脅威
立ち上がったニア。
その異様な気配に、カラクはこれまでにないほどの警戒を露わにしていた。
体には、無数の傷が刻まれている。
ただ一つの技は通用しない。
全身を走る悪寒だけが、目の前の存在を脅威として知らせていた。
そんなカラクを他所に、ニアはウミへと視線を移していく。
「心配かけたな、ウミ。もう大丈夫だ。オーゼンたちと一緒に待っててくれ、すぐに戻る」
「…うん!!」
向けられた微笑みに、ウミは躊躇いのない笑顔で返す。
茂みの中へと身を隠すと、辺りが静まり返った。
姿が見えなくなった事に、ニアは安堵の息が溢す。
続けて、目の前に立つ2人の隣へと立ち並んだ。
「大丈夫か?必要なら、もう少しくらいなら私でも時間は稼げると思うが」
「本当は頼みたいところだが、生憎、異様に懐いてくれてる子と友人が待ってるんだ」
「…与太話はいい。それで、勝てる見込みはあるのだろうな」
問いかけるアストーの瞳には、欺瞞が含まれていた。
そんなアストーの瞳を見つめ返すと、
「いいや、ない。——今はまだ」
その言葉に、アストーは静かに目を瞑る。
「…なるほどな」
「この戦いの中で、必ずあいつに届く一撃を生み出してみせる。だからアンセル、どうかそれまで俺が死なないように守ってくれないか」
「…ったく、無理難題にも程があるんじゃないか?あいつと戦いながら君も守れって…」
確証はなかった。
命を賭けようとも、届くかどうかは定かではない。
それでも、戦う理由を思い出してしまっていた。
無茶で無謀な提案。
だが、だからこそアンセルは楽しげに笑ってみせる。
「あぁ、了解した。君の身は私が守ろう。だから、安心して死へ向かうといい」
「あぁ、任せた。無敗の守り手。…それと、アストー」
「わかっている。余の力は警戒されすぎている。詠唱を始めた時点で標的は余へと切り替わり、余という人手を失うだけ。ならば、余が暴こう。かのカラクの、その力の正体を」
「あぁ、頼りにしてる。その代わり、あいつの相手は任せてくれ」
「無論だ」
短い会話。
この状況において、それ以上の会話は不要だった。
「…さて、待たせたなカラク。終わらせよう、この戦いを」
殺気が、ニアの元へと集中する。
身の毛のよだつ感覚が、自身の成そうとしていることの無謀さを知らせる。
手のひらは、震えていた。
片目は血に塗れ、使い物にならない。
それでも、一歩を踏み出す。
——火花が散った。
甲高い金属音。
それは、動き出したカラクにアンセルが反応するよりも早く聞こえてきた。
「…」
一撃を受ける桜月は、ギチギチと音を立てている。
桜月を流すように傾ける事により、振り抜かれていたカラクの拳は地面へと墜落する。
そのまま逆方向へとぐるりと回転する事により、カラクの胴体へと振り抜く。
ーーやっぱり硬いな
思考は、やけに冷静だった。
目の前で迫る追撃の一手を捉えても、焦りは覚えなかった。
代わりに、打ち上げられた桜月を軸にさらに高所へと登ってみせる。
先ほどまでいた空間は消しとばされる。
ほどなくして、両者は地面へと降り立つ。
着地の衝撃に、ニアの表情が微かに歪む。
その光景に、アンセルは驚愕を覚えていた。
ーー何が起きてる…?ニア、君は一体…
先程までとはまるで別人。
しかし、当のニアは自身の変化に気づいていないようだった。
頭の中にあるのは、ただ単純な言葉。
ーー…着地、左、右と下…
その集中力は、ニアが望んだものではなかった。
一歩を踏み出すたびに、全身には激痛が走る。
限界を迎えた体は、痛みから逃れるために“痛み”を“冷たさ”と捉えるようになっていた。
気を抜けば崩れ落ちてしまう。
その限界が、ニアへ異常なほどの急成長を促していた。
ーー硬い。全身が同じほどの硬さをしてるな
火花と共に、体勢が崩れる。
目の前でカラクが追撃の構えを取る。
それでも、微塵も焦りは覚えなかった。
「そのための私だ」
声と共に、カラクの体は擦り下がっていく。
追撃するように、ニアは身を屈ませる。
やがて一歩を踏み出す。
瞬く間に目前へと迫ったカラク。
合わせたように、桜月は振り抜かれる。
幾度と経験した、弾かれる感覚。
それは、ニア1人の力である場合の話。
桜月の勢いが急加速する。
アンセルはニヤリと笑った。
振り抜かれた一撃が、カラクの足と接触する。
直後、鋼鉄の肌にヒビが生じた。
『…!!』
身を切り裂く不快感に、カラクは咄嗟に足を振り払い、後方へと飛び下がる。
滴る紫色の液体。
足は切れていない。
それでも、溢れ続ける紫色の液体が、重傷である事を知らせていた。
ーー私に案内できるのはこの程度だ。下手なことをして『修正』が発動してしまっては全てが狂う。頼んだぞ、アストー君…!
カラクの力の発動条件は、いまだに不明。
不用意に天啓を行使し、その条件には当てはまってしまえば全てが無に帰してしまう。
アンセルの思考は、この場から離脱した1人の少年へと向けられていた。
森の奥では、アストーが言葉を呟いていた。
「…否。それでは辻褄が合わぬ。範囲内にいる人数…否。おそらくあの力は奴が死した時点で発動するもの。一定範囲外からしか倒せぬのなら封印になど至るわけがない。何が違う…何が間違っている…?」
浮かび上がる思考。
その全てが、何らかの不可解に結びつき、砕けていく。
戦いが始まってからの記憶を、鮮明に思い出していく。
その最中で、ある言葉が脳裏をよぎった。
「…夢…?…奴は夢の産物…ならば夢と関係する何かが起因でもおかしくはない。考えろ、夢と関係する何か、そして奴の今までの行動の中にヒントがあったはずだ…夢…カラク………“意識”…?」
『適応』の能力。
一見ただ進化するためだけの力。
しかし、それは言い換えてみれば戦いを引き延ばすためのものでもあった。
点と点が浮かぶように、脳裏に無数の可能性がよぎる。
「意識…戦いの最中、誰かが意識を奴から逸らしたその瞬間に奴は力を身につけていた。『適応』のその発動条件は…“他者が自身から意識を逸らすこと”…?いや、…それが原因で勝ち目が薄くなる“何か”がある…?意識してしまう事により勝てなくなる…っ、まさか『修正』の発動条件、それは…!!」
全ての『適応』の発動タイミングは、カラクから意識が逸れた瞬間だった。
全ての事象は、やがて一つの線となる。
突きつけられる勝機の薄さ。
今尚戦い続けるニア達の方へと目を向けるのだった。




