静かなる毒
荒野を進む馬の背で、ずっと昨夜のことを考えていた。
グラン=ハルトの肖像画。地下にあった大量の機械装置。ヴァイス=グレーヴという名前。魔王。
そして、あのじいさんの脅し。
ーーーもしお前がぁ、ティオを不幸にするようなことがあれば。そのときはなぁ、俺が直接、お前を殺すぜ。
まだ耳の奥に残っている。あの声が。
「なあ、ジーク」
隣を走るシオンが言った。
「あの家、なんだったんだ?」
「んー?なんかあったの?」
「ずっとさ、変だったんだ」
シオンは前を向いたまま言った。
「正直、あのじいさん俺らのことなんか疑ってる感じしたよな。ずっと監視されてるみたいな。それに俺の剣が、あの家の中じゃただの重い鉄の棒みたいに感じたんだ」
「あ、私もそれ感じました」
そのまた後ろから、エナが口を挟んだ。
「私、あの家に入った瞬間、耳鳴りが止まらなくて。空気の中に魔力が全然流れていないんです。真空の中に閉じ込められたみたいで、、、怖かったです」
「魔力が、流れてない?」
シオンが振り返った。
「はい。普通、空気の中には薄く魔力が漂ってるんですけど、あの家の周りだけ、何もなくて」
エナには、それがわかるのか。魔力を魔道具無しで感じることができる人もいるんだな。
僕は何も感じられなかった。身体内に存する僕の少ない魔力を感じることはできるけど、外の魔力は難しい。あの家が異常なのは、目で見てわかっただけだ。
「魔力を、魔法を否定しちゃったら、この大陸じゃ生きてけないだろ。魔道具使えないし」
シオンが言う。
「魔道具なしで、どうやって魔物と戦う。どうやって生きる。、、、でもあの人たち、誰よりも生気にあふれてた」
「機密名簿にも載っていない場所よ、あそこは」
ミラが馬を寄せてきた。
「騎士団の記録にも、あの家の名前はほとんど出てこない。国境の緩衝地帯に、あんな屋敷があること自体が異常なの。でも極秘に存在を許されている」
「あえ、そうなんですか?ちょっと前までは近所にも家はあって住んでる人もいたんですけどね、、。教官殿も知らなかったんですか?」
ティオが言った。
「名前だけは聞いたことあったんだけどね。ブレイズ様が、以前言っていたわ。ハルト家って言う数百年前からある名家のこと。彼ら、王室とも繋がりがあるらしいわよ」
ティオが少し目を伏せた。
「あのカガクという技術。あれが広まれば、カルナの騎士制度は根底から覆るわ。ベルナの魔道具とは、根本的に思想が違う。彼らは、起源が曖昧な魔法を利用するんじゃない。人間の力で、自分たちの足で立とうとしている」
この世界で、生まれた瞬間から魔法と共に生きてきた人達にとっては未知の力なのだろう。
「ブレイズ殿は、なぜそんな話をしたのでしょう?」
エナが小さく言った。
「さあ。でも今なら、少しわかる気がするわ。あれは国に制御できる力じゃない。彼らがカルナに従っているうちは、静観するべきね」
「、、、皆には驚かせちゃってごめん」
ティオがぽつりと言った。
全員がティオを見た。
「でも、あそこが俺の現実なんだ。父さんも爺ちゃんも、ああやって笑いながら、いつか来る終わりをずっと待ってる。でも、それだけなんですよ。ほんとは優しくて、良い人たちなんです」
「怖かったのは、家の空気だけですよ」
エナが慌てて言った。
「ティオ君のご家族は本当に素敵でした。あの明るさは、本当に楽しくて、羨ましいなって思いました」
「そうだな。飯もうまかったしな」
シオンが笑って続けた。シオンは一見ぶっきらぼうに感じるけど、いつも人を傷つけないように行動している。優しいやつだ。
「俺は、ハルトの使命も家族も好きだけど」
ティオは続けた。
「みんなと歩いてる、今みたいな時間の方が、ずっと息がしやすい」
「そりゃそうだろ。あんなじいさんが家にいたら、俺なら逃げる」
ティオが少し笑った。
「あ、そういえばさ、ジーク」
シオンが、ふとこちらを見た。
「お前、あのじいさんに何か言われてたろ。何を言われたんだ?」
シオンは優しいけど、言いたいことは言うし、したいことはする。根底が優しいから、その結果に悪影響が出ないだけだ。
「ティオを頼む、ってね」
「嘘じゃん」
シオンは笑わなかった。
「お前、あのとき顔が変わってた」
答えられるわけがない。
「、、、まあいいんだけどさ」
シオンはまた前を向いた。
「お前が特別なんだってのは分かってんだよ、俺だって。でもさ、俺、友達になりたいんだよ。お前の」
シオンの横顔を見た。こっちを見ていないその横顔が、さらに向こう側を向いた。
こいつは僕に関して、ほとんど何も知らない。でも、知らないという事実を知っている。この世界に来て、何も知らない僕を助けてくれた人に、このまま何も伝えずにいるのは、なんと言うか、失礼だ。
「シオンは友達だよ。この世界で一番の。それは間違いない。でも、僕も今は何も分からないんだ。何か分かったら伝えるよ。一番に」
「、、、そうか」
