翼の少女
セレスティアを背に、ニアは歩き始めた。
別れが、ニアの胸に微かな寂しさをよぎらせる。
だが、きっとまた戻ってくる。
不思議とそんな確信があったからこそ、深々とした別れを告げることをしなかった。
灰奄からの地図に記されていた印。
それはセレスティアから見て東北にずいぶん進んだ先の、水辺の中に建った国のような場所だった。
そこへ進むためには、目前に広がる、果てしない森林を抜ける必要があった。
「何日かかるんだ…?」
背負った鞄には、数日分の食料が詰め込まれていた。
それでも足りるかどうか疑問に思ってしまうほど、地図で見ても巨大な森だった。
だが、考えていても仕方がない。
ニアは深くため息をつくと、茂みの中へと身を投じるのだった。
「…何も出ないよな」
生き物の気配のなさが、かえって緊張感を抱かせる。
ただですら薄暗かった森。
それは時間と共に彩度を増し、遂には周囲を完全な暗闇で包み込む。
ーー…仕方ない。
どこか広いところに出たらそこで今夜は過ごすか
足元すら見えないほどの暗さは、先へと進むことを躊躇わせる。
そうして断念したニアは、代わりに横たわれる場所を探すべく慎重に足を進めていく。
だがその時、不意に一つの物音がニアの鼓膜を横切った。
ーー…今、何か…
耳を研ぎ澄まし、周囲へと意識を向ける。
風の横切る音すらが鮮明に聞こえる。
その中で聞こえてきたのは、
「———」
それは、幼い子供のような声だった。
不鮮明な声は、内容を伝えない。
そんな声の方向を確認すると、ゆっくりと足を進めていく。
少しずつ大きくなる声が、進む道が正解だと知らせる。
——そうしてニアは、状況を理解する。
「か…!たすけて…だれか…!!」
聞こえてきたのは、少女が助けを呼ぶ声だった。
裏返る声が、緊急性を物語っている。
だからこそ、ニアはそれ以上進まない。
代わりにその場にそっと屈むと、目を瞑り、再び耳を澄ませる。
「…い、お前に人権なんて…」
「…やく連れていけ、世が明ければ…」
「…ちっ、うるせえガキだ」
少女の他に聞こえてきたのは、3人の男の声だった。
声色からして、少女の味方でないことは理解できた。
ーー場所は…そこか
静かに草木を掻き分け、声のした方へと進む。
そうして森の先に光が見えた頃。
ニアは、事態の全貌を把握する。
「…けて!たすけて…!…だれか…」
「うるせぇ、誰も来ねえよ」
少女と、それを連れる3人の男。
ニアが予想していたのは、そんな人数だった。
だが見えた視界の先には、もう1人男がいた。
白く、長い顎髭を伸ばした男。
長い髪は後方で総髪のように結ばれている。
近くの岩に腰掛けるその男の片目には眼帯が付けられており、齢は50を少し超えるほどに見えた。
その者達が囲む中心に、少女はいた。
手には、石の枷が付けられている。
それから伸びる鎖を、眼帯の男が握っていた。
——その姿を見たニアは、目を見開いてしまっていた。
外見はボロボロであり、身につけた服は所々が破れている。
腕にできた紫色のアザが、受けた扱いを知らしめ、傷だらけの足が、どれほどの時間歩き続けてきたのかを理解させる。
だが、それよりもニアの意識を釘付けにしていたのは、
ーー…翼
少女には、『翼』が生えていた。
傷だらけの体に似合わないほど、白く輝く翼。
背中に見えるそれは、月夜に照らされる事により降り注ぐ月光を満遍なく反射していた。
神々しさすら感じるほどだった。
その姿に、ニアは見惚れてしまった。
油断に草木が揺れ、静まり返った森に微かな音が響き渡る。
「誰だ!」
瞬間、男達は警戒を露わにする。
眼帯の男だけが、動じることなく静かに目を瞑っていた。
ーーまぁ、仕方ないか
どうせこのまま見て見ぬ振りってのも出来ないしな
男達に聞こえないほどのため息と共に、ニアは諦めたように立ち上がる。
「追手…?いや、ガキ1人…?へっ、なんだ、驚かせやがって」
途端、現れたのが齢20にも満たない少年だと理解した男達は、わざとらしく大きく笑う。
3人の男の中でも、一回り体の大きな男は一歩前へと進み出る。
続けてニアへと指を指すと、
「何処で情報をかぎつけてきたか知らねえが、このガキは渡さねえぞ」
「…なるほどな」
改めて状況を確認したニアは、やがて視線を少女と、眼帯の男へと向ける。
そうして小さく肩を落とすと、
「やる気か?ははっ、おい、お前ら」
「わかってるぜ?」
「もちろんさ」
柄へと手をかけ、意識を集中させる。
同時に、合図を受けた2人の男が動き始める。
息を合わせるように左右へと分かれた男達。
やがてニアの両隣を囲んだことにより足を止める。
刹那、眼帯の男は瞳を開いた。
持ち上げた視線は、品定めをするようにニアを見据えていた。
ーー3人、それも慣れた動きで死角へと回った。
この男が正面で戦い、油断した一瞬のうちに死角から襲うのがこいつらのやりかたなんだろうな
正面に立つ巨体の男。
その手のうちには、いつの間にかナイフが握られていた。
立ち姿が、接近戦を得意としているのだと嫌でも理解させる。
「さて、いくぞお前ら」
号令と共に、巨体の男は動き始める。
その表情には、慢心の笑みが隠しきれていなかった。
踏み締められた地面は沈み、潰された花は人知れず終わりを告げる。
ーーこいつに捕まることなく後ろの2人にも注意して、なおかつ勝利する、か…
今更だが、病み上がりには中々に厳しい難題だな
半歩足を後ろへとずらすと、ニアは抜刀の構えをとってみせる。
静かな夜の戦いの火蓋は、切って落とされた。




