第1話・救いの後に残るもの ~恐怖の記憶が縛るもの~
第1章 愉悦の闇が残す傷痕
第1話・救いの後に残るもの ~恐怖の記憶が縛るもの~
微かなざわめきに、ふっと意識が浮上する。
少し前までの、内臓をズタズタにされるような激痛も、遠慮なく魔力を奪われる感覚も……何より、どんどん渇いていく感覚が、ない。
重い瞼が揺れて、周囲の明るさを感じて、ゆっくりと瞳を開いたインスは……
(……ぇ……?)
寝かされているのに拘束されている状況に戸惑った。
「……気が付いたか……」
(……ゾナール神官長……?)
見下ろす男の、感情の浮かばない表情を不思議そうに見上げる。
男が纏っているのは、医呪神官長を示す白と薄青の神官衣。
銀色がかかった緑色の髪と、明るい赤色の瞳をした、四十代後半ほどの外見をした神官呪師は神殿に仕え、医学を専門とする呪師――魔法の使い手。
周囲は白く、清潔な印象なのに、どこか硬質な雰囲気が漂い、何より、手足と、胴と、口とを封じる柔らかいけれども抜けられない拘束。
なぜ、拘束されているのかが分からなくて、直前までの記憶を必死に思い出す。
「お前は約三日間、所在不明となっていた。当然、逃亡の疑いがかけられていて、発見即処分もやむなしとみなされている」
(……っ!?)
淡々とした、感情を見せない声で医呪神官長のシリウム=ゾナールが説明し、その内容にインスは目を見張る。
呪師は、魔法を使える。
けれど神話の時代、その力で混乱を引き起こした魔女の逸話から、管理され、監視されることでしか生存を許されない立場にされていた。
インス=ラントは皇宮勤めの皇宮呪師。
即ち、管理・監視対象で、その所在が分からない状況というのは、逃亡されたとみなされ、即処刑の案件となってしまう。
そうは言っても、インスは逃亡したわけでもなければ、望んで所在不明の状況に陥ったわけでもない。
そこに情状酌量の余地があるとみなされているからこそ、今はまだ、生かされている。
「……分かったか? ここは主神殿、医務殿内にある隔離棟の拘束病室だ。正直、お前を拘束する必要性はないとは思うが、事実確認が完了するまでは我慢しろ」
シリウムが感情を抑えているのは、むしろ規則に従わなければならない自分に対する怒りなのだろう。
そのくらい、搬送されて来た時のインスの状態は最悪だった。
インス自身がどれだけ理解できているかは分からないが、長期間にわたる絶食、絶水による衰弱と脱水の症状。
魔力を奪われ続けていた結果の魔力切れ。
拘束による負傷と、何か……おそらくは相手の魔力によるものか……によって、全身余すところなく蹂躙された……手ひどい扱いの痕跡。
正直、相手が何者であったのかの報告を受けた今となっては、表面的……物質の器である肉体だけで被害が済んでいるとも思えない。
そうなると当然、インスの精神状態が正常のままである可能性も低く、突然暴れだしたり、最悪回復しかけている魔力を使い果たす勢いで魔法を暴発させる可能性まであって……
目を覚まして、様子を確認するまでは拘束もやむなしという状態。
けれど、意外なことに、意識を取り戻したインスからは多少、状況に対する混乱の気配は感じ取れたが、発狂しているような様子はない。
そうなると、拘束し続ける意味もないのだが規則は規則。
この後、先に目覚めた別の関係者から話を聞いている判別神官長……真偽・正誤・善悪を神に問う魔法を専門とする神官呪師……による宣誓を受けてからでなければ解くことができない。
「こちらとしても聞きたいことはあるし、お前も知りたいことはあるだろうが少し待て」
シリウムに言われて、インスは素直に頷く。
説明を受けた今となってはこの状況もやむなしと理解できた。
むしろ、拘束してはいてもきちんとした治療をしていてくれるだけありがたい。
そのくらい、自分の状況が悪かったことはインスにも分かっていた。
(……アイン君は……)
待っている間、することもないので目を閉じて、思考の海に沈む。
意識が途切れる直前。
記憶の最後にある、血まみれの幼子の姿を思い出して、ゾクリと悪寒が走る。
無事でいてくれるのか……
そもそも、どうしてあんな状況になってしまっていたのか……
いや。分かってはいるのだ。
皇宮呪師長・キプラ=ペンティスは人間ではなかった。
殺されて、入れ替わられていたのか、それとも単に憑りかれていただけなのかまでは分からないが、魔族だった。
そんなキプラに囚われ、箱詰めにされていたインスを、アインは見つけてしまった。
アインというのは、記憶がない状態で保護された……おそらくはまだ、五歳になってもいない幼い少年。
けれど、魔力を視認し、魔力のままで使うことのできる見者の才を持っていて、しかも保有する魔力量が莫大。
感情の高ぶりで周囲を破壊できてしまうだけのその力を制御させるために、就学年齢である十三歳には満たないと分かっていながら呪師としての修行をさせられていた。
インスは、そんなアインの皇宮呪師としての授業で実技指導を担当していた。
そのアインが、なぜ呪師長室にいたのかまでは分からないけれど、恐らくはキプラに呼び出されたのであろうと予測はつく。
そしてそこで、その『見者』の目で……普通には見ることのできないものを見抜くことができる神秘の瞳で……インスを見つけて、助けようとした。
いつ事切れてもおかしくないほど進んでいた脱水の症状を緩和する魔法を使ったのはアインだろう。
頬に触れた、冷たい、小さな手の感触と、直後に全身を包み込んだあたたかで大きな魔力の気配を覚えている。
それと、激昂したかのような叫び声。
何を言っていたのかまでは分からないけれど、インスの状態を見て、アインはおそらく、キプラに対して怒りをぶつけたのだ。
まさか、実際にはそれだけでは済まない状況になったのだと知らないインスは、そうやって、反抗したアインをキプラが……魔族が手ひどく扱ったのだろうと考える。
だから血まみれで、痙攣している様子だったのだろうと。
(……無事、でしょうか……)
自分が助かっている以上、あの後、助けがあったのだろうとは思うけれど……
目にしたアインの様子から、無事に保護されたのかが分からなくて寒気が止まらない。
いや、無事に保護されたからといって、無事だとも限らないのだから、恐怖はそれ以上。
「……………」
青ざめて、震えるインスを見下ろしながら、シリウムもまた、受けた報告を内心で反芻し始めた。
第1章第1話をお読みいただきありがとうございます。
序章での過酷な状況から一転、インスが目を覚ましたのは主神殿の隔離棟。
しかし、3日間の所在不明により逃亡の疑いをかけられ、拘束状態からのスタートという厳しい現実が突きつけられます。
肉体的な苦痛からは解放されたものの、インスの心を支配するのは、最後に見た血まみれのアインの姿……。
彼を助けようとしたアインは、無事に保護されているのか?
不安と恐怖に苛まれるインスと、冷徹に状況を見極めようとするシリウム。
緊迫の事後処理がここから始まります。
次回もお楽しみに!
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