↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
遠い世界の君から  作者: 凍った雫
夢と旅路
PR
34/105

行ってきます

 どれほど歩いただろうか。


 踏み出した足はいくあてもなく彷徨っていた。

 見えた景色の全てには、エリシアの面影が染み付いてしまっている。

 いつか本を買いに来た店。

 ニアの成長を祝うために訪れた、少し高級な店。

  

 ——そして、今は赤くシミのついてしまったその服を買った店。


 行き交う人々が、ニアの肩を押し流していく。

 その中で、遂にニアの精神は限界に達し、


「…っ」


 途端、人混みを抜け出すように、駆け出していた。

 いくつもの思い出が、通り過ぎていく。


 息が切れるほど走った。

 ふと目をやった時、その先に見えたのは、


「…いつの間に」


 見慣れたはずの一軒家。

 

 人気のない様子は、静かにニアが来るのを待っていたかのようだった。


 数十日ぶりに、ニアは家へと戻ってきていた。


 エリシアと共に暮らした、何よりも思い出が染みついた場所。


「…」


 思い出から逃げたはずが、思い出の中心に戻ってきてしまっていた。

 そのことに気づくや否や、ニアは静かに自嘲する。


 手を伸ばしていく。

 掴んだノブは冷たかった。


 ニアはそのまま扉を押し開くと、


「…ただいま」


 家へと、帰るのだった。


 最初に目に映ったのは、目の前の廊下の先にあるリビングだった。


 水切りカゴには、食器が立てかけられている。

 心なしか、埃を被っているように見えた。

 

 そんな埃を軽く水で洗い流すと、食器棚の中へと片付けていく。

 一通りの食器が片付いた。


 ニアは視線を部屋の中へと彷徨わせていく。

 やがて、一つの部屋へと辿り着いた。


 廊下の左側に備えられた部屋。

 そこは、エリシアが趣味で集めたと言っていた本が大量に詰め込まれた部屋だった。


 部屋の中に立った本棚には、変わらずぎっしりと本が詰め込まれていた。

 だがそのどれもがかなり古いものばかりなためか、元々の古傷も相まって、あまり変化は見えなかった。


「っ…」


 胸の奥が、締め付けられていく。

 

 直後、ニアは力任せに扉を開くと、家から飛び出していく。

 行き先など、何処にもなかった。


 それでも、心を取り巻くやるせない気持ちがニアの足を進ませる。

 だが、そんなニアが辿り着いたのは、


「…ほんとに、なんでだろうな」


 見えた景色に、ぽつんと声を漏らしていた。


 目の前には、一軒の小屋が立っていた。


 ——それはニアがエリシアと共に稽古を積んだ、家を除けば最も長くの時間を共にした場所。


 壁には数本の木刀が立てかけられていた。

 前日には雨が降ったからか、微かに濡れている。


 それは当たり前だった。


 悩むまでもなく、ニアがこの世界で最も多くの時間を共にしたのはエリシアだった。

 知り得る場所の全ては、エリシアに連れて来られた場所なのだから。


 目の前にその小屋が見えた今も、ニアはその場を去ることをしなかった。

 ——できなかった。


 いつの間にか、足は小屋の元へと進んでいく。


 心の何処かで期待していた。


 開かれた扉の先には、昼過ぎにも関わらず起きたばかりのようなボサボサな髪をした灰庵がいることを。

 慣れない仕草ながら、他人に吐き出すことのできなかった弱みを聞いてくれることを。


 ——だが、そんな都合のいい現実は訪れない。


「…」


 開かれた先には、先ほど(家)と同じ薄暗さだけが待っていた。

 そこに人気も、人の姿もない。


 微かに舞った埃が、鼻を掠めていく。


 その時、机の上に何かが置かれていることに気が付いた。


「…?」


 白く、封筒に入った紙。

 不思議と、置かれてからあまり日が経っていないように見えた。


 吸い寄せられるように、腕が伸びていく。


 ニアが目覚めてから、灰庵は一度も見舞いにやって来なかった。

 適当な性格であろうとも、灰庵が弟子を無碍にするような人間でないことは、ニアにもわかっていた。


 だが、手紙に書かれていたのは、そんな期待とは真逆にも取れる内容だった。


『何があったのか、おおよその事は聞いた。おそらくこれを見ているのもニアだろう。直接会いに行けなくてすまない。厄介な連中に目をつけられて、しばらくは戻るのに時間がかかりそうだ。だが、今君はひどく落ち込んだ顔をしているだろう。身の回りに起きた全ての事象を、自分のせいだと考えてしまっているだろう。だから、ただ一つだけ。——前を向け。君の為すべきことのために。』


