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第10話 最高の居心地

第10話 最高の居心地


 世界は静かだった。


 空は澄み渡り、風は穏やかに流れ、長年荒れ果てていた土地には緑が戻っている。


 魔力災害は消えた。


 暴走していた魔物たちは沈静化し、干上がっていた川には再び水が流れ始めた。


 王都中央賢者院。


 巨大な観測水晶を前に、賢者長ヴァルムは深く息を吐く。


「……障壁修復率」


 術師が震える声で告げた。


「百パーセント、到達しました」


 静寂。


 次の瞬間。


 議場は歓声に包まれた。


「やった……!」


「世界が……!」


「安定したぞ!」


 泣き出す術師までいる。


 ヴァルムは静かに水晶を見つめた。


 青白い光が、穏やかに脈打っている。


 長い間、悲鳴を上げ続けていた世界機構。


 それが今、完全に正常化した。


「……本当に、成し遂げたのか」


 老人は呟く。


 戦争でもない。


 大魔法でもない。


 たった一人の青年が。


 ひたすら掃除を続けた結果だった。


 一方その頃。


「うーん……」


 世界の救世主は、真剣な顔で棚を見つめていた。


「やっぱこっちかな」


「アルト様?」


「この棚、窓側に寄せた方が光入りやすい」


 最深部。


 かつて死地と恐れられた場所は、完全に別世界へ変わっていた。


 白銀の床。


 澄んだ水路。


 柔らかな青い光。


 空気は静かで清潔で、呼吸するだけで心が落ち着く。


 中央神殿には家具が並び、神代植物を植えた小庭園まで作られていた。


 さらさらと水が流れる音。


 花の香り。


 暖かな光。


 もはや神殿というより、理想の住居だった。


「ロゼッタ、そっち持って」


「はい!」


 二人で棚を運ぶ。


 かたん、と壁際へ置く。


 アルトは少し離れて眺めた。


「……よし、完璧」


「さすがアルト様です!」


 ロゼッタがぱちぱち拍手する。


 彼女も以前よりずっと元気になっていた。


 輪郭は安定し、髪は艶やかに輝き、透明だった身体も今ではほとんど人間と変わらない。


 世界機構の回復と共に、彼女自身も修復されているのだ。


「お茶淹れますね!」


「ありがと」


 ロゼッタは嬉しそうに台所へ飛んでいく。


 台所。


 神代文明の中枢に。


 以前なら誰も想像しなかった光景だ。


 だがアルトには、その方が自然だった。


 使う場所は整っていた方がいい。


 その方が落ち着く。


 それだけだ。


「はい、どうぞ!」


 香草茶の優しい香りが広がる。


 アルトは椅子へ腰掛け、ほっと息を吐いた。


「……落ち着く」


「ですねぇ」


 ロゼッタも向かいへ座る。


 窓代わりの巨大結晶から、柔らかな青光が差し込んでいた。


 静かだった。


 誰も怒鳴らない。


 急かされない。


 壊れた物を押し付けられない。


 散らかした後始末ばかりさせられない。


 ただ静かに、整った空間がそこにある。


 それだけで、胸が軽かった。


 その時。


 ゴォン、と遠くで扉が鳴る。


「あ、また来たか」


 アルトは少し嫌そうな顔をした。


 最近、最深部へ来客が増えていた。


 賢者。


 王族。


 騎士団。


 皆、救世主へ会いたがるのだ。


「本日も取材希望者が三十二組です!」


「増えてる!?」


 アルトは頭を抱えた。


「なんでそんな来るんだよ……」


「アルト様は世界の英雄ですから!」


「静かに暮らしたいだけなんだけど……」


 その時、通信用水晶が光る。


 ヴァルムの顔が映った。


『アルト殿!』


「あ、どうも」


『世界安定化記念式典についてなのだが――』


「行かない」


『まだ何も言っておらんのだが!?』


 ロゼッタがくすくす笑う。


 ヴァルムは疲れ切った顔で咳払いした。


『せめて勲章だけでも……』


「いらない」


『なぜだ!?』


「置き場所困るし」


 賢者長が絶句した。


「あと、増やすなら収納棚作らないとダメだし」


『世界最高名誉より収納効率を優先するのか君は!?』


「大事だろ」


 アルトは真顔だった。


 ヴァルムは頭を抱える。


 だがその表情は、どこか笑っていた。


『……本当に変わらんな、君は』


「?」


『いや、だからこそ世界を救えたのだろうな』


 通信が切れる。


 ロゼッタは誇らしげだった。


「世界中がアルト様を称えています!」


「うーん……」


 アルトは茶を飲みながら周囲を見回した。


 整った棚。


 磨かれた床。


 静かな庭園。


 穏やかな光。


 ここは居心地がいい。


 本当に。


 心から。


「……片付いてると落ち着くんだよな」


 ぽつり、と呟く。


 ロゼッタはふわりと笑った。


「はい!」


 青い光が静かに揺れる。


 世界の心臓部。


 かつて最悪のゴミ溜めだった場所は、今や世界で最も穏やかな場所になっていた。


 その中心で。


 元Fランク荷物持ちは、今日も満足そうに棚の位置を調整している。


 世界を救った後も。


 彼のやることは、何ひとつ変わらなかった。



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