第4話 世界を救う大掃除
第4話 世界を救う大掃除
ごり、ごり、ごり。
石床を削る音が静かな遺跡に響いていた。
「ぬあぁぁ……取れない……!」
アルトは額に汗を浮かべながら、黒い汚泥をヘラで削っていた。床にこびりついた魔力ヘドロは粘り気が強く、剥がすたびに腐臭を撒き散らす。
「うっ……くさ……!」
鼻をつまみたくなる臭いだった。腐った魚と焦げた金属を混ぜたみたいな臭気が喉にまとわりつく。
だがアルトは手を止めない。
止められない。
目の前に汚れがある。
しかも、この遺跡は広大だった。
壁には黒ずんだ結晶。
詰まった魔力導管。
崩れた棚。
散乱した部品。
全部が気になる。
「ロゼッタ、この黒い塊って全部捨てていいんだよな?」
「は、はい! それは循環阻害物質です!」
「阻害物質っていうか、完全にゴミだろこれ……」
アルトは嫌そうな顔でヘドロを袋へ放り込んだ。
その瞬間。
ゴォォン――。
また遺跡全体が震えた。
青白い光が天井を走り、停止していた紋章が次々と点灯していく。風が流れ込み、空気がさらに澄んだ。
ロゼッタがぱあっと顔を輝かせる。
「第三循環路、正常化しました!」
「えぇ……掃除しただけなんだけど……」
「掃除ではありません! これは世界障壁の修復です!」
「いや絶対盛ってるって……」
アルトは引きつった笑みを浮かべる。
だが、確かに変化は起きていた。
最初にここへ来た時は、空気が腐っていた。
肌にまとわりつく不快感。
耳鳴りみたいな魔力ノイズ。
息をするだけで頭痛がした。
なのに今は違う。
空気が軽い。
呼吸しやすい。
床の発光も安定している。
まるで遺跡そのものが少しずつ元気になっているみたいだった。
「……ほんとに直ってんのかな」
「はい!」
ロゼッタは即答した。
「障壁反応値が急速に回復しています! 現在、世界循環率は十二パーセント改善!」
「じゅ、十二!?」
「本来なら国家総出でも数百年必要な修復です!」
「そんなわけないだろ!」
アルトは思わず叫んだ。
だがロゼッタは本気だった。
きらきらした目でアルトを見つめている。
「やはりあなた様は救世主……!」
「違うって! ただ散らかってるの嫌なだけだから!」
その時だった。
ぶわっ、と風が吹き抜ける。
次の瞬間、天井の巨大結晶が強く輝いた。
まるで脈動する心臓みたいに。
そして――。
遠く離れた地上。
干からびていた畑に、ぽつりと雨粒が落ちた。
農夫は空を見上げる。
「……雨?」
何年も雨が降らなかった土地だった。
ひび割れた土。
枯れた作物。
誰もが死んだ土地だと諦めていた。
だが雨は次第に強くなる。
乾いた土が水を吸い込み、しおれていた芽がゆっくり起き上がる。
「お、おい……!」
「見ろ! 畑が……!」
村人たちが叫ぶ。
土の匂いが広がる。
生命の匂いだった。
一方、別の地方では。
暴走していた魔獣の群れが突然動きを止めていた。
「な、なんだ……?」
騎士団長が眉をひそめる。
さっきまで狂ったように暴れていた魔物たちが、急に大人しくなったのだ。
赤黒く濁っていた瞳から凶気が消えていく。
「魔力汚染値が下がっている……?」
「そんな馬鹿な!」
観測士が叫ぶ。
「周辺魔力濃度、正常域へ戻っています!」
さらに王都。
空中魔力塔では緊急警報が鳴り止んでいた。
数ヶ月続いていた魔力嵐が、突如消失したのだ。
「嵐が……止まった?」
「観測不能です! 魔力流が安定しています!」
「原因は!?」
「わかりません!」
白衣の術師たちが騒然とする。
そして世界中で、同じ現象が起き始めていた。
止まる災害。
蘇る土地。
安定する魔力。
誰も原因がわからない。
ただ一つ確かなのは。
世界が、急速に正常化しているという事実だった。
その頃。
王都中央賢者院。
巨大な観測水晶の前で、老人が眉をひそめていた。
「……ありえん」
白い髭を撫でながら呟く。
賢者長ヴァルム。
世界最高峰の魔導学者だった。
「第三障壁域、第四循環域、第五封鎖域……全て修復反応ありだと?」
「はい!」
若い術師が慌てた様子で報告する。
「しかも修復速度が異常です!」
「誰かが術式を起動したのか?」
「不明です!」
別の術師が震える声を上げた。
「ですが……観測波形が、神代文明の修復術式と酷似しています!」
部屋が静まり返る。
「神代だと……?」
「そんな技術、現代には存在しないはずでは」
「失われたはずだ」
ざわめき。
ヴァルムは険しい顔で水晶を見つめた。
青い光が脈打っている。
まるで長い眠りから目覚めるように。
「……誰かが世界機構へ干渉している」
老人の声は低かった。
「しかも、障壁内部からだ」
「まさか……!」
「最深部?」
「ありえません! あそこは死地です!」
「誰も生きて辿り着けない!」
術師たちが口々に叫ぶ。
だがヴァルムだけは静かだった。
じっと光を見つめる。
その瞳には畏怖すら宿っていた。
「もし本当に修復者が存在するなら……」
ごくり、と誰かが息を呑む。
ヴァルムはゆっくり告げた。
「その者は、世界を救っている」
一方その頃。
世界を救っている当人は。
「うわぁぁぁ! なんでこんなとこにゴミ隠すんだよ!」
棚の奥から大量の黒いヘドロを発見して絶叫していた。
「ロゼッタ! これ絶対あとで困るやつだろ!」
「は、はい! 千三百年前から放置されていた堆積物です!」
「千三百年!?」
アルトは頭を抱えた。
「最悪だろそれ!」
ぶつぶつ文句を言いながら、ヘドロを袋へ詰めていく。
その横でロゼッタはうっとり呟く。
「素晴らしい……」
「なにが!?」
「世界が綺麗になっていきます……!」
アルトは知らない。
自分がゴミ袋片手に悪戦苦闘している今この瞬間も。
世界中の人々が、救われ始めていることを。




