案内人は伊達にあらず
「カナリア、ただいま戻りました!って、どうしたんですか?」
数時間後、日が沈み、辺りが完全な暗闇に覆われた頃。
選抜祭を満喫したオーゼンは満足そうな様子でその扉を開き、同時にその先に見えた景色に絶句する。
机の上に散乱したメイク道具の一式に、言葉など不要なほど虚無に染まった様子でそのメイク道具を掻き分け、机に伏すニア。
そしてその隣に備えられた椅子に当然のように腰掛けるヨスナ。
瞬間、ニアを置き去りにしてきてしまったことを思い出したオーゼンは気まずさからか、扉の外へと足を引き下げる。
だがその時、オーゼンが戻ってきたことで時間の経過を確認したヨスナは小さく一息をつくと、
「では、ここら辺でしまいとしましょう。付け焼き刃のメイク技術。私たちよりも数段劣るとはいえ、それでも教えたことを実践すれば、問題のない仕上がりになるでしょう。あとはカラリナ様ですが…」
「あー…それなんですけど」
会話を断ち切るように向けられた瞳に、オーゼンはわずかに言葉を濁らせる。
そうしてヨスナの目線に躊躇いを覚えること数秒後、決心がついたように、オーゼンは苦笑いしながらヨスナへと目線を返すと、
「私も招待もらっちゃいました」
「…ほう?」
瞬間、落ち着きを取り戻していたヨスナの瞳には再び小さな意思が宿り、その気配を感じ取ったオーゼンは反射的にさらにもう一歩を後方へと引き下げる。
だが机に伏せるニアの様子から、ヨスナがこれから言おうとしていることのおおよその概要は理解していた。
だからこそオーゼンは焦ったように手を大きく振ると、
「実は私昔とある街で案内人ってのしてまして…色んな人の案内とかして色んな人と触れ合ったりもしてきたわけなんです。当然女性の方も多くて、案内に関しては私のいた街では1、2位を争うくらいには私は案内人として優秀でして…まぁ何が言いたいのかって言いますと」
突如として始まった、オーゼンの過去の話。
だがそれはこの場において何の意味もなさず、何の効果を発揮することもない。
だからこそ、オーゼンはこれからが本題と言わんばかりに話を区切り、わざとらしく咳払いをしてみせる。
そうして自信ありげにヨスナの瞳を見つめ返すと、
「私、メイクとか結構出来ます」
「…は?」
伝えられたその言葉にそんな反応を返したのは他の誰でもないニアだった。
咄嗟に振り向き、オーゼンを見つめるニアの瞳にはわずかどころではない欺瞞が滲んでいた。
——だがその時、
「今なんと反応しましたか?“レヴィーナ様”?」
「あ」
挟まれたそんな声に、ニアは短い言葉と共に絶句する。
その様子は、肉食獣に見つめられ、動くことのできない小動物のようだった。
そうして撃沈したニアを横目に、ヨスナは再びオーゼンへとその目を向けると、
「レヴィーナ様はひとまず、カラリナ様。今おっしゃったその言葉の意味、わかっていますね?」
「あっ…えー…と…、はい!」
「わかりました。では早速ですが、その実力を見せてもらいましょうか。まさか、大見得を切ったのに逃げるなんてことしないですよね?」
見つめるその瞳には、ニアと同じ欺瞞と、使用人としてのわずかなプライドが垣間見えていた。
だがオーゼンもまた負けていられない。
生まれてからこの旅に加る寸前まで、自身の誇りでもあった案内人の格が今、試されているのだ。
そうして小さく深呼吸を繰り返したオーゼンは、続けてニアへと目を向けると、
「…なんでこっち見て…おいまさか…!実験台なんか嫌だからn」
「——これは…失礼しました。確かに、カラリナ様の言葉は嘘ではなかったようです」
「信じていただけたのならよかったです!実は私数日前まで街の外に出たことがなくて…メイクの実力も人に見せられるのか不安で、なかなか言い出せなかったんです」
「なるほど、そう言うことでしたか。ですが安心してください。これほどの実力なら、おそらく誰も文句を言わないでしょう」
賛美を繰り返すヨスナに対しオーゼンは満更でもないように笑みを我慢することなく披露し、その場は暖かな雰囲気に包まれる。
