いざ王家選抜祭へ
ラノアの名により始まった、ヨスナの礼儀講座。
それはニア達が想像していたよりも、はるかに過酷なものだった。
「ニア様、そこの裾はもっと高く!そんな格好では不遜を働いていると思われても文句を言えませんよ!」
「っ、はい!!」
「オーゼン様、格好ばかりを気にしない!足元がおぼついてしまっていますよ!意識をもっと全体に!」
「はい!!」
一挙手一投足に一切の容赦なく指摘を施すヨスナのその姿は、気だるげだった様子とは一変し、ニア達に鬼の形相と錯覚させるほどだった。
初めは丁寧だった口調も、残りの日数が迫るたびに少しずつ強くなり始め、今では一つの間違いを犯す度に、より凶暴な鬼の形相が姿を現し始めていた。
比例するようにニア達の中にはヨスナに対する恐怖心が生まれ始める。
だが、だからこそ2人の成長速度は尋常ならざるものとなっていた。
二度と怒られたくない。
不純にも、そんな恐怖心はニア達の学習能力に同じ間違いを二度としないようにと完璧に覚えさせ、その動きもより洗練されたものとなっていった。
身振り手振りはもちろんのこと、口調や声色、言葉遣いまで、ヨスナは一回手を抜くことなくニア達を指摘し続けていた。
ヨスナの指導のおかげでニア達だった者は、やがて外見内面共に違和感がないほどまでの女性へと様変わりする。
そうして怯えたニア達を置き去りに、日が回ること1週間後…
半年分以上の指導を1週間の間に詰め込まれたニアとオーゼンは、いつかの玉座の部屋に集められていた。
「命名します。ニア、貴方の名はこの任務中、“レヴィーナ”。そしてオーゼン、貴方は“カラリナ”と名乗りなさい」
ラノアの伝えるその原型のない全くの新しい名に、今までのニアであれば間髪入れずに文句の言葉を垂らしていたことだろう。
だが今は違う。新たな名を授けられたニア達は流れるようにラノアへとその頭を垂れ、
「ありがたき幸せ。レヴィーナ、そしてカラリナ。ラノア様のご命令のために只今より行って参ります」
「えぇ、任せたわよ」
スカートの裾は地面へとつかないように微かに持ち上げ、見える足元は見えすぎないように細心の注意を払う。
1週間のヨスナの礼儀講座を乗り越えた2人は、もはやその礼儀作法がもとより身についていたものなのだと錯覚してしまうほどに、完璧にマスターしていた。
ニアの苦手としていた声も、今やニアとは似ても似つかない程に年頃の女性の声へと様変わりしていた。
元の姿を見ていなければ想像もつかないほどの変化を遂げた2人へ、ヨスナは変わらない気だるげな瞳の中にわずかな満足さを浮かべていた。
そうして何故かはわからないが、そんな2人を見たラノアもまたドヤ顔を浮かべてみせていた。
水鏡を後にしたレヴィーナ…もといニアは、意気揚々と出てきたらいいもののこの世界からの脱し方を聞いていなかったと、静かに思考を加速させていた。
ーーここからでる方法はわからないが、おそらく来た時と一緒…だよな
その背後に立つカナリナ…もといオーゼンもまた、肝心の元の世界への戻り方を聞いていなかったと、同じ場所を何度も右往左往していた。
ニア達は共に池の中へと突き落とされ、気がついた時にはこの世界に辿り着いていた。
この世界を行き来する方法が単純なものなのであれば、この池に見えるもの自体が転移のためのミラディアである可能性は高い。
故に、この池の中へと飛び込むことが元の世界に戻るための方法であるのだと。
だがもしその仮説が間違っていれば、使用人達が施してくれたメイクや気繕ってくれたドレス達もが無駄になってしまう。
そんな躊躇いがニア達に飛び込む勇気を与えず、やがてニアもまたその場で右往左往し始めてしまう。
その時、2人の背後から一つの影は忍び寄り、
「地界…元の世界へとお戻りになる際はこちらです。…今、わからないからとりあえず飛び込もうとしていましたか?」
「ヨスナ様!?」
