか、ではなく、なぜそうしたか、です」


 司の隣で、鳴井彰人がシャーペンをくるくる回している。こいつはいつもそれをやる。テスト前でも、授業中でも、何か考えているときも。今も、黒板をぼんやり見ながら、くるくる、くるくると回している。


「科学は、魔法を制御できませんでした」


 金田の声が、少し落ちた。


「これは、私たちの敗北ではありません。魔法というものは、そもそも科学の範疇に収まるものではなかった。測定できない。再現できない。制御できない。そういうものは、社会の中に置いておけない」


 誰かが小さなあくびをした。司も、まあそうだな、と思いながら聞いていた。これは一年生の必修だ。歴史の授業の一環で、何度か触れてきた話でもある。


「誤解してほしくないのは、これは恐怖から始まったことではないということです」


 金田は教壇の端に手をついた。


「当時の人々は、彼らを恐れてはいました。しかし、魔女狩りを決断した者たちの動機は、恐怖ではなかった。それは——勇気でした。自分たちには制御できないものを、世界のために、手放す勇気」


 そう言って、彼女は少しだけ間を置いた。


「それは、正しい聖戦だったのです」


 チャイムが鳴った。


 司はノートを閉じ、なんとなく窓の外を見た。輸送ラインが、また一本、音もなく通り過ぎた。


「なあ、今日って何日だっけ」


 廊下に出ると、背後から声をかけられた。


 司は振り返った。鳴井彰人は背が高い。司より頭一つ分くらい高くて、顔は整っているのに表情がいつもどこか間の抜けている。それが不思議と人を安心させる顔だった。


「12月3日だけど」


「年も」


「2042年。、、、なんで?」


 鳴井は少しだけ黙った。それから、「そうだよねえ」と言った。独り言みたいな声だった。「やっぱりそう、か」


「何が?」


「んー」鳴井はシャーペンをまた回した。「放課後、時間ある?」


「あるけど」司は少し考えた。「どこ行くの?」


「ちょっとね。いいとこ」


 それだけだった。鳴井はそれ以上説明しなかった。こいつはたまにそういうことをする。別に悪意があるわけじゃない。ただ、言葉が足りないのだ。昔からそうだった。


 ーーーまあ、友達だし。


 司はそう思って、わかった、と答えた。


 放課後の上層区画は、いつもより人が少なかった。冬の日暮れは早く、空はもう橙から藍へと変わりかけている。


 最初の三十分は、普通だった。いつも行くゲームセンターの近くを通り、いつも寄るコンビニの前を素通りし、それでも鳴井は歩き続けた。


「、、、どこまで行くの」


「もうちょっと」


 上層区画の外れまで来ると、磁気浮上ラインの高架が途切れ、代わりに古い電線が頭上を走り始めた。舗装が荒くなり、建物の密度が上がる。司はここに来たことがなかった。来る理由がなかった。


「ねえ、これ下層区画じゃないの」


「そう」


「なんで」


「いいから」


 司は溜息をついた。父が軍のナンバー2である以上、こういう場所に来ることには少なからず意味が生じる。目立ちたくはなかった。


 路地に入ると、白衣を着た人間が何人か歩いていた。研究員らしき人たちで、分厚いタブレットを抱えながら、何か話し込んでいる。鳴井は自然な足取りでその脇を通り抜けた。司はつられてついていった。


「、、、なんで研究員がいるの、こんなとこに」


「シーッ」


 もう一本の路地を抜けると、無機質なコンクリートの建物があった。窓がない。看板もない。入口には警備員が一人立っていたが、鳴井は躊躇なく建物を迂回し、裏手へと向かった。そこに、地下へ続く非常階段があった。


