魔王
「あのインターホンを鳴らしたのはーーどこのどいつだ?」
背筋に冷や汗が伝った。
身体に染みついた習慣か、懐古からくる衝動か、無意識に指が向かってしまった。ボタンを押すーその何気ない動作が、この世界ではあるはずがない知識の証明になってしまった。
ーーー落ち着け、動揺するようなことじゃない。
「僕ですよ、押したの。、、、手が当たったんですよね、そしたら変な音なってびっくりしましたよ」喉の渇きを堪えて言った。「変な形のプレートがあったから、手を伸ばしたら。鳴らし方なんて知りません。たまたまです」
バッシュは無言のまま、僕を見つめ続けた。その眼光は、頭の中を覗き込むように鋭い。
数秒が、とても長く感じられる。
「ぼわははは! なんだ、偶然か!」
バッシュが、突然また豪快に笑った。そして僕の肩を強く叩いた。
「そりゃあ悪かったな、客人! 変なこと聞いちまって! いやなに、あのインターホンってのは特別なもんでな、つい気になっちまったのよ!」
凍りついていた家族たちも、一斉に元の陽気な顔に戻った。また笑い声が広間に満ちる。
ーーーこのお爺さん、まだなんか疑ってるな。
場を流したふりをして、こちらを見ている。泳がされているだけだな。
はっきりしたこと、それは僕はこの家で、何か決定的に警戒されている。理由はわからない。しかし、あのインターホンを鳴らしてしまったことが、致命的な何かに触れたのは間違いなかった。
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その夜、バッシュは全員を屋敷の地下へと案内した。
「せっかく来たんだ。ハルトの宝を見せてやろう!」
陽気な声だった。しかし彼は、僕をまだ何の剣かは分からないが、疑っている。気は抜けないだろう。
地下へ続く階段を降りると、空気が変わった。
外観からは想像もつかないほど、広大な空間だった。剥き出しの太い配管が壁中を這い、天井では電球が規則的に明滅している。奥には、巨大な機械の残骸のようなものが鎮座していた。錆びついてはいるが、その構造は明らかに、この時代のものではない。
ーーーこれは、科学だ。
魔法でも、ベルナの魔道具でもない。純粋な、機械技術。しかも、未来のの技術ですらない。正確に言うと、魔法を元にした化学ではないように見える。もっと先の、見たこともない技術の残骸だ。演算装置のようなもの。動力機関のようなもの。僕の知識をもってしても、その全容はわからない。
「驚いたか」バッシュが笑った。「これが始祖グラン=ハルト様が残した、この世界の正しい力だ」
そう言うと、バッシュは壁に掛けられた古びた肖像画を指差した。
一人の男が描かれている。右腕が、機械化された男だ。目には冷たい光が宿っていた。この世界のどの騎士とも違う。荒廃した戦場を、生き抜いてきた者の顔だった。
「始祖様は、かつて滅びた世界から来られた」バッシュは静かに言った。陽気さの奥に、重いものが滲んでいるように感じた。「魔女を救おうとした一人の男がいた。名は、ヴァイス=グレーヴ。その男の善意が、魔女同士の戦争を引き起こし、大陸を灰に変えた」
身体が重くなる。
「始祖様は、その地獄を生き延びた。そして二度と同じ過ちを繰り返さぬために、遠い昔まで戻り、ヴァイス=グレーヴ、、魔王と呼ばれたかの者を否定するため、この家を創った。それがハルトの始まりよ」
僕は肖像画を見上げた。
魔女を救おうとして、世界を滅ぼした男。ヴァイス=グレーヴ。
ーーーー同じだ。
僕も、魔女を救うためにここへ来た。多分鳴井は、そのために僕を送った。それなのにーー同じことをしようとした男が、世界を灰に変えた。
背筋が冷たくなる。ヴァイス=グレーヴという名前は、僕の名ではないし、聞いたこともない。しかしその存在は、あまりにも僕と重なっている。まるで、もう一人の自分がいるかのようだ。
「どうした、客人」バッシュが言った。「顔色が悪いぞ」
