第9話 無価値だったのは
第9話 無価値だったのは
雨が降っていた。
冷たい灰色の雨が、王都の石畳を濡らしている。
かつて上級冒険者として名を馳せたガルドたちは、今、その通りを肩を落として歩いていた。
誰も見向きもしない。
いや、違う。
皆、見ている。
だがその視線に宿るのは尊敬ではなかった。
「……あれが」
「救世主追放パーティー」
「うわ、本当にいた」
ひそひそ声。
嘲笑。
軽蔑。
ガルドのこめかみに血管が浮いた。
「……んだよ」
以前なら、誰もこんな目で見なかった。
彼はA級冒険者だった。
魔物を狩り、迷宮を攻略し、人々から英雄と呼ばれていた。
なのに今は。
「見ろよあの鎧」
「ボロボロじゃねぇか」
「整備する奴いないんだろ」
くすくす笑い。
ガルドは奥歯を噛み締めた。
実際、鎧は酷かった。
留め具は歪み、関節部は軋み、内側には錆が浮いている。以前なら毎晩アルトが手入れしていた。
だが、その時は気づかなかった。
いや。
気づこうとしなかった。
「……ちっ」
ガルドは苛立たしげに酒場の扉を開けた。
途端に会話が止まる。
酒臭い空気。
ざわめき。
視線。
全部が不快だった。
「四人分だ」
ぶっきらぼうに席へ座る。
だが店員は困った顔をした。
「先払いでお願いします」
「……は?」
「その……以前、器物破損騒ぎを起こされたので……」
ミナが顔を赤くする。
前回、酒に酔ったガルドが暴れたのだ。
「なんだとコラ!」
ガルドが立ち上がりかける。
その瞬間。
周囲の冒険者たちが冷たい目を向けた。
「また暴れる気か?」
「世界救った人追放したくせに偉そうだな」
「……っ」
ガルドの動きが止まる。
以前なら誰も逆らわなかった。
だが今は違う。
名声は消えた。
信用も消えた。
誰も彼を恐れない。
ミナが俯いたまま呟く。
「……もう帰ろうよ」
「帰ってどうすんだ」
ゼインが乾いた声を出した。
「依頼も来ねぇ。宿も断られる。装備も壊れっぱなし。もう終わりだろ俺たち」
沈黙。
重苦しい空気。
リーゼだけが黙ったまま窓の外を見ていた。
雨が流れていく。
その水滴を見ながら、彼女は思い出していた。
アルトの背中を。
夜遅くまで荷物を整理する姿を。
『リーゼ、杖ここ欠けてる』
『え?』
『このままだと魔力漏れるから直しといた』
当たり前みたいに。
いつも。
当然みたいに。
『食料こっち先に食べた方がいいよ。傷み始めてるから』
『薬、温度変わると劣化するから離しとくね』
『ロープ絡まってたから直しといた』
全部。
全部アルトがやっていた。
なのに自分たちは。
『雑用係』
『掃除しかできない』
『寄生虫』
そう言って笑っていた。
胸が痛い。
息が苦しい。
「……私たち」
リーゼは震える声を出した。
「ずっとアルトに支えられてたんだね」
誰も否定できなかった。
ガルドは苛立たしげに机を叩く。
「そんなもん、今さら言ってどうなる!」
「でも事実でしょ!」
ミナが叫ぶ。
「薬管理も、装備も、食料も! 全部アルトだったじゃない!」
「うるせぇ!」
「私たち何もしてなかった!」
ミナの目から涙が零れる。
「なのに……全部当然だと思ってた……!」
酒場が静まり返る。
周囲の客たちも黙っていた。
ガルドは拳を震わせる。
認めたくない。
自分は強かった。
敵を倒していた。
前線で戦っていた。
なのに。
どうして今こんな有様なんだ。
その時だった。
バキッ。
「……あ?」
腰の剣が折れた。
鞘ごと崩れ、刃が床へ転がる。
ざわり、と周囲が騒めく。
「またかよ」
「整備不足だな」
「完全に劣化してる」
笑われる。
ガルドの顔が歪む。
以前なら。
こんなこと絶対になかった。
アルトが毎日磨いていた。
傷を確認し。
魔力摩耗を整え。
バランスまで調整していた。
戦うだけで良かった。
全部。
アルトが支えていたから。
「……くそ」
ガルドは初めて理解した。
自分は“強かった”わけじゃない。
戦える環境を、アルトが作っていただけだ。
喉の奥が焼ける。
悔しい。
惨めだ。
だがもう遅い。
一方その頃。
世界最深部。
「よし、ぴったり」
アルトは棚へ最後の木板をはめ込んだ。
かちり、と綺麗に収まる。
気持ちいい。
「アルト様! こちらのお部屋も整理終わりました!」
ロゼッタが嬉しそうに飛んでくる。
「ありがと。じゃあ次は工具室かな」
最深部はさらに変わっていた。
白銀の床。
整った棚。
分類された神代遺産。
清潔な空気。
静かな水音。
もう“死地”の面影はない。
完全な聖域だった。
アルトは温かい茶を飲みながら、ふう、と息を吐く。
「落ち着くなぁ……」
「はい!」
ロゼッタがにこにこ頷く。
「世界で最も快適な空間です!」
「そこまでかな?」
「はい!」
その時。
ロゼッタが少し不安そうに尋ねた。
「……アルト様」
「ん?」
「もう地上へ戻りたいとは思いませんか?」
アルトは少し考えた。
ガルドたちの顔を思い出す。
怒鳴り声。
散らかった荷物。
疲れ切っていた毎日。
そして。
ここ。
静かな空間。
整った部屋。
穏やかな時間。
胸の奥が、今はとても静かだった。
「……別に」
アルトは小さく笑った。
「もう、いいかなって」
ロゼッタは嬉しそうに微笑む。
「はい!」
アルトは立ち上がる。
そして工具棚へ視線を向けた瞬間。
「……あ」
「どうしました?」
「ペンチの位置ズレてる」
「直します!」
ロゼッタが慌てて飛んでいく。
その光景を見て、アルトは少しだけ笑った。
もう。
誰かに必要とされるために無理しなくていい。
そう思えた。