それだけだった。シオンはそれ以上、何も聞かなかった。
昼をちょうど過ぎた頃、イズミが隣に馬を並べてきた。
しばらく無言だった。
それから、彼女は静かに口を開いた。
「懐かしかった」
「懐かしい?」
「ええ」
イズミは前を向いたまま言った。
「あの家では、受け継いできた使命と、今を生きる人たちの不一致が起こってる」
もう一度、イズミを見た。彼女もこちらを見ている。
「僕には、ただの明るい人達に見えたんだけど、、。でも、言ってることはすごかったよね。でも、懐かしいって、、?」
しばらく、馬の足音だけが響いた。
それから、イズミはこちらを向いた。
「ジーク君」
「ん」
「前も言ったけど、私ってカルナ出身じゃないじゃない?セルフォスにちょっと前まではいたんだけど。それで、その時にあったのよ。ハルト家」
イズミは静かに言った。
「多分、ハルト家って大陸中にいると思うんですよね。あのお爺様のお話からも、そのようになることは推測できるし」
なるほどな。彼らが未来にの何かに対して備えているなら、家に属する人間を増やそうとするか。でもこの人、僕を試そうとしている気がする。下手に同調するのはやめておくか。
「、、、どういう意味なんだろー?」
「、、、わからないわ」
イズミはまた前を向いた。
「ただ、懐かしいなって。それだけです」
それだけ言うと、イズミは馬を早めて、少し先へ行ってしまった。
その背中を見ていた。
ーーー仲間たちが「不気味だ」と言うたびに、心の中で呟いた。
それは僕たちの世界では、当たり前だったんだ。
でも今、孤独が少し和らいだような、懐かしさを感じた。
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境界駐屯地に着いたのは、その日の夕方だった。
この時代の、石造りの砦だった。国境沿いの高台に建っていて、荒野を見下ろす形になっている。城壁が周囲を囲み、望楼がいくつか立っていた。
城の大きさとは反対に、活気がなかった。
門が開かれ六人が中に招かれても、静けさしか感じない。
数人の兵士がいる。でも誰も声を上げていない。訓練をしている者もいない。ただ、それぞれの持ち場に立っているだけだった。
よく見ると、動きが鈍いし、目が虚ろだ。
いや、それだけじゃない。
城壁の上にいる兵士は、何かに怯えるように、何度も何度も荒野を振り返っていた。井戸の傍の兵士は、誰もいない空を睨みつけている。倉庫の前の二人は、小声で何かを言い合っていた。声は聞こえないが、互いを疑うような目つきだった。
全員が、同じようにおかしいんじゃない。
一人一人、違う形でおかしいんだ。
「、、、なんか変ですね」
ティオが小声で言った。
「そうね。とにかく、依頼主に話を聞いてみましょう」
ミラが辺りを見回す。
男が、壁と壁の間からこちらを見ていた。四十代くらいの、痩せた男だ。目の下に濃い隈がある。
「王都から来られた方々ですね」
男は疲れた声で言った。
「駐屯地長のカルド=ヴェンです。よく来てくださいました」
「ミラ=ヴァレンタインです」
ミラが言った。
「状況を聞かせてください」
「、、、順を追って説明しましょう」
カルドは後頭部を掻いた。
「まず、防衛用魔道具の異常振動。これが三ヶ月ほど前から始まりました。夜になると、低い音が響くんです。最初は誰も気にしていませんでした」
「ふーむふむ?、、その後は」
「兵士たちが、眠れなくなりました」
カルドが横たわる兵士たちを横目に見る。
「ただ、妙なんです。症状が皆バラバラで」
「バラバラ?」
「ええ」カルドが頷いた。「悪夢にうなされる者。仲間を疑い始める者。突然怒り出す者。ずっと塞ぎ込む者。同じ場所で寝起きしているのに、症状の出方が全く違う。疫病なら、もっと似た症状になるはずでしょう」
症状がバラバラ。と言うことは、二つのパターンがある。一つは原因の魔法、魔道具が複数ある。若しくは、兵士それぞれによって魔法の効果が違う。
「喧嘩が増えて、脱走する者も出ました。そのうち、、、」
「自らを傷つける者が出ました。、、三人」
全員が黙った。
「原因はわかっていません」
カルドは続けた。
「魔道具を調べさせましたが、異常なし。兵士の中で魔道具の扱いに長けた者にも見させましたが、何も見つからなかった。ただ、音だけが鳴り続けてる」
「魔道具は今も動いていますか」
「動いています。防御結界も正常に展開されているはずです。これ、魔力出力を表しているのですが、見ての通り正常です」
カルドは頷いた。
「ただ、、、」
「ただ?」
「先月、魔物が数体現れたんです。小規模な群れでした。奴等の攻撃を結界が防いだんですが」
カルドは目を伏せた。
「防ぎきれなかった。以前なら、あの程度の魔物は結界に触れた瞬間に弾かれていたはずなんです。しかし今回は、結界がかなり削られました」
結界が、弱っている。
異常なし、なのに?