「エレベーターはダメだよ」鳴井は小声で言った。「記録が残るらしい」


「、、、なんでそんなこと知ってるの」


「教えてもらったんだ」


 意味がわからなかったが、司はついていった。


 階段は深かった。地下一階、二階、三階ーー降りても降りても終わらない。非常灯の赤い光だけが続いていた。


「ねえ、もう帰りたいんだけど」


「もうちょっと」


「さっきも同じこと言ってたよね?」


「本当にもうちょっとだから」


 司は壁に手をつきながら降り続けた。足が痛くなってきた。


 そして、ようやく。


「着いた」


 鳴井が立ち止まった。


 重い金属製のドアがあった。施錠されているようだったが、鳴井がポケットから何かを取り出し、何かすると数秒でロックが外れた。


「なんなんだよ、これ、、、なんだよお前」


「同級生」


 ドアの向こうは広い空間だった。天井が高く、機材がところどころに置かれ、中央に——


 それがあった。


 うまく形容できなかった。球体、とも言えるし、門、とも言えるかもしれない。金属と光と、説明のつかない何かで構成された、巨大な構造物。周囲のコンソールには無数のランプが灯り、低い振動音が空間全体に満ちていた。何故か、周囲に対して強烈な異物感を放っていた。


「鳴井」


「うん」


「あれ、なに」


「タイムマシン」


 司は、鳴井の顔を見た。冗談を言うときの顔じゃなかった。


「、、、え?」


「ここに、タイムマシンがあるんだって」


 え、という司の言葉が宙に浮いたまま、背後でドアが動く音がした。


 振り返ると、警備員が立っていた。中年の男で、顔を真っ赤にしている。


「き、君たちーーーな、なんでこんなところに!」


 警備員は震えた声でそう言った。「もおお、ぼ、僕はなんで、こんな」と呟きながら、じりじりと距離を詰めてくる。右手に持っているのは黒い棒だった。細長い、電気の流れる棒だ。ところどころから青白い火花が散っている。


「えっ、とちょ!」


 司は後ずさった。


「ちょ、ちょっと待っ——」


「おおおうああああッ!」


 警備員が振りかぶった。


 ご、という鈍い音がした。


 鳴井が、素手で棒をつかんでいた。電流が走ったはずで、実際に鳴井の手から煙が上がっていた。しかし鳴井は顔色ひとつ変えずに言った。


「電気でよかった」


 そのまま、静かに警備員の顎を殴った。警備員は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。


「、、、お前、ほんとに何者なの」


「だから、同級生」


「そういうことじゃない」


「さあ、行こう」


 タイムマシンの前に立つと、機械の振動が足の裏から伝わってきた。


 鳴井は操作パネルに向かって、迷いのない手つきで何かを入力し始めた。


「鳴井」


「うん」


「僕、これに乗るの?」


 考えながら、口が動いていた。


 タイムマシン。ここに。なぜ。鳴井が知っていた理由。教えてもらった、という言葉。今日の日付を確認したこと。


 司はゆっくりと、パズルのピースを並べ始めた。


 鳴井が誰かから聞いたと言う、この日付に、この友人に声をかけろという伝言。下層区画の、誰にも知られていない場所にある、タイムマシン。そして今この瞬間、迷いなく操作パネルを叩く鳴井の背中。


 これは、偶然じゃない。


 全部、決まっていた。


 僕が過去に行くことも。鳴井がそれを知っていたことも。おそらく、、、僕自身が、何らかの形でこの流れを作ったことも。


 頭の中で、線がつながった。


 「、、、そうか」


 声に出たのは、それだけだった。混乱はある。恐怖もある。しかしそれより先に、妙な納得感が胸の中心に落ちてきた。計画というものは、全てのピースが揃ったとき、急に美しく見える。今、それを見た。見てしまった。


 鳴井は手を止めた。


 振り返った顔が、いつもと少し違った。間の抜けた表情じゃなかった。何かを決めたような、あるいは何かを諦めたようなーー司が今まで見たことのない顔だった。


「、、、ごめん」


「いや」と司は言った。「なんとなく、わかった」


 鳴井が、わずかに目を細めた。


「死神を、探せ」


 司が「それはーー」と口を開きかけた瞬間、首の後ろに鳴井の手が触れた。


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