——ただ1人、有無を言わさずその実験台になった者以外は。
「…カラリナ様??すこーーし、あとでお時間よろしいですね???」
笑顔でそう言い放つのは他でもないニアであった。
ヨスナに呼ばれ、部屋の中心の椅子に腰掛けたニアは疲労困憊にも関わらずオーゼンのメイク技術と実験台となっていた。
にっこりと浮かべた笑みの中にはオーゼンですら分かるほどに隠しきれない怒りが紛れ込んでおり、だからこそ受けたオーゼンの苦笑いにも微かな焦りが姿を現す。
だがその時、背後から伸びた腕が怒れるニアの肩を掴み、
「レヴィーナ様?うつつを抜かしている余裕がおありとでも??」
その瞳には、オーゼンの技術を見たからこそ更なるやる気が渦巻いていた。
ニアにはもはや、逃げる選択肢は残されていなかった。
そうして訪れた次の日の朝。
「朝…」
机に伏したニアは、目覚めと共に自身が疲労のあまり眠りについてしまっていたことを自覚する。
ヨスナの講座は宣言された言葉通り日が昇るまで続き、だがそのおかげというべきか、無理矢理にでもその記憶には多少の技術が培われていた。
そうして小さなあくびと共に大きく伸びをした時、
「…?」
不意に自身の体から何かが落ちるような、そんな感覚が訪れた。
空気と見紛うほどに軽いそれは地面にわずかな音のみを生じながら着地し、ニアへとその存在を知らせる。
そうして目を向けた先にあったのは、
「…タオル」
地面へと舞い落ちた1枚の青いブランケット。
寝る寸前には存在しなかったそれは、状況から察するに眠るニアは誰かがかけてくれたのだろう。
——では、気持ち程度の温もりを与えるそのタオルを誰がかけたのか。
それはヨスナのいたはずの椅子に誰の姿も残されていないことから、おのずと推測できてしまう。
だからこそ、ニアは小さく笑みを浮かべると、
「…よし、行くか」
散らかっていたはずの道具は、着替えなどと一緒に丁寧に鞄の中へと仕舞われていた。
そうして慣れた手つきで鞄を拾い上げたニアは、やがて扉を開き、その外へと歩き始めるのだった。
初めて見た際には驚愕を覚えた宮殿も、数日を共にして仕舞えば図らずとも慣れが生まれてしまう。
その“慣れ”にわずかな寂しさを感じながらも、ニアはラノア達の待つ広間への扉を開く。
そうして光が舞い込んだ時、その先に立っていたのは、
「来たわね、レヴィーナ…いいえ、ニア!」
「お待ちしておりました」
変わらない長い階段の先に座るラノアは、初めてこの場へと辿り着いた時同様ニアを見下ろしながらそんな言葉を口にしていた。
だが、前回は部屋の隅にいたはずのヨスナがラノアの隣についていることだけが、ニアへ新たな1日が始まることを伝える。
「寝れたか?ニア」
その時聞こえてきた声に、どこか懐かしさを感じながらもニアは声のした方へと振り向く。
「声は男でも女装したままなんだな」
「まぁな、…いよいよだな」
ニアを安心付けるためか、オーゼンはその表情にわずかた笑みを浮かばせていた。
だが元はごく普通の一介の案内人に他ならない。
時間と共にその表情には緊張が浮かび始め、その瞳も揺らぎ始める。
それは仕方のないことだった。
10日も立たないほどに最近まで街からすら出たこともなかった少年が、これから王族の懐でスパイのような役割を担うのだから。
だが、そんなオーゼンの様子を見たからこそ、ニアはオーゼンの額を軽く叩くと、
「安心しろ。俺がいる」
できる限り明るく陽気に、オーゼンの心配をわずかにでも吹き飛ばせるように。
伝えられた言葉にオーゼンはわずかに面食らったように驚いた表情を浮かべる。
だが、次の瞬間には1人ではないということを思い出すと、
「あぁ!何かあったら頼らせてもらうぜ?相棒!」
大袈裟に、だが嘘ではない笑いをその表情に浮かばせると、そんな言葉を返して見せるのだった。
そうして改めて2人の意思を確認したラノアは小さく笑みを浮かべると、