 それは、他でもないニアへと向けられた手紙だった。


「ほんとに、何処までわかってるんだよあの人…」


 短く呟いた。

 その声は、微かに震えている。


 簡潔に綴られた文は、あの適当な灰庵とは思えないほどに真剣な物言いだった。


 当然のように現状を言い当てる灰庵に、表情にはいつの間にか苦笑が浮かんでいた。


「…前へ、か」


 独り言のように、こぼれ落ちた。


 いつの間にか頬を伝う雫が、握られた手紙に跡を残す。

 滲む視界に、ようやく自身が泣いていることに気付いたニアは、やがて拭うべく手紙から手を離し、


「…?」


 握っていたその箇所には、小さく文字が記されていた。

 

 見ると、ただ一言「うら」とだけ書かれていた。

 不思議に思いつつも、書かれた通り手紙を裏返し、目を向ける。


 見えた裏面には、文字が記されていなかった。

 そこにあったのは、何処かの風景を記した地図のようなものだけだった。


 それはどうやらセレスティア周辺の地図のようで、地図の中には2箇所の印が付けられていた。


 ニアが今いる小屋らしき地点には◯印(まるじるし)。

 

 もう一つは——、


「…行けってことか?」


 遠く離れた地点に、×印(ばつじるし)が記されていた。


 それにどんな意図が込められているのか、わからなかった。

 ただ、先ほどの文面と同じ紙に記されている以上、この地図にもきっと何か意味があるということだけはわかった。


「…行ってみるか」

 

 近くの机から別の紙を引き出すと、地図だけを書き写していく。

 エリシアが目覚めた時、自分の居場所がわかるようにと考えてのことだった。


 そうして書き終えると、ニアは手紙を机の上に置く。

 代わりに地図を書き写した紙を握りしめる。


 悲しみが完全に晴れたわけではなかった。

 心は依然微かに曇っており、足取りも重苦しいことに変わりはない。

 ——それでも、


ーー強くなるんだ、ここから一歩ずつ。

もう、誰も失わないために。



 歩く気力を失っていた自身へ、この手紙は再び歩く理由を与えてくれた。

 道を記し、無力に嘆く自身へ踏み出す勇気を与えてくれた。

 

 それだけで、今のニアにとっては十分過ぎることだった。


 静かな決意と共に涙を拭う。

 いつの間にか袋に詰められていた、少しボロボロになってしまった羽織を身に纏う。

 

 やがて扉は開かれ、重い足取りは小屋の外へと一歩を踏み出す。


 瞬間、開かれた扉からは再び微かな風が部屋の中へと舞い込み、ニアの全身を横切っていく。

 これからの新たな一歩を祝福するように、日の光がその全身を満遍なく包み込んだ。


「よし…いくか」


 吹き抜ける風が、辺りの草木を静かに揺らしていく。


「——…そういえばこんな色だったっけな」


 自覚と共に、色褪せていた世界に色が蘇っていく。

 どこか懐かしく思えてしまった見慣れたはずの景色に、微かに頬を緩めていた。


 足の重みは、徐々に消えていく。


 その時、不意に飛んできた木の葉がニアの頬を通り過ぎた。

 釣られるようにして背後へと振り向いたニアは、その視界に映った王都セレスティアに気づいた。

 再び小さく笑ってみせると、


「行ってきます」


 この世界に来てからの全ての時間を共にしたその国に、そして長い眠りについた少女へ、そう言葉を残すのだった。


 木の葉は、いつの間にかその姿をくらませていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。