第5話 神の座を掃き清める
第5話 神の座を掃き清める
ごぉぉぉ……。
深い地の底を震わせるような重低音が、遺跡全体に響いていた。
青白い光が壁を流れ、巨大な魔力導管が脈動している。かつて死んでいた遺跡は、今やまるで生き物のように呼吸していた。
アルトは額の汗を袖で拭い、ふう、と息を吐く。
「……ちょっと空気良くなったな」
「ちょっとどころではありません!」
ロゼッタが勢いよく振り返った。
「障壁循環率、現在三十七パーセント回復です!」
「だからその数字なんなんだよ……」
「世界規模です!」
「怖いこと言うなよ!」
アルトは顔を引きつらせた。
だが確かに、最初とは別世界だった。
腐臭はかなり薄れ、空気の淀みも減っている。床の発光も安定し、時折どこからか澄んだ水音まで聞こえるようになっていた。
その代わり。
奥へ進めば進むほど、汚れも酷くなっていた。
「うわぁ……」
アルトは思わず顔をしかめる。
巨大な扉の前。
そこには黒い結晶とヘドロが山のように積み上がっていた。壁一面にべっとりと汚泥が張り付き、天井からは粘液が垂れている。
まるで何百年も掃除していない風呂場だ。
「これ、ほんとに神殿か……?」
「神代中央管理区画です」
「絶対嘘だろ」
アルトは即答した。
「こんな汚い神殿あるか?」
ロゼッタは悲しそうに目を伏せた。
「長い年月、誰も管理できませんでしたから……」
声が寂しげだった。
アルトは周囲を見回す。
床は黒ずみ、魔力配線は絡まり、壊れた装置が火花を散らしている。
放置。
放棄。
崩壊。
そんな言葉が浮かぶ。
胸がざわついた。
気持ち悪い。
どうしてこんなになるまで放っておくんだ。
「……片付けるか」
アルトは箒を握り直した。
その時だった。
ゴォン――。
巨大扉がゆっくり開き始める。
長い年月閉ざされていた石扉が軋み、眩い光が漏れ出した。
「うわっ!?」
アルトは目を細める。
そして。
扉の先を見た瞬間、言葉を失った。
「……なんだ、これ」
広大な空間だった。
天井は見えないほど高い。
無数の青い結晶が宙に浮かび、星空みたいに輝いている。中央には巨大な円形台座。その奥には、白銀の玉座が鎮座していた。
神々しい。
そうとしか言いようがなかった。
空気すら違う。
静かで、澄んでいて、冷たい。
だが。
「うわぁぁぁ……」
アルトの顔が一瞬で曇る。
「なんでこんな汚れてんだよぉぉぉ……!」
玉座の周囲は最悪だった。
黒いヘドロが階段を覆い、結晶には埃が積もり、魔力導管には黒カビみたいな汚染がびっしり付着している。
神秘的空間が台無しだった。
アルトは頭を抱えた。
「無理だろこれ……掃除範囲広すぎる……」
「アルト様……」
ロゼッタは震えていた。
青い瞳が潤んでいる。
「ここは……神代の中枢です」
「中枢?」
「世界管理機構の中心……神々が座していた場所」
「へぇ……」
アルトは気のない返事をした。
視線は玉座ではなく、その横に積もった汚泥へ向いている。
「……まず片付けないと座れない」
ロゼッタが固まった。
「……え?」
「いや、だって見ろよこれ」
アルトは真顔だった。
「こんなベタベタの椅子とか無理だろ。絶対服汚れるし」
「そ、そこですか!?」
「そこだろ!?」
アルトは本気だった。
神秘の玉座より、汚れの方が気になる。
ロゼッタは口元を押さえた。
震えている。
「どうした?」
「い、いえ……」
次の瞬間。
ぽろり、と涙が零れた。
「えっ!? なんで泣くの!?」
「だって……!」
ロゼッタは涙を拭いながら笑う。
「神代術師たちは皆、力ばかり求めていました……! 世界の座を奪い、権能を支配しようとして……!」
「はぁ」
「なのにあなた様は……最初に清掃を優先するなんて……!」
「いや汚いし……」
「尊い……!」
「なんで!?」
アルトは困惑した。
だがロゼッタは完全に感動していた。
「やはりあなた様こそ、本当の管理者……!」
「違うって!」
アルトは顔をしかめながら階段を登る。
その途中、靴裏にべっとりヘドロがついた。
「うわっ最悪!」
ぬちゃり、と嫌な感触。
アルトは本気で嫌そうな顔をした。
「ロゼッタ! 雑巾ある!?」
「ご、ご用意します!」
「あとバケツ!」
「は、はい!」
それから数時間。
広間には、ひたすら掃除音が響いていた。
ごし、ごし、ごし。
アルトは玉座を磨いている。
「うわ、この汚れ千年物だろ……!」
「実際そのくらいです!」
「最悪だな!」
削るたび、黒い汚泥が剥がれていく。
すると。
玉座の白銀が徐々に姿を現した。
まるで月光を固めたみたいな美しい輝き。
「……綺麗」
思わずアルトは呟く。
同時に。
ゴォォォン!!
空間全体が激しく震えた。
「うわっ!?」
天井の結晶群が一斉に発光する。
青白い光が奔流となって広間を駆け巡った。
風。
清浄な空気。
澄んだ音。
まるで世界そのものが息を吹き返したみたいだった。
ロゼッタは涙を流しながら空を見上げる。
「中枢機関……再起動……」
「またなんか動いた!?」
「世界障壁の心臓部です!」
「心臓!?」
アルトは真っ青になった。
「そんな大事なとこ掃除してたの俺!?」
「はい!」
「先に言えよ!」
だがその時。
玉座の奥で、何かが光った。
古い扉。
その向こうに、大量の宝具や古代遺産が眠っている。
黄金。
魔導書。
神代武具。
常人なら狂喜する財宝。
だがアルトは一瞥しただけで言った。
「……後だな」
「え?」
「先にこっちの棚整理したい」
ロゼッタは再び泣き始めた。
「なんでまた泣くの!?」
「欲に溺れない……! なんと高潔なお方……!」
「いや、埃積もってる方が気になるだけなんだけど!?」




