地を踏み鳴らすは夢の跡 その三
「伏せろ!!」
突然アストーが声を荒げた。
その声に反応するように、ニアは考えるよりも先に身を屈める。
直後、咆哮が小部屋の中に響き渡った。
空気を揺らすそれは、耳を塞いでもなお脳を揺らす。
壁に、微かな亀裂が生じる。
「っ、逃げるぞ!」
その光景を見たニアは、頭痛に顔を顰めながらもアストーの手を無理やりに掴んだ。
そのまま2人は、辿った道を引き戻していく。
——その判断は正しかった。
2人が外へと飛び出ると同時に、塔は崩壊する。
風圧が、2人を突き飛ばす。
舞い上がった土埃が、再び2人の視界を遮った。
顔を上げた時、そこにカラクの姿はない。
代わりに微かに聞こえていたのは、
『…ァァ…ァ!!!!!』
地面から響く、絶叫の声。
姿が見えないにも関わらず、一切の油断を許さない。
「やはり自滅するほど愚かではないか…!」
刹那、積み上がっていた塔の残骸が弾け飛んだ。
飛び散った瓦礫は、あたりに甚大な被害をもたらす。
代わりに、ニア達の正面には再び『それ』が立っていた。
塔の崩壊に巻き込まれて尚、その姿には一切の傷がなかった。
わかりきっていなかったことながらも、呆れすら覚えてしまう。
だが、カラクはその場から動かない。
巨大な目は、じっとニアを凝視していた。
いつかの時と同じく、心臓の音が鮮明に聞こえる。
そんな中、アストーは深く息を吐く。
——そうして呟いた。
「行くぞ」
声と共に、カラクへと手を伸ばす。
そのまま拳を握りしめると、こちらへとぐっと手を引いた。
途端、カラクの体は何かに突き飛ばされるように急加速する。
その先には、ニアが立っている。
その姿を視認したカラクは、枝葉のように細い腕を握りしめ、振りかぶる。
ニアもまた目を瞑り、静かに桜月へと手をかける。
瞬く間に側へと寄ったカラクは、躊躇うことなくニアへと拳を振り抜き——、
「真喝」
反応するように、ニアもまた桜月を引き抜いた。
迫る拳と、桜月が衝突する。
枯れ木のような腕は、呆気なく切り落とされる——はずだった。
「な…っ!!」
互いの一撃がまみえた頃、体勢を崩されていたのはニアの方だった。
桜月は、確かにカラクの腕と衝突した。
しかし、接触したと同時に桜月は傷の一つも与えることなく、上空へと弾かれてしまっていた。
見えたのは、絶壁。
それでも微かに軌道をずらすことができた一撃は、ニアの右頬を掠め、通過していく。
生まれた風圧が、背後の木々を激しく揺らす。
意識を割かずともわかる、異次元の破壊力。
目の前では、カラクが膝を持ち上げていた。
それでも、打ち上げられてしまった体勢は躱すことを許さない。
「チッ…!!」
アストーが静かに舌打ちをした。
瞬間、ニアの体には見えない錘がのしかかったような重さが訪れる。
その重さは、打ち上げられた桜月もろともニアを地面へと伏せさせる。
間も無くして、ニアがいた空間をカラクの蹴りが通過した。
一拍遅れて、カラクの体は後方へと吹き飛ばされていく。
数本の木を倒していく。
その体には依然として一つも傷は見えない。
それどころか、カラクは空中で体勢を立て直していた。
その瞳は、アストーへと固定されている。
カラクの周囲の空間が歪む。
駆け出す暇を潰すように生まれたそれは、瞬く間にカラクの体を押しつぶすように迫り始める。
『シィ…ァァァ!!』
絶叫と共に小さくなっていく体。
「下がれ」
次の瞬間、四方の空間は小さなカケラとなり砕け散る。
不可視の障壁が抜け出したカラクは、地面へと墜落する。
ふらふらと立ち上がるカラク。
その姿に、2人は気を引き締め——、
「…!」
いつの間にか、カラクの姿が消えていた。
音もなく消えた事に、微かな間反応が遅れる。
代わりに、アストーはその場に残された土埃から標的が自身であることを確信する。
咄嗟に背後へと飛び下がり、前方の空間へと天啓を行使する。
——それがカラクの狙いであることを知るのは、間も無くのことだった。
天啓の行使と同時に、目の前に現れたカラク。
その身はアストーが天啓を行使した空間よりも、更に低く屈まれていた。