「いや、まさか…はは」
かかった予想外の声に、ニア達は咄嗟に姿勢を正し、声のした方へと振り向いていた。
この1週間のうちに親の顔よりも聞いた声。
間違うはずもないその声の主に、ニア達は驚愕と共に苦笑でその場を乗り切ろうと試みる。
だがヨスナの瞳が2人を射抜いたことにより、咄嗟にニアは咳払いをすると、
「それよりも、ヨスナ様は何故ここに?」
「いつものことなのですが、お嬢様は優先するべきことのみを伝えてその他の些細な事を伝え忘れます。例えば、今回の王家選抜への参加方法。そして…ここから出る方法も」
一見愚痴のように語られるそれは、それを躊躇いなく語れるほどに長い時間を共にしたと言うことの何よりの証明でもあった。
簡潔に自身がここにいる理由を述べたヨスナは、やがてニア達をこの世界から地界へと戻すため、ついてくるようにと合図を出すとどこかへと歩いていく。
「…ここは?」
少しして辿り着いたそこには、不自然に置かれた陣のようなものがあった。
自然が囲む中に不自然に光り輝くそれは、まるで何者かが足を踏み入れることを待っているかのようだった。
そうしてヨスナは慣れたように陣の上へとニア達を乗せると、
「地界へと戻るための陣です。しばらく落ちるような感覚がありますが、どうか慌てないようにお願いします」
近くに立てかけられた杖のような木の棒を手に取ったヨスナは、少ししてからニア達と同じく陣の上へと踏み乗る。
そうして注意喚起を終え、ヨスナが陣の中心を棒で強く叩いた瞬間、
「…?…っ!!」
「…!!」
突然臓器の浮く感覚がニアの全身を襲い、その視界の全てを黒く埋め尽くしたことによりニアは焦りを覚えることを余儀なくされてしまう。
ヨスナの言っていた落ちるような感覚。
頭では理解していても冷静ではいられないその状況に、暴れ出しそうな手足を鎮めるためニアは全身に力を入れ、その目を瞑る。
——鼓膜の何処かで、小さな鈴の音が響き渡いた。
その鈴の音が合図になるように浮遊感は消え失せ、ニアはゆっくりと閉ざされた瞳を開き始める。
「到着です。慌てはしてもそれを表は出さなかったのは偉いですね。とはいえ、オーゼンさ…カラリナ様はこの有様のようですが」
いつか見た巨大な池のそば、辺りに生えた草木の中にニア達は座り込んでいた。
変わらない表情のヨスナは、ニアが目を覚ましたことにわずかな安堵を覚えているようだった。
だが、やがて隣にいるオーゼンへと目を向けると深いため息をつく。
釣られるように自身の隣へと目を向けたニアは、そこでようやくヨスナと同じく“慌てふためき、ひっくり返った”オーゼンの姿を捉える。
情けない様子に呆れを覚えるニアと同じく、ヨスナはオーゼンを起こそうとそっと細い手を伸ばす。
肌に触れた冷たい感触に小さな声を漏らしたオーゼンの瞳は、次第に開かれていく。
そうして映り込んだヨスナの姿に、何よりも先に無事に戻って来られたのだと言うことを理解し、次に目の前にヨスナがいると言うことの恐怖を思い出し、その意識を覚醒させる。
そんなオーゼンの様子に、心配が杞憂だったと理解したヨスナはかすかに微笑んでみせていた。
やがて辺りの景色を見回すオーゼンは、自身の今いる状況を理解する。
その様子を確認したヨスナは、浮かんだ笑みを潜ませるとゆっくりと立ち上がり、
「カラクリア内部まで私が案内いたします。ですが、そこからは私は干渉致しません。なので、カラクリアへ足を踏み入れたその瞬間から勝負は始まっていると、そうお考えください」
「「かしこまりました」」
「…あ、そうだ。それともう一つ言い忘れていましたが、今回の王家選抜。当たり前ですが他の方々も新たな王家の座を狙っています。ニアさ…はぁ、レヴィーナ様方よりも可憐で美しい方も少なくないでしょう。ですが、どうか自信を失わないように。自分を魅せる事を忘れることのないようお願いします」