頭の中で、情報を並べる。
異常振動。バラバラの症状。弱った結界。
症状がバラバラ、というのがまた引っかかる。同じ毒なら、同じ症状が出るはずだ。でも違う。まるで、それぞれの心の中にあるものが、別々に膨らまされているような。
怯えやすい者は、より怯える。疑り深い者は、より疑う。抱え込む者は、より抱え込む。
ーーー毒じゃなくて、増幅器だとしたら?
「魔道具はどこにありますか?」
「中央の安置所です」
カルドが言った。
「ご案内しましょう」
「はい、お願いします」
安置所は、砦の中央にあった。
窓がない小部屋で、中央に台座がある。その上に、防御結界の魔道具が置かれていた。大きな金属の球体で、表面に細かな紋様が刻まれている。
低い唸り声のような音を、確かに発していた。
眼鏡をかけた。
僕の魔力は極めて少ない。他人が感知できるほどもない。でも、ゼロじゃない。
だから、その僅かな魔力を、一滴も無駄にしないように扱うんだ。眼鏡に込められた看破の魔法を、極限まで拡張する。見ることだけに、全てを注ぐ。
こめかみの奥が、ちりっと痛む。
拡張を始めた瞬間から、消耗が始まる。僕の魔力は少なすぎて、貯金がない。魔力の枯渇はすぐに来る。使った分だけ、反動は直接身体に返ってくる。長くは保たない。
視界が、変わっていく。
魔道具の表面が透け、内部が見えてくる。金属の層。魔力の流れ。そして、その中心に。
魔石があった。
ーーー色が変だ。
僕が知っている魔石は、属性ごとに色は違うが、透明がかった薄い色を持つ。ダン=ロウの部屋で見たものも、街の店で見たものも、皆の魔道具にはめこまれた魔石も、全部そうだった。
でも、これは違う。
濁っている。紫とも黒ともつかない、禍々しい色をしている。明らかに、普通の魔石とは違う作りをしている。
目の奥が、ずきりと痛んだ。
限界だ。
看破の拡張を解いた。視界が元に戻る。同時に、足元がふらついた。壁に手をついて、なんとか堪える。額に汗が滲んでいた。呼吸が浅い。たった数十秒見ただけで、この消耗。
これが、僕の限界だ。
「凄いわね、貴方。看破の魔法を極限まで、、、でも、大丈夫?」
ミラが言った。
「、、、大丈夫ですよ。少し、疲れただけです」
魔道具を見つめた。
この魔石には、防御魔法はこめられていない。
誰かが、入れ替えた。
でも、いつ。どうやって。
この安置所には常に見張りがいるはずだ。でも誰も、魔石が入れ替わった所など見ていない。
だとすれば。
駐屯地の中に、内通者がいる?見張りか?他の安置所にも魔道具が接されているはずだが、そっちは大丈夫か?
周囲を見渡した。
虚ろな目をした兵士たち。疲れ切った駐屯地長。
この中の誰かが、この魔石を入れ替えたのかもしれない。
あるいは、全員が知らないうちに、何かが起きたのかもしれない。侵入者がいたのかもしれない。
背筋が冷たくなった。
魔道具の唸り声が、低く響いている。
その音が僕には、悲鳴のように聞こえた。




