澄み渡る景色の元で
涙が落ち着いた頃。
ハドルは赤く腫れ上がった目元を拭っていた。
その足取りは、やがてニアの元へと向けられる。
そこに、先ほどまでの逃げ腰のハドルの姿はなかった。
瞳は、真っ直ぐにニアを射抜いていた。
「迷惑をかけました。あなたを命の危機に陥らせ、更にはその責任をとらせてしまいました。罰なら受け入れます。本当にすみませんでした」
「俺からも頼む。許してくれとは言わない。だから少しだけでいい、慈悲をくれないか」
止める間も無く、ハドルは頭を下げる。
その覚悟に続くように、オーゼンもまたニアへと頭を下げていた。
そんな2人へ、ニアはわずかにたじろぐような様子を見せる。
「あのな…お前ら、俺をなんだと思ってるんだ?ハドルって言ったか…、あの一件が君の意思でなかった以上、その責任を君に取らせるつもりはない。それに、例え君に罪があったとしても君はみんなを避難させてくれた。俺からすればそれは君のしでかした事よりももっと大きな、感謝するべき事なんだ。だから気にしないでくれ」
「…ニアさん」
予想外の言葉に、顔を上げたハドルの表情には驚きが浮かんでいた。
その隣で顔を上げたオーゼン。
ニアを信じていたのか、その表情には安堵の笑みが浮かんでいた。
「もし君がまだあの地獄を繰り返したいって言うのなら話は別だが、君はきっと違うだろ?」
「…うん、もうしたくない。僕はもう、誰も傷つけたくない」
迷うことなく言い切られた言葉。
その様子に、ハドルの前で屈み込んでみせる。
「ならそのままでいてくれ。それが俺の、君への罰だ」
「…!!」
目を見開くハドル。
やがてニアへと背を向けると、少し離れた地点に屈み込む。
突然の行動にニアは困惑を覚える。
その時、オーゼンがニアの肩を叩いた。
見ると、オーゼンはわざとらしく首を横へと振っていた。
直後、聞こえてきた微かな鼻を啜る声に、ニアはオーゼンの意図を理解する。
そうして2人は、静かに笑ってみせるのだった。
数分後、再びハドルの涙が落ち着いた頃。
オーゼンはその場で大きく伸びをしていた。
「…よし、んじゃあまぁ、一旦落着だな」
オーゼンが目をやった先には、オーグリィンの街並みが見えた。
何事もなかったかのように元通りになった景色。
その時、不意に視界の中を見覚えのある影が通り過ぎた。
「…アンセル?」
赤い髪に、身に鎧を纏った女性。
見間違えるはずもない姿。
無意識に声を漏らしたニアは、3人をその場に残したまま駆け出していた。
一歩を踏み出すごとに鮮明になる容姿。
アンセルもまた、誰かを探すように周囲へと目をやっていた。
「アンセル!」
「…!!」
呼びかけに反応するように、アンセルはニアの元へと振り返る。
やがてその瞳は微かに見開かれる。
その反応に、2人は互いに「記憶が残っている」ことを確信する。
「ニア…!!…場所を変えよう。幸い、部下達には既に事は済んだと伝えている。少しではあるが私にも仕事の暇に君と語るだけの時間は残されている」
「わかった」
誘うアンセルが何を語ろうとしているのかを、ニアは無意識に理解していた。
連れられ、辿り着いたのは人気のない草原だった。
「不思議なこともあるものだな。あれほど荒れ果てた地が見ると完璧に元の姿を取り戻し、あまつさえその出来事すら私たち以外の記憶には存在し得ないとは」
腰を下ろすアンセルは、何処か感傷に浸っているように見えた。
「そうだな、でも終わったんだ。俺たちは勝ったんだ」
2人が腰掛けるそこは他でもない、カラクと一線を交えた場所だった。
当たり前のように立つ木の一本一本が、戦いの風景を脳裏へと甦らせる。
その時、アンセルはニアへと視線を向けた。
「ひとつ聞きたい。カラクとの最後の攻防…あの時、奴の一撃は間違いなく君の腹部を貫いていたはず。どうやってその衝撃から逃れたんだ?」
「アストーだよ。あの瞬間、アストーは咄嗟に天啓を使って俺とカラクの間に壁を何重にも敷いてくれたんだ。ほんの少しの猶予。俺はその間に桜月を差し込んだだけ。あれがなかったら、俺はあの夢の中で野垂れ死んでた」
「アストー…なるほどな」
妙な反応を示したアンセルへ、ニアは首を傾げる。
「ではもう一つ。…ニア、君とあのアストーという者との間にはどんな関わりがある?」
瞬く間に塗り替えられた空気。
浮き立つ鳥肌が、その問答が冗談でないことを知らせる。