伝えられたその言葉に、ニアはわかっていながらも心配を抱いてしまう。
伝えられたヨスナの言葉。それはニア達が美しくないということでなく、単にそれ以上に身なりに気を遣った者達が多く存在しているという事。
だが、それでもニア達を見つめるヨスナの瞳に迷いはなく、だからこそニア達もまた不思議と不安を感じることはなかった。
「では参りましょう」
そうして何処かから、いつかのローブを取り出したヨスナは再びその足をカラクリアへと向け、進ませ始める。
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「おぉ…」
目の前に広がる光景に、ニアは誰にも聞こえないほどに小さな声量で、感嘆の声を漏らしていた。
1週間前に訪れた際にはなかった豪華な装飾の施された街並みやそれにおいて行かれない程の人々の活気。
それは今日という日に王家選抜があるためか、もとより華やかさを身に纏っていたカラクリアの街並みは、さらにその魅力を増していた。
同時に、そこにいる人々の装いをその視界に捉えたからこそニアは再び気を引き締めると、目の前を先導するヨスナの後をついていく。
ーーやっぱりみんな今日のために色々と準備してるんだな
ラノアの言葉を得てから改めて見れば、初めて訪れたその時からカラクリアの中には女性の姿が多く存在し、その逆に男性の姿は数えられる程度のものであった。
それがこの祭に起因していたものだったのだと、ニアは点と点がつながったように静かに納得する。
何気なく家の前に屯する少女ですら、その身なりは華麗に整えられている。
ヨスナの言った通り、ニア自身が見ても自分たちよりも綺麗だと思う人は少なくなかった。
だからこそ、ニアは誰にも聞こえないほどかすかに息を吐くと、
「…よし」
その先へと歩くニアとオーゼンの頭の中には、つい寸前に伝えられたヨスナの言葉がよぎっていた。
『まず一つ、王家選抜にこれと言った参加方法はありません。強いていうのなら、“王家選抜の選抜役の方の目に留まる事”のみ。そして選抜役もまた、普段の装いを捨て街並みに紛れ込んでいます。なので下手に気合いを入れてもかえって逆効果です。できるだけ自然に、そして可憐に。大丈夫です。私の教えた事をきちんとこなせていれば、まず誰の目にも留まらないということはないと思いますので』
カラクリアへと向かう途中、不要な気を張ることを懸念したのか、伝えられたそんな言葉はニア達にかすかな疑問をもたらしていた。
だが今、目の前に広がる光景を見たことによりその疑問は解決される。
ーー確かに、身なりは整っている人が多いが同時に動きが硬い人が多い…、ヨスナさんが言っていたのはこういう事だったのか
王家選抜の選抜役が人混みに紛れていることは、もはやカラクリアの人たちにとっても常識のようなものなのだろう。
そのためか、ニア達よりも華やかな装いをした者達ですら、その目線は一箇所にとどまることなくあちらこちらへと散乱していた。
それに比例し、その動きは集中力の終わり、そして緊張のためか時間と共に堅苦しいものとなっていく。
だがニア達は違う。ヨスナの礼儀講座を乗り越えた今、それ以上に恐ろしいものも緊張するものも存在しない。
だからこそ悠々と、そして凛とした立ち振る舞いで街を闊歩することができていた。
いつの間にか目の前を歩いていたはずのヨスナの姿は消え失せていた。
それは他ならぬ「後は任せた」と言うことの現れでもあった。
そうしてヨスナの行動の意味を理解したニアはオーゼンのその手を躊躇いなく引くと、
「参りましょう、カラリナ様!」
完璧に仕込まれた女声。
もはやその声の元にその者が男であることを気付けるものなど存在せず、だからこそ声をかけられたカラリナもまた乗り気に小さく笑うと、
「えぇ!せっかくの王家選抜祭、待っているだけじゃもったいですわ!」
その街並みの中へ、小さな足取りで駆け出すのだった。




