その話は唐突に
突如告げられた願いに、思考を停止させていた。
只事ではないと構えていたニアですら、予想外な言葉に反応を遅らせる。
「…どう言うことだ?」
「その前に、この頼みを受けてくれるかどうかの返事を聞かせてくれないか」
「それは、他の誰かじゃダメなことなのか?」
「…もう1人、助けを求めるよう手紙を出してるんだ。けどもう時間がない、その人が来る頃には手遅れになるような、そんな気がするんだ」
「…わかった。だが返事をするためにも、まずは話を聞かせてくれ」
「手遅れ」と言う言葉に、ニアは引っ掛かりを覚えてしまっていた。
それは制限時間がある時にのみ用いられるもの。
だが肝心の内容は曖昧なもの。
不信感を募らせながらも、慎重に少年の目を見つめ返す。
「この街…知ってると思うがオーグリィンはこの世界の中で最も人で溢れる街って言われてる。ここに住む人もみんないい人で、治安の良さも自慢できることの一つ。だけど最近、俺たちの足元。この地面の下から不思議な音を聞くんだ」
「音?」
「そう。何かの心臓の音のような、鼓動するような音が聞こえるんだ」
「それは…聞き間違いじゃないのか?そもそもこんなに大勢の人がいる中で地面から聞こえる一つの音を聞くことなんて出来るのか?」
「始めは俺も幻聴かと思って気に留めなかったんだ。でもその音はその日以来ずっと聞こえて、しかも俺にしか聞こえてないみたいなんだ」
にわかには信じることはできない。
しかし、焦る少年の様子にまたしても嘘をついているそぶりはなかった。
「到底信じられないが…」
「本当なんだ!!…それに俺の家族にこの事を話そうとしても、気味の悪い笑みを浮かべるばっかりで真面目に話を聞いてくれなくてさ」
自嘲する少年。
その脳内には、いつかの日の記憶が蘇っていた。
それは数週間前の、聞こえる音が幻聴ではないことを確信した日のことだった———。
「…やっぱり変だ」
数日間もの間、絶えず聞こえる音。
聞き間違いではないと確信した少年は、遂に家族にも打ち明けるべく階段を駆け降りていた。
キッチンでは母が料理を作っており、鼻を掠める料理の匂いが空腹な体に食欲をそそらせる。
そんな空腹を素通りし、母の背後で足を止めると、
「…母さん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど…いい?」
「んー?なあに、どうしたの?」
「母さんに聞こえてるのかはわからないんだけど、いや、信じてもらえるかもわからないけど…最近、足元…?から、変な音が聞こえるんだ、それで母さんなら何か知ってない…か…って…?」
勢いを失っていく言葉。
それは、当然のことだった。
何故なら少年の言葉に反応するように振り向いた母の表情には——、
「母…さん…??」
貼り付けられた能面のような笑みが、そこには存在していた。
普段の温厚な人柄からは想像もできない、狂気に満ちた表情。
——息が詰まる。
発そうとした声が、掠れた音として漏れ出す。
刹那、扉を押し開け、少年は裸足のまま家を飛び出していた。
街の人々にも尋ねて回った結果、音が他の人には聞こえないことを知った。
そして、この街に住む誰もが、『音』の話をした途端に同じ笑みを浮かべることも。
それ以降、狂気の笑みはどうしようもないトラウマとして記憶に刻まれてしまった。
そうして街の誰も信用できなくなった少年は、やがて誰にも打ち明けられなくなってしまっていた。
「それで、その音は今も聞こえるのか?」
「最近はずっとじゃなくなった。けど代わりに、前より大きな音で一日に数回聞こえるようになったんだ」
「今日は?」
「今日も聞こえた。それもついさっき、買い物をしてる時に」
「…!!」
その言葉に、ニアは微かに目を見開く。
「信じられないのはわかってる。でも本当のことなんだ。だから俺は今あんたをここに呼んでこんな話をしてる」
「この地下に何かがいるって記録はないのか?」
「分からない…俺もそれを気になってこの街の歴史が記された本をいくつか読んだけど、そのどれも何故かここ3000年より前の記録は何もないんだ。おかしいんだ、この街は4000年近く前からあるっていうのに…」
意味深に放たれた言葉に、再び眉を顰めてしまう。
しかし、その矛先は少年ではない。
ーーこの言葉が本当だとして、この1000年の間に、記録すら許されない何かが起きた…?いや、まだ続いているのか…?
残る疑問はもう一つあった。
ーーそれに、もしこの場所でそんなことが起こったのなら、なんで今こうして街が立ってる…?
よぎる疑問は、ニアの思考を攫っていく。
同時に、その全てが”触れてはいけない禁忌だから“と言う結論に辿り着く。
だからこそ、ニアは深く息を吐くと、
「…すまないが、俺にはどうすることもできない」
「信じられないのはわかってる。でも…!」
「信じるよ。お前が真面目に話してるって言うのは俺にも伝わった。でも、だからこそこれは関わらない方がいい一件な気がしてならないんだ」
「そんな…」
心が痛まなかったわけではない。
現に、絶望に伏せる少年の顔を見ることができなかった。
それでも、ニアは理解してしまっていた。
少年の持ち掛けたこの話が、極夜の一件と同じ、身の丈に余る程に巨大な何かであることを。
「すまないな」
去っていくニアの背中を、少年はただ見つめていた。
縋りついた希望にも振り払われたためか、或いはこれから起こることへの阻止を諦めたためか。
その心情がどれほどのものだったのか、わからない。
——わかったのはただ、俯く顔に絶望が浮かんでいたことだけだった。