「それじゃあ改めての確認をしましょう。ニア。オーゼン。あなた達にはこれから王家のスパイとして、王城へと潜り込んでもらうわ。そしてあなた達に探して欲しいもの。それはずばり、“夢のかけら”の在処よ」
「…夢?」
聞こえてくるとは思ってもいなかったその言葉に、ニアは思わず眉を顰めてしまう。
そして同時に、ニアの反応もが予想外だったのか、ラノアもまたわずかに首を傾げる。
そうしてカラクリアへと辿り着く寸前に体験したことを語るべく、ニアはラノアへと深いため息と共に口を開く。
「…夢の厄災。そう呼ばれる奴の遺した『守宮』のカラクってのとこの前戦ったばかりなんだよ。だからこんな場所でその名前を聞くのは予想外だし、出来るなら聞きたくはなかった」
「…!!!…『守宮』のカラク…聞いたことがあるわ。…それで、勝敗はどうなったのかしら」
「俺が生きてるってのがとりあえずの答えだと思うが。…まぁ、大半は一緒に戦ってくれた奴のおかげなんだけどな」
瞬間、ニアの言葉にラノアはヨスナと目線を交わし、同時に納得したようにアイコンタクトで互いに何かを伝えてみせる。
そうして改めてニア達へとその目を向けると、
「話が逸れたわね。夢のかけら。それはあなたの思っている通りの『夢の厄災』ヨハネが遺したとされる、願いを叶える代物…いわば奇跡の代物よ」
「『厄災ヨハネ』…どんだけこの世界に厄介事残してるんだよ…。事情はわかった。でもそんな物、既に誰かの手に渡ってるんじゃないか?」
「そうかもしれないわね。でも、そうじゃないかもしれない。私はそこに賭けたの。他の誰かよりも先に夢のかけらを手に入れ、必ず願いを叶えて見せる」
もはやこの旅が始まってからの全ての出来事に何かしらの形で関わっていると言ってもいいほどに、『夢の厄災』ヨハネはニアにとって聞き慣れた言葉になってしまっていた。
だからこそ、ニアの口からはどうしようもないため息がこぼれ落ちる。
だが、「必ず願いを叶える」そう告げたラノアの瞳には一切の迷いはなく、その瞳が、ただそれだけのためにこれまでの月日を費やしてきたのだと、そうニア達へと伝えていた。
「そして、ここからが絶対に覚えておいて欲しいこと。今回の任務にあたって、注意するべき人物をリストにまとめておいたわ。ヨスナ、お願い」
「かしこまりました。では僭越ながら…まず1人目、“老公カルデン”。富と実力を身につけ、ですがそれを傘に欲しいものは何が何でも奪いにくる。この方に関しては、関わらないのが最も有効な対処法と言えるでしょう。そして2人目、“アガルダ”。名称も何もない老いた執事。ですがその洞察力は凄まじく、一瞬でも油断すれば間違いなく瞬く間に今回の一件を勘づかれ、公に広がってしまうでしょう。そして、最後の3人目。最優にして、このリストの中でも最も注意するべき人材——“公爵ライラット”」
「あの人が!?」
瞬間、部屋全体に響くほどの大声で、ニアは挙げられた3人目の名前に反応してしまっていた。
それもそのはず、ニアからみたライラットは微塵も危険な人物とは映らず、礼儀正しいごく普通の好青年に見えていたからだ。
そうしてニアの反応を見たことにより、オーゼンの言葉が嘘ではないことを改めて理解したラノアは静かにため息をこぼす。
「公爵ライラット。以前オーゼン様にはお伝えしましたが、齢二十にして歴代カラクリア騎士の中で唯一二つ名を与えられた、紛うことなき英雄です。ニア様の実力は知りかねますが、ただ一つだけ伝えられることがあるとすれば、「絶対に勝てないから、戦いになった時点で全てを捨てて逃げてください」と。それのみです」
伝えるヨスナに嘘をついているそぶりはなく、同時にその言葉にもまた本気以外の感情は込められていなかった。
全てを捨てて逃げろ。その言葉は逆にいえば何か一つでも気にかけることがあってしまえば、逃げることすらが叶わないほどの存在ということの証明。
だからこそニアは想像すらしていなかったライラットの警戒度に、小さくその拳を握りしめるのだった。




