第3話 アルトがいないだけで
第3話 アルトがいないだけで
乾いた金属音が洞窟内に響いた。
ギィン――バキンッ!
「は?」
ガルドは間抜けな声を漏らした。
振り下ろした剣の刃が、根元からぽっきり折れていた。折れた破片が地面に転がり、耳障りな音を立てる。
目の前では、傷を負った大蜥蜴型の魔物が低く唸っていた。黄色い目がぎらつき、粘つく唾液が牙から糸を引く。
「おいおいおい! なんで折れるんだよ!」
ゼインが叫ぶ。
「知らねぇよ!?」
ガルドは舌打ちし、慌てて後ろへ飛び退いた。風圧と共に魔物の尾が横薙ぎに振るわれ、岩壁を砕く。
砕けた石が頬を掠めた。
痛い。
熱い。
「ミナ! 回復!」
「わ、わかってる!」
ミナは慌てて腰のポーチを探る。だが次の瞬間、顔色が変わった。
「え……?」
「どうした!?」
「薬が……変」
瓶の中身が黒ずんでいた。
本来なら淡い緑色の回復液が、濁った泥水みたいに変色している。蓋を開けた瞬間、鼻を突く腐臭が広がった。
「うっ……くさっ!」
「なんだそれ!」
「知らないわよ!」
ミナは半泣きになりながら薬瓶を放り投げた。瓶は地面に叩きつけられ、中身をぶちまける。
ジュウッ、と白煙。
石床が溶けた。
「はぁ!?」
「毒になってる!?」
その隙を狙い、魔物が飛びかかってくる。
「チッ!」
ガルドは折れた剣で無理やり受け止めた。衝撃が腕に響く。だが武器は完全に耐えきれず、さらにひび割れた。
嫌な音だった。
普段ならありえない。
ガルドの剣は遠征前に必ず整備されていた。刃こぼれも魔力摩耗もなく、完璧な状態に保たれていたはずだ。
いつも誰かが勝手にやっていたから。
「リーゼ! 援護しろ!」
「やってる!」
リーゼが杖を構える。紫電が杖先に集まり、焦げ臭い匂いが漂った。
「《雷撃》――!」
放たれた雷光が魔物へ向かう。
だが次の瞬間。
バチィンッ!!
「きゃああっ!?」
雷が空中で暴発した。
逆流した魔力がリーゼの腕を焼き、杖が弾け飛ぶ。焦げた臭いが鼻を刺し、リーゼは床へ倒れ込んだ。
「ぐっ……あぁ……!」
「おい何やってんだ!」
「魔力回路が……!」
リーゼは苦悶の表情で腕を押さえた。魔力が体内で暴れている。血管の奥を焼かれるような痛み。
おかしい。
こんなこと、今までなかった。
リーゼは荒い呼吸の中で思い出す。
遠征前。
いつもアルトが杖を点検していた。
『リーゼ、この結晶ちょっとズレてる』
『え?』
『魔力逆流するかもしれないから直しとく』
その時は適当に聞き流した。
だが今、脳裏に焼きつく。
「……まさか」
「リーゼ! 避けろ!」
ガルドの怒声。
魔物の爪が振り下ろされる。
間一髪、ゼインがリーゼを引きずって回避した。石床が砕け、砂煙が舞う。
「くそったれ! なんなんだ今日!」
ゼインが叫ぶ。
ガルドは苛立たしげに周囲を睨んだ。
「……アルトだ」
「は?」
「あいつの嫌がらせに決まってる」
リーゼが顔を上げた。
「なに言ってるの……?」
「武器も薬も全部あいつが触ってたんだぞ!」
「でもアルトはもう――」
「だからだよ!」
ガルドは怒鳴った。
「あの野郎、俺たちに恨み持って壊してやがったんだ!」
リーゼの胸がざわつく。
違う。
アルトはそんなことしない。
誰より丁寧で、几帳面で、むしろ壊れた物を見ると放っておけない人間だった。
なのに。
言葉が出ない。
自分はあの時、何も言えなかった。
アルトが捨てられる瞬間も。
ただ見ていた。
「とにかく撤退だ!」
ガルドが叫ぶ。
一行は逃げるようにダンジョンを後にした。
その日の夜。
野営地は最悪だった。
湿った毛布。
腐った肉。
ぐちゃぐちゃに積まれた荷物。
「うっわ、臭っ……」
ミナが顔をしかめる。
保存袋を開けた瞬間、腐敗臭が広がった。肉には青黒いカビが生えている。
「なんで腐ってんのよ!?」
「知るか!」
「食料管理してたのアルトじゃん……」
ゼインがぼそりと呟く。
沈黙。
焚き火がぱちりと爆ぜた。
リーゼは膝を抱え、暗い炎を見つめる。
アルトはいつもやっていた。
食料を乾燥剤と一緒に分けて。
傷みやすい物を先に消費して。
薬品を温度別に整理して。
荷物の順番まで全部覚えていた。
誰も教わっていない。
誰も見ていなかった。
当然のように。
「……別に、誰でもできるでしょ」
ミナが不機嫌そうに言う。
「そうだ。慣れてねぇだけだ」
ガルドも吐き捨てた。
だがその直後。
バチッ、と火花。
焚き火の横に置いていた魔導ランタンが爆発した。
「うおっ!?」
火の粉が飛び散る。
ゼインのマントに燃え移った。
「熱っ! 熱っ!?」
「水! 水!」
荷物を漁る。
だが水袋は破れていた。
中身は全部漏れている。
地面はぬかるみ、荷物は泥まみれだった。
「なんでだよぉぉぉ!!」
ゼインが半狂乱で叫ぶ。
ガルドは顔を歪めた。
頭痛がする。
何もかも上手くいかない。
今までこんなこと、一度もなかった。
武器も。
薬も。
食料も。
魔導具も。
全部、勝手に万全だった。
まるで見えない誰かが、常に整えていたみたいに。
その時。
リーゼの脳裏に、ある光景が蘇る。
夜更け。
皆が眠ったあと。
ひとり黙々と荷物を整理していたアルト。
擦り切れた布で剣を磨き、薬瓶に札を貼り直し、壊れた金具を修理していた。
『そんなの朝でよくない?』
リーゼが聞いた時、アルトは困ったように笑っていた。
『でも今やっとかないと、次困るかもしれないし』
胸が痛んだ。
リーゼは唇を噛む。
「……アルト」
小さな呟きは、焚き火の音に消えた。
一方その頃。
世界最深部。
青白い光に照らされた巨大遺跡の中で、アルトは黙々と床を磨いていた。
「うわ、この汚れ全然落ちない……!」
「アルト様! こちらの魔力導管もお願いします!」
「待って待って、順番あるから!」
ロゼッタが嬉しそうに飛び回る。
その背後で、停止していた巨大装置が次々と再起動していた。
ゴォォォン、と重厚な音。
世界の奥深くで、何かが動き始める。
だがアルト本人はそんなこと知りもしない。
「よし、ちょっと綺麗になった……!」
満足そうに頷く。
その顔は、地上にいた頃よりずっと穏やかだった。




