花はより可憐に
オーゼンは静かに焦っていた。
先程自らの目の前でレヴィーナ…もといニアと話していた、ライラットと呼ばれる者の表情。
それは長年様々な人をしてきたオーゼンだからこそ分かる、ある人たちの特徴と一致してしまっていた。
オーゼンの焦っていた要因。
それは至極単純、ニアを見ていたライラットの表情が——、
ーーこれ、惚れられてね?
杞憂かと思うその心配。
だが現に、ニアと話している最中、ライラットは隣に自身が立っていたにも関わらず一度としてその目を向けることをしなかった。
だが当の本人であるニアはそんなことに気づくそぶりがなく、観光を続けるべくさらに先へと歩いていっていた。
だからこそオーゼンはその肌に微かな汗を滲ませながら、ニアのワンピースの裾を軽く引くと、
「えっと…わ、私ちょっと急用を思い出しちゃって…一度家に帰ろうと思うの」
「そう?でも、そうね。私ももう十分楽しんだし、一緒に帰りましょ」
意図していないのだろう。
一刻も早くラノアへと伝えなければいけない要件ができたオーゼンへ、ニアは笑みを浮かべながらそう答える。
だがここで1人で帰るという案を強行して仕舞えば、それこそニアに変な違和感を与えてしまいかねない。
そうして足早にラノアのある宮殿へと駆け戻ったオーゼンは、有無を言わさずニアを他の部屋へと押し込み、一対一で対面できる状況を作り出す。
そしてあまりにも早い帰宅に驚愕の表情を浮かべるラノアへと状況を説明すると、
「はあ?!レヴィーナが惚れられた!?それもライラット…あの馬鹿に…はぁ…」
事情を聞いたラノアもこの事態は予想外だったのか、堪えきれない大きなため息と共にその額へと手を当てる。
そうしていつの間にか帰還していたヨスナもまた、声には出さずともどこか呆れた表情でため息をこぼしていた。
知人だったのだろう。
ため息をつくその姿はもはや慣れたような反応であった。
だからこそ、オーゼンは不思議そうに首を傾けると、
「危ない人なんですか?」
「…いいえ、むしろその逆。王族の中では1番のアタリと言っても過言じゃないでしょうね。容姿端麗、女子供にも優しく、誰も差別しないカラクリア国民からの支持も高い根っからの善人」
「…?じゃあなんでそんな厄介ごとに捕まったような反応なんです?」
「…それはあいつが、私たちの計画において最もハズレだからよ。公爵ライラット。齢二十にして、歴代のカラクリア騎士の中で唯一二つ名を与えられた、正真正銘の英雄よ」
平然を装いながらも隠しきれない焦りを見せるラノアを以って、オーゼンもまたライラットが只者ではないことを理解する。
その手のひらには、微かな汗が滲み始めていた。
そんな者の元にニアを置いても果たして平気なのか、と。
だがラノアはそんなオーゼンの焦りにさえ気が付いたのか、やがて表を上げると、
「まぁ、あの馬鹿のことだから下手なことはしないはずよ。そこは安心して平気。でも、そうね。その報告はすごく助かるわ。それと、レヴィーナにはこのことは伝えないようにしましょう」
「それはどうして?」
「あの子、多分嘘をつくの苦手なタイプでしょう?そんな子に「多分惚れられてるけど上手く誤魔化して」なんて言ってみて。今回の計画の全部が破綻するわ」
その判断は適切なようで、ラノアの普段から人をよく観察していることが表れている言葉だった。
そうして少しの沈黙ののちに目を合わせたオーゼンとラノアは、言葉すらが不要と言わんばかりに大きく頷くと、
「ヨスナ。理由はどうであれ、レヴィーナが正式に招待をもらった今、ここで明日までの時間を無駄にしているわけにもいかないわ。せっかく帰ってきてるみたいだし、引き続き、少しでも王族の礼儀を教えてもらえるかしら」
「わかっています。それとカラリナ様も、まだ王家選抜祭が終わるまで時間があります。レヴィーナ様はこちらで預かりますので、もう一度カラクリアへ訪れてみてはいかがですか?」
その言葉に、オーゼンはわずかに躊躇うような反応を見せた。
その様子に疑問を抱いたのか、ラノアはわずかに首を傾げる。
だが、やがてオーゼンはラノア達から背を向けると、
ーーさようなら、ニア…!!どうかお元気で…!!
これから再び行われる礼儀講座を思い浮かべ、オーゼンはニアへと小さな別れを告げたのちに再びカラクリアへと足を運ぶのだった。
オーゼンに別の部屋へと押し入れられたニアは、静かな空間の中で1人考え事をしていた。
ーー先生…何処にいるんだろうな。地図に記されてたのは間違いなくここ。でも先輩が言ってた通り先生が一国の戦力の大半を担ってるんだとしたら、この前カラクリアに足を運んだ時、先生のことを誰も話していなかったのは少し引っかかる…
確かに王家選抜祭は10年に一度の祭であり、カラクリアの民達から言えば注目度は灰庵が訪れるよりもはるかに上だろう。
もし残された地図が記した通り、灰庵がここを訪れていたのだとすれば、誰かしらがそのことについて触れていたとしても不思議ではない。
だが、誰も話してはいなかった。
会話する内容に溢れている、今日のような一大イベントではないごく普通の日常の中にも、灰庵の名前は一度として登場しはしなかった。
あり得ないことではない。
だが妙に引っかかる言葉にできない違和感に、頭を悩ませていたその時、
「——レヴィーナ様。ヨスナです。只今よろしいでしょうか」
「…?はい、大丈夫です」
コンコンと、木の扉を叩く音がニアの部屋の中を駆け巡った。
そうして脳裏を駆け巡る疑問を無理矢理にも一時押し除け、叩かれた扉をゆっくりと開くと、
「えーっと…ヨスナ様…?これは一体…」
手に持たれたのは大きなカバンに、丁寧に封をされた手紙。
予想外の荷物に目をぱちくりとさせるニアを置き、ヨスナは当然のように部屋の中へと踏み入る。
「レヴィーナ様の着替え等荷物一式と、王城の図が描かれた紙です。最低限ですが、あまり荷物が多すぎても不審に思われますからね」
そうして微かに開かれた鞄の隙間からは、ニアがレヴィーナとして生活するために必要な、化粧道具などの一式が揃えられていた。
だがニアはこの1週間のうちにメイク道具の使い方など教わってはいなかった。
「えぇ。言いたいことはおおよそ理解しています。ですから今からレヴィーナ様に教えるのは、このメイク道具の使い方、そして着飾る際に手本にするべきものの詳細などです」
「…なるほど?」
「とは言ってもメイク云々に関しては言葉で言ってもわかりはしないと思います。なので早速ですがメイクの時間といきましょう。大丈夫です。このまま日が昇る頃まで続ければ、自ずと多少はやり方を掴めるかと思いますので」
「…ん?」
瞬間ニアは硬直し、聞こえた言葉が聞き間違いであることを願うように脳内で何度もリピートさせる。
だがいくら聞き直そうともそれは聞き間違いなどではない。
何よりもニアを見るヨスナの無気力な、だがどこか燃えているように感じる瞳がそれが本気なのだということをニアへと理解させていた。
「あの…お手柔らかに…!!!」
そうしてヨスナが一歩を踏み出すたびに表情を引き攣らせるニアは、状況も理解できぬままにその手にメイク道具を握りしめるのだった。
瞬間、不思議とオーゼンの背筋には凍えるような感覚が訪れた。




