暗い図書室の中で
「…虫…カラリナ様、それは確実な情報ですか?」
「はい、間違いなく」
ライラットを引き留めたニア達は、不審に思うライラットを部屋の中へと引き込むと、先ほどの一部始終を躊躇うことなく伝えていた。
虫、そして監視されている可能性。
語られた話には一つの嘘も紛れ込んでおらず、故にその話に破綻が生じることもない。
ニア達の話を聞いたライラットは、思い当たる節があるためか深刻そうにその額へと手を添え、静かに考え込んでいた。
以前にも似たような話が出たことがあるのか。
だがもしそうなのだとしても、ここへと来てから一月と経っていない者へそんな情報を漏らしていたのかと言う葛藤のためなのだろう。
そうしてニア達が見守る中、やがてライラットは意を決したように顔を上げると、
「わかりました。その一件、こちらでも調査してみます。が、何しろこちらでも噂程度でしか聞いていなかった話。足取りを掴むにしてもかなりの時間を要してしまう可能性があります」
「問題ありません。お願い出来ますか?」
「えぇ。わかりました。ですが、もう敵襲がないという確証もありません。なので念のため、これを」
一か八かの提案が上手く行ったことに、ニアは微かに笑みを浮かべる。
そうして続けて懐へと手を伸ばしたらは、やがてそのそばから一輪の鈴を持ち出すと、
「何かあった際はこちらを3度鳴らしてください。必ず駆けつけます」
目の前で軽く揺らしながら、ライラットはチリンチリンとゆらめく鈴をニアの掌へと乗せる。
おそらくはこれも一種のミラディアなのだろう。
ライラットの口調から察するに、おそらくは鈴の音を指定回数鳴らせば特定の人物へと情報が飛ぶと言うもの。
もしライラットが敵なのだとすれば、わざわざこんなものを手渡したりはしないだろう。
つまるところ、この鈴は心強い味方が増えたと言う何よりの確証。
だからこそ、ニアは渡された鈴を握りしめると、
「えぇ、お願いします!」
共同戦線は今、ここに成立したのだった。
その時、オーゼンは思い出したように懐からある物を取り出すと、
「ライラット様、この玉を覗いてみてくれませんか?」
差し出された模様の入ったガラス玉。
不思議そうな表情を浮かべたライラットだったが、先ほどの話の続きとして出されたこのビー玉に何かしらの意味があるのだと理解すると、やがて瞳を近づけていく。
ニア達には見覚えのない風景。
だが称号を得るほどに長くこの城へと住まうライラットならば、何か有益な情報を持ち得ているのではないかと考えたのだ。
だが、覗き込んだライラットは不思議そうに首を捻ると、
「廊下…?不思議なビー玉ですね。どこかの映像を映し出してるんですか?」
呟くように放たれた言葉に、ライラットもまた映る景色に見覚えがないことを理解する。
何気ないその声色に嘘をついているそぶりは見えなかった。
そうして改めて完全な不明として提供されたビー玉に、ニアはライラットで知らないのなら他に知り得るものはいないだろうと、微かに落胆する。
「これは虫の…おそらく媒体になってたもので、見覚えのない風景だったのでライラット様ならばもしかすれば、と思ったのですが」
「そうだったのですね。お力になれず申し訳ない。ですが、そういうことであれば今見た風景も先ほどの一件と同様にこちらで調査してみます」
説明するオーゼンの言葉に、ライラットは再びビー玉の中の景色を覗き込む。
そうして互いに伝えたいことを伝えたからか、ライラットは握るビー玉をオーゼンへと返すと、ゆっくりと立ち上がる。
「ライラット様」
「大丈夫ですよ。この件は口外しません。我々のみの秘密ということで、ご安心ください」
安心付けるように笑ってみせるライラットは、やがてニア達へと背を向けると部屋を後にする。
去り行く足音は、扉が閉まるまでの微かな時間のみニア達へと伝える。
そうして完全に扉が閉まった時、
「…ふぅ、とりあえずこれでやれることは全部やったか」
「そうだな。でも、そうか…前々から噂はあったんだな…それでも現れたということは、犯人はいまだに逃げ切ってるっていうこと…うーん、絞れそうな条件は出てるんだけど、いまいち絞るには物足りないんだよな」
オーゼンの口にした言葉は、他ならぬ虫使いへと繋がるための有益な情報だった。
前々から噂があるほどには長くこの城に住み続けている者。