「関わりも何も、アストーとはあの戦いの直前に知り合っただけだ。…でも、そういえばあいつ、自分を“王”って言ってた」
「…王…か。わかった」
呟かれた言葉。
張り詰めていた空気は、やがて元へと戻り始める。
「アンセル?」
「いいや、なんでもない。協力感謝する。それと、今回の件が誰の記憶になくとも、勝てたのは君のおかげだ。改めて、ありがとう」
「いいや、あの戦いはきっと、この3人じゃなきゃ勝てなかった。礼を言うのは俺の方だ」
誰か1人でも手札が違えば、辿る未来は違っていた。
それほどまでに、全員が全力を出し切った戦い。
「そうだ、怪我は大丈夫なのか?最後のあの時、無理して天啓を行使してただろ」
「なに、心配は無用だ。奴の力の正体を聞いた時に思ったんだ。「勝ちさえすれば、それまでの道中にどれほど無理をしようとも全て元に戻るんじゃないか」ってね。結果としてそれは正しかった。あの時私は臓器の幾つかを代償に力を行使したが、今は何事もなく全て元に戻っている」
当然のように放たれた言葉に、困惑を覚えてしまう。
「…王番守人ってのは、そんなに自己犠牲が強制されるものなのか?」
「いや、私の独断だ。あの戦いには、柄にもなく私も熱くなってしまったからな。いっときの気の迷いだと思ってくれて構わない」
「気の迷いって…ならアンセル。今回は助かったが、ああ言うことはもう2度としないでくれ」
「ははっ、そうだな。私としてもあれほどの強敵でない限り、あんな激痛は2度とごめんだ…っと、少し長話が過ぎたな。ここへは君と…アストー君の安否を確認しにきたんだ」
「…そうだったのか。わかった、ありがとう。今度アストーに会ったらそのことも伝えておく」
「あぁ任せた。では私はこのくらいでお暇させてもらう」
手を振るアンセルは、やがて元来た道を歩いていく。
1人になった草原の中で、草木の揺れる音が鮮明に聞こえていた。
「…さて、俺もいくか」
短い息を吐く。
重い腰を持ち上げると、眩い光が目に飛び込んできた。
思わず目を窄めてしまう。
だが、見えた光が辺りの景色を照らしたことで、
「…こんなに天気が良かったんだな」
そんな当然のことに、笑みをこぼしてしまうのだった。
「…面識はなし、か」
一人森の中を歩くアンセル。
ポツリとそんな言葉を呟いていた。
それは、アストーと呼ばれていた存在へのもの。
しかし、呟かれたその言葉はただ疑問が湧いたがための独り言ではなかった。
——ニアが目覚めるよりもさらに数十分ほど前。
目が覚めたらアンセルは、ニアと同じく事態を飲み込めないでいた。
当然のように見える景色が、次第に何が起こったのかを知らせる。
その時だった。
「アンセルさん、お時間よろしいですか」
「…?あぁ、構わない」
深刻そうな表情を浮かべるのは、桃色の髪の少女。
オーグリィンへと訪れた際にも同行していた。
だが、今回の接触は前回にはなかった。
そのことに妙な違和感を覚えた時、
「アガット達からの報告です。つい数分前、森を探索中に3人の死体を発見した、と」
「…死体?」
それは、アンセル達と別れた別働隊からの知らせだった。
死体の発見。
物騒ながらに、力を持つ者が多く存在するこの世界においてそう言った事件は珍しいものではない。
「はい。ですが、ただそれだけではないんです。報告によると、その死因がどこか不審で、まるで見えない何かに押しつぶされていたかのようだった。と」
「…!!」
告げられた言葉に、目を見開く。
不可視の何かで対象を押しつぶす力。
そんな力を持つ者を、アンセルは1人しか知らなかった。
だからこそ、己が身一つでオーグリィンへと駆けつけた。
結果、得られた情報は自らを“王”と自称することだけ。
頼みの綱が断ち切られた。
手詰まりな状態に空を見上げると、
「…アストー、君は一体何者だ?」
青い空へ、そう問いかけるのだった。
これにて2章は終いです!!
いかがだったでしょうか。いやぁー、長かったですね。私自身試行錯誤しながら書いていたので途中途中で文が変になったりしていたかと思いますが、ここまで読んでいただきありがとうございました!
まだまだ物語は続きますが、三章を描くのにしばらくの期間を設けたいと思っています。
なので次会うのはまた一月二月後になります!それまで皆様、お元気で!!