這うようにして射程圏内へと接近したカラク。
いつの間にかその拳は、握りしめられていた。
そのままアストーへと振り抜かれた一撃。
しかし、その寸前に一つの影が紛れ込んだ。
「ぐ…らぁぁ!!!」
消えたアストーの姿。
代わりにそこでは、ニアが桜月と共にカラクの攻撃を受けていた。
ガチガチという音と共に、火花が散る。
吹き飛ばされそうな全身に、無理やり力を込める。
「あぁぁぁ!!!」
全力を込め、桜月を上空へと振り上た。
連鎖するように、接していたカラクの拳は上空へと振り抜かれた。
わずかな間、辺りから酸素が失われた。
直後、目に見えるほどの風圧が上空へと舞い上がっていく。
受けきった両腕が、ビリビリと痺れる。
そのままニアは、受け身すら取れないまま地面を転がっていく。
「…っ!!」
同時に、体勢を立て直そうとしていたカラクの体は不可視の空間により突き飛ばされる。
「大事ないか」
「っ…かろうじて」
嫌でも理解させられる、絶対的な力の差。
そんな戦いを少しでも勝利へと近づけるために、隣に立つアストーの力を仮定していく。
ーー1つ、空間を凝縮する力であること。これは確定。2つ、天啓を発動する条件はおそらく『触れる』こと。繭を押しつぶした時も手で触れた直後に見えない壁に潰されていた。だが今回アストーはカラクに触れていないはず、だとすれば天啓を通してでも触れさえすれば力の発動は可能。そして3つ、凝縮する空間は同時に複数人方向から可能。そして耐久の限界を超えると砕け散り、霧散する。
視界の先のカラクは、ゆっくりと立ち上がり始めていた。
比例するように、桜月を握る手に力が込められる。
その時、アストーは当然のように呟いた。
「言っておくが、この戦いの鍵を握るのは主だ。余の力は攻撃に向かぬ。故に期待するな」
「どこが…、!!」
再びの爆発音。
その場から、カラクの姿が消え失せる。
「余が隙を作る。主が勝てねばこの勝負勝機はないと思え」
視界の先には、こちらへと急接近するカラクの姿が映り込んだ。
「走れ!」
身を低くし、ニアはカラクの元へと駆け始める。
瞬く間に視界の端から目前へと迫り来るほどの速度。
それほどの速度だからこそ、目の前から迫る不可視の障壁に気付かない。
ほどなくして、障壁はカラクと衝突し、砕け散った。
正面から衝突した障壁が、無理矢理にカラクの動きを鈍くさせる。
視界を覆う空間の破片。
その隙間から、一筋の刃が滑り込む。
「ふっ…」
一度は優に弾かれた。
しかしそれは、1人で振り抜いた場合の話でしかない。
カラクの首元へと迫る桜月。
突如としてその勢いは加速し、凄まじい勢いと共に急接近する。
そうして『不可視を纏った一撃』は振り抜かれ——、
「っ!?」
途端、カラクは後方へと引き下がった。
それでも、桜月の射程の内側。
しかし、その“わずか”がカラクの狙いだった。
目の前で急激に変化した一撃を脅威と判断したカラクは、先ほどまでの様子とは一変、防御の構えへと移行した。
「っ、あぁぁ!!」
その結果、刃と首元の間に腕を挟み込むことを叶えられた。
予想外の箇所での衝突に、桜月の勢いが和らぐ。
時間と共に、カラクの腕が桜月を押し返し始める。
それでもニアは、和らいでいく勢いを補うように力を振り絞る。
そうして、遂に一撃は振り抜かれた。
受けた腕は切り伏せられ、宙へと舞う。
その先の体は宙へと浮いた。
刹那、凄まじい速度で果てへと吹き飛ばされていく。
幾本もの木が薙ぎ倒される。
それでも勢いは止まらない。
空を切った桜月と共に、ニアは地面へと墜落する。
「…助かった」
ビリビリとした痺れが、手のひらから感覚を奪う。
「っ…!!」
瞬間、倒れた木により屯していた土埃は一瞬にして薙ぎ払われた。
その先に立つカラクの姿を、再び2人の視界に捉えさせる。
——だが、そこにいたのは、
「どうなってる…」
目の前の景色に、ニアはそんな言葉をこぼしていた。
それも仕方がなかった。
「姿が…」
2人の目前には、先ほどとはまるで異なる様相の怪物が立っていた。




