生き延び、葛藤
白い部屋の中。
ニアは、アンセルと話していた。
「…パニブリカにアルクヘラン…か。にわかには信じられないが、君のその体が何よりの真実だと伝えている。よく生きて帰ってきてくれた」
「正直、まだ夢の中なんじゃないかってたまに思うんだ」
「あぁ、無理もない。存分に休むといい。アングレインという者についてもこちらで調査しよう」
「ありがとう」
「気にするな」
アンセルも、初めは怪訝な顔をしていた。
だがニアの言葉の具体性から、語り終える頃には親身に耳を傾けてくれていた。
そうして極夜での一部始終を聞いたアンセルは、ゆっくりと立ち上がると、
「では早速だが、私は今聞いた話を報告しに行ってくる。信じてくれるかは五分五分だが、少なくとも私は君を信じている。それじゃあまた来るが、安静にな」
アンセルの瞳に、嘘はなかった。
そのことが、ニアの心の支えとなっていた。
やがて扉のそばへと辿り着いたアンセルは、手を振りながらその場を後にする。
ーー極夜のあの光景。あれはエリシアが成した事なのか…?
だとすればそれは私に見えていた情報とは相違する…どうなっている…、?いや、私情は後だ。どちらにせよ、まずは先ほどのことを伝えなければ
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
その頃、アンセルの脳内には絶えず疑問が渦巻いていた。
ニアを医療所へと送り届けた後、アンセルは極夜へと一度足を運んでいた。
そうして見えた景色に、アンセルは息を呑んでいた。
「…極夜には白い空が存在していた…か。…やれやれ、王番守人の総括になんてなるんじゃなかったかな」
黒い空に迸る、技の跡。
それは雲を引き裂き、微かに白い空を露呈させていた。
引き裂かれた隙間からは光が差し込んでいる。
燃える大地の片隅には、白い花が揺れていた。
「…クソッ…」
足跡が遠ざかっていく中、静かに吐き捨てられた。
それは無力な自分自身への言葉。
1人の空間が、孤独を嫌というほど突き詰める。
何かをしようにも、痛む体がそれを許さない。
「…寝よう」
逃げるように目を瞑り、暗い夢に沈んでいく。
———数日が過ぎた。
自責の念は、絶えず思考を蝕む。
ニアの精神は、限界と呼べるほどまでに追い詰められてしまっていた。
ベッドの上での生活はひどく退屈な物であった。
鍛錬に勤しむこともできず、完治を願う毎日。
だが、そんな毎日の中に、わずかな変化が生まれていた。
「元気か?」
「仕事はもう平気なのか?」
「そういう訳ではないんだがな。なに、私個人の身勝手だと思ってくれ」
初めは極夜での詳細を聞きに訪ねていたアンセル。
だが、それも終わったのか、最近は毎日のように見舞いに訪れていた。
「これは?」
「見舞いの品だ、気が向いたら食べてくれ。手は使えるか?」
「いや、まだなんとも。それより、丁度空腹なんだ。よければ一緒に食べないか?」
「あぁ、よろこんで」
ニアの言葉に微笑むアンセル。
何処からかナイフを取り出すと、慣れた手つきでカットしていく。
そんなアンセルに、少しだけ気が和らいでいた。
それからしばらくが過ぎた。
「…よし」
ついに訪れた退院の日。
自らの手を握ったり開いたりするニアは、調子を確かめるように何度も力を込める。
丁寧に畳まれた服は、横たわっていたベッドのすぐ横に備えられていた。
エリシアと買った服は、極夜での負傷のせいで着ることができなくなっていた。
だがアンセルが気を利かせてくれ、退院する前にと一式を揃えてくれていた。
思い出の品を手放すことに、躊躇いがないわけではなかった。
ただ、エリシアが目覚めた時、不恰好な姿では感動の再会が台無しになると、そう考えての事だった。
服の隣に置かれている桜月は、心なしか少しの埃をかぶっているように見えた。
桜月へ触れるのが、随分と久しぶりのように思えた。
わずかにかぶった埃を払い落とし、そうして腰へとかけてみせる。
地面へとついた足はじんわりと広がる冷たさをその足裏へ伝え、靴を履くことによって遮断される。
瞬間、身体はほんの少しだけ崩れ落ちる。
横たわる日々が多かったせいか、ニアは自身の思っている以上に体のコントロールを