第13話 ニオイ
東京本部、すなわち世界ゴーストハンター協会の日本における中心地となる、この拠点は、旧東京駅を改造したものである。
司令室もまた、かつて赤レンガ駅舎と呼ばれていた区画の中に存在したホテルの、インペリアルスイートを改造して造られている。
旧皇居方面への眺望抜群な、この司令室の窓際に、伊庭島大禅は仁王立ちして、窓の外を睥睨している。いくら見ても、何も現れはしない。この大手町エリアは防壁で囲まれていて、日本支部最強の精鋭達が守りを固めているので、ゴーストが入ってくる余地はない。
それでも、大禅はジッと突っ立ったまま、外を眺めている。
「支部長。例のお二人が来ました」
秘書の桜宮龍花がコツコツと硬い革靴の足音を鳴らして、大禅の後ろに立った。
「龍花」
「はい」
「近い」
龍花はいつの間にか大禅の真後ろに立っており、鼻先を彼の脇の近くへと寄せていた。眼鏡の下の鼻が、スンスンと動いており、明らかに脇のニオイを嗅いでいる。
「支部長の脇のニオイ、非常に好みでございますので」
綺麗に整うように梳いた黒髪を、頭の後ろでポニーテールに結んでいる、銀フレームの眼鏡をかけた、この見るからに真面目で勤勉そうな秘書は、出会う人間、出会う人間、誰彼かまわず脇のニオイを嗅ぐという奇妙なクセがある。これで優秀じゃなかったら、とっくの昔に司令室から追い出しているところだ。
「あまり脇のニオイを褒められても嬉しくはないがのう」
大禅は苦笑しながら、窓の外を見るのをやめて、司令室の出入り口のほうへと振り返った。
「ほぉ……」
ドアの側に立っている二人を見て、大禅は感心した声を上げた。
まず、中国支部のSランク・ヘイユン。ただそこに立っているだけで、強さのオーラが漂っている。電話で話したことがあるくらいで、実際に会うのは今日が初めてだが、目配り、立っている姿勢、細かな仕草一つ取っても、隙が無い。さすがは中国のSランクだ。噂では、中国支部のゴーストハンター達のランクは、他の国の同ランクよりも、実際のところは1~2ランク上ではないか、という話も流れている。ヘイユンもまた、大禅が知っている日本支部のSランク達より格上のように思われた。
そして、シュウだ。
「大きくなったのう、シュウ坊」
大禅は目を細めて、昔を懐かしむように、優しい声を出した。
「伊庭島さんは、変わりませんね」
対するシュウは、若干の戸惑いを見せつつ、言葉を選んでいるようで、たどたどしい物言いである。
「ふほほ、わしもそれなりに努力しておるからのう」
大禅の見た目は、シュウが幼かった頃、十数年前とまったく変わっていない。ゴーストハンターと言うよりも、仙人に近い、とまで評されている大禅は、食事から気功から、あらゆる手を使って老化を防いでいる。いまや100歳近い大禅であるが、むしろ十数年前よりも意気軒昂、若返っているのではないか、と自分でも思うくらいだ。
ただ、背丈はシュウのほうが高くなっている。彼らが近寄ってきて、間近で対面すると、余計に彼我の身長差が浮き彫りになる。
ヘイユンも、大禅をよく知っているはずのシュウも、大禅の背の低さに動揺を見せている。大禅の身長は158cm。男性の中ではかなり小柄である。
「さて、お互い忙しい身じゃ。さっそく本題に入ろうか」
大禅は仙人風の長くて白い顎髭を、片手でしごきながら、話を切り出そうとした、その時だった。
「きゃあっ⁉」
突然、ヘイユンが悲鳴を上げた。
彼女の背後から、秘書の龍花が、何の前触れもなくいきなり顔を近付けて、脇のニオイを嗅いできたのだ。
「な、な、な、な、何するのよッ⁉」
「くんくんくん……かなりケアしていますね。普段使いのボディソープだけじゃなくて、食事も油っぽいものは摂らないようにしている、といったところでしょうか。それにしても、面白みのないニオイですね。薄っぺらい」
「う、う、薄っぺらいって⁉ どういうことよ! いきなり人の脇のニオイを嗅いで、な、何が薄いのか知らないけど、なんかすっごく失礼なこと言われた気がするッ!」
抗議の声を上げるヘイユンを無視して、龍花はシュウへと近寄ると、今度はさらに無遠慮に、シュウの右腕をグイッと持ち上げて、ダイレクトに脇に鼻を押しつけて、クンクンとニオイを嗅ぎ始めた。
「ちょ、ちょっと待って! そんなところ、嗅がないで!」
顔を真っ赤にして、シュウは素早く飛び退き、龍花から距離を取った。
「おいおい、龍花。初対面さんには、よさんか」
苦笑しながら大禅はたしなめたが、直後、「んっ?」と眉をひそめた。
シュウの脇のニオイを嗅いだ龍花は、目を見開き、ポカンとした表情で、シュウのことを見つめている。
「どうしたのじゃ、龍花?」
「この人……」
どこか不思議そうに、何度も首を傾げながら、龍花はシュウから目を離そうとしない。
「何ででしょう……? 二人分のニオイがします」
その瞬間の、シュウの表情の変化を、大禅は見逃さなかった。
まるで隠し事がバレた時の幼子のような、純粋な反応。口を「えっ⁉」と言いかけた形に歪めて、かろうじて声だけは発さずに済んでいる――そんな様子だ。
(ふうむ)
大禅はまたもや顎髭をしごいた。
怪しい。
何かシュウ坊はわしに隠し事をしておるな――それもかなり重大な――そう見抜いた時から、大禅は心の中のどこかにあった余裕を、全て取り払った。
目の前にいるのは、十数年前、大禅爺ちゃんと呼んで慕ってきた、可愛かったシュウ坊と同一人物ではない。
別の何かだ。そう思ってかかる必要がある。
「あー……秘書の奇行を許してほしい。他人の脇のニオイを嗅ぐのが好きでのう。変な空気になってしもうたが、まあ、とりあえず忘れてもらって……」
パンッ、と大禅は手を叩いた。
「話を元に戻そう。本題じゃ。四凶の居場所がわかったという、その詳細について、じっくりと聞かせてもらおうか」