「、、、いえ」首を振った。「壮大なお話に、驚いただけです」
バッシュは、また少し長く僕を見た。
そして、ティオの前に立ち、その肩を強く掴んだ。
「いいかティオ。よーく聞けよ?」
ティオの表情が、少し引き締まった。
「ベルナの魔石は、誰かの犠牲の上に成り立つ、この世界の毒だ。人の命を燃やして光を得る。そんな世界は、いずれ自分自身を食い潰して滅びる。そのとき、人類の灯を消さないのがハルトの使命だ」
言い終えると、バッシュは武器庫から、一枚の古い銘板を取り出した。ティオの背負う斧に、それを重ねる。
「久しぶりにお前を見て、確信した!お前の斧、万象の鏡斧。その真の名を今、教えよう!ティオ、お前にはその資質があった!そして資格も得た!」
地下室が、静まる。
「真名はーー『相克の器』」
ティオが、斧を見た。
そしてティオの耳元に口を寄せ、何かを低く囁いた。周囲には聞こえない声だった。ティオの目が、少しずつ見開かれていく。
「、、、それが、この斧の力なんですか」ティオが呟いた。
「そうだ」バッシュは頷いた。「始祖様が、魔王を殺すために設計した、最強の武器だ。世界がどんな理で、どんな魔法でお前を殺しに来ようと、この斧はそいつを殺す」
「なんで俺が、、?父さんだって、使ってるのなんて見たことないよ!?」
「資格がなかった。それだけのことよ。、、、わしもだがな」バッシュはティオの肩を叩いた。「使うんだ。お前がハルトの人間で、資格があるのなら」
ティオが斧を握りしめた。その手が、少し震えている。しかしその目には、今までなかった何かが宿り始めていた。
僕はその様子を見ていた。バッシュがティオに囁いた斧の力の内容は、聞こえなかった。しかしティオの表情の変化から、それが相当なものだと察した。
相克の器。魔石を使わない、科学で作られた斧。ハルト家が、魔王をーー魔女を救おうとした男を殺すために設計した武器。
その全てが、少しずつ繋がっていく。しかしまだ、核心には届かない。
ーーー翌朝。
一行は、駐屯地へ向けて出発する準備を整えた。
ハルト家の面々は、昨夜の緊張が嘘のように、陽気だった。ティオのお父さんが大量の食料を持たせ、お母さんが子供たちと一緒に手を振っている。ティオが「もういいから、もういいって」と照れながら別れを告げていた。家族に久しぶりに会ったんだから、当然別れも惜しいだろう。
馬に乗ろうとすると、バッシュが近づいてきた。
そして、耳元で、低く囁いた。
「ジーク君」
その声は、陽気ではなかった。冷たく、静かだった。
「お前さんが何者なのか、俺にはわからん。あのインターホンの件も、偶然ってことにしといてやろう。今はな」
ーーーこのじいさん、しつこすぎる。
「だがなぁ?」バッシュは続けた。「もしお前がぁ、魔王だと確信するようなことがあればーーそのときはぁ、俺が直接、お前を殺すぜ。ハルトの名にかけてな」
静かに頷いた。
「わかりました。してもいないことでこれから一生貴方に疑われるのは嫌ですしね。早めに、僕が魔王なんかじゃないことを証明しましょう」
「、、、そうしてくれや」
バッシュは、また陽気な顔に戻り、皆の方を向いた。
「ぼわははは! 気をつけて行けよ、客人たち! ティオを頼んだぞ!」
一行は、荒野へと進み始めた。
背後で、ハルト家の重い扉が閉まる音がした。
馬を進めながら、頭に二つの名前を並べた。
日野司。そして、ヴァイス=グレーヴ。
恐らく別の世界線の僕。魔女を救おうとして、世界を滅ぼした男。ハルト家が、数百年をかけて滅ぼそうとしている、魔王。
僕は、彼らから見れば、宿敵そのものなのだろう。
前を見た。荒野の先に、ベルナとの国境の山脈が、朝日を浴びてそびえている。
ーーーだとしても。
僕には、僕の運命がある。同じ結末には、しない。彼らの言う歴史を、書き換えてやる。
馬の足音が、荒野に響いた。一行は、境界駐屯地へと向かっていった。