だが個人を特定できる可能性のあるその要素ですら、この城に住む者達においては該当する者が多すぎて完全な線とはならない。
先ほどの反応を見る限り、おそらくライラットは虫使いではなくこちら側と見て間違いはないはず。
民からの信頼が、そこに至るまでの誠実の積み重ねであることを改めて理解したニアだからこそ、ライラットであればいつかは解決してくれると確信していた。
だが、いつかではいけない。
だからこそ、ニアは重い腰を持ち上げると、
「もう少しだけ調査してくる」
あと僅かにでもヒントがあれば何か点と点が繋がる可能性がある。
たとえそのヒントにニアが気づかずとも、そのヒントを聞いたライラットが犯人を突き止めてくれるかもしれない。
ライラットに頼るという行為に変わりはなく、危険に飛び込むつもりもまたなかった。
行う行為に調査以上の意味はなく、もし危険が訪れた際には迷わず鈴を鳴らす。
そうして部屋を後にするべくニアが歩き出したその時、
「そういう時は、1人より2人、だろ?」
「…オーゼン」
「行くか、時間は有限!」
肩を掴み、にっと笑ってみせるオーゼンに、ニアは無意識に気を張り詰めてしまっていたことを自覚する。
だからこそ、いつの間にか追い越し、扉のそばに立つオーゼンへと笑ってみせると、
「あぁ、行こう」
そうして2人は再び王城の中を歩き進めるのだった。
改めて、握りしめたビー玉の風景と一致する景色がないかと、ニア達はあらゆる廊下を吟味していた。
立ち位置禁止区域は一つの扉の向こうに広がっているらしく、残念ながらその実態を見ることはできなかった。
長く住んでいる形相の者にはバレてしまう可能性が高いからと、道中ですれ違った交流会の際に会った者にも、必要最低限の情報のみを与え、ビー玉の風景に心当たりがないかを聞いて回る。
だが、立ち入り禁止区域を除いたすべての廊下に該当する箇所はなく、帰ってきた返答も「知らない」の一つに染まる。
そうして残る疑惑はその地点ただ一つとなる。
或いは、全く別の風景が映し出されたのか。
どちらにせよ、数時間を費やしたにもかかわらず成果が一つとしてなかったというその実態に、ニアはわかっていたことながらに深い落胆を覚えてしまう。
明るかった空は既に暮れ、幼い子供ならわずかな恐怖心すら抱いてしまうほどに、目の前には暗い廊下が続いている。
気も休めないままに歩き続けたせいか、ニアとオーゼンの手足は疲労にクタクタとしていた。
「…帰りましょうか。続きはまた後日」
「そうですね」
解散の言葉は手短に告げられ、2人はやがて自分たちの部屋へと戻るべくゆらゆらと歩き始める。
そうして部屋へと戻ったニア達は、やがて眠気の赴くままに深い眠りへと落ちていくのだった。
——ニア達が部屋へと戻ったのと同時刻、ある図書室にて。
「…ない」
王城内部に備えられたその部屋で、ライラットは静かに本を読み漁っていた。
既にその隣には積み上がった本の束があり、微かに光の共されたその部屋の中でライラットは今もなお本を読み続ける。
この世界には天啓の一つとして生み出されたような、だが完全な自立として己を確立する、いわゆる「マグレ」と呼ばれる存在がいる。
数年前に他の者から「虫」の存在を聞いていたにもかかわらず何の手がかりも掴めず、そうして今日、新たに虫の話がその耳に届いた。
その変化のなさに、ライラットは、この虫の本体自体が「マグレ」である可能性を考えていた。
山のように積み上がった本は、その全てがこのカラクリアの長い歴史を記した本であり、その一つ一つが並の本の3倍ほどの分厚さをしている。
幸いなことに、昔から何かに熱中することが多かったためか集中力は切れることなくライラットを支え続けていた。
だがその集中力は今、手に取る本がなくなったことにより途切れる。
カラクリア王家の話。
ニア達にとってそれはラノアから聞いた話し方が真実であり、その他は嘘に塗れたものに他ならない。
——だが、実際は違った。
いつの間にか湧いてきた怒りを少しだけ漏らすように、ライラットは深くため息をつく。
「…ベネッサ様。どうか、安らかに…。あなたを殺したあの者にだけは、必ず私が報いを受けさせます」
崩れる本の山へと目もくれず、ライラットはただ、他の誰もいない暗い部屋の中でそう呟くのだった。
お待たせしました!長らく続いた日常パートですが、ここで一旦の区切りとなります!ここから続くは新展開——。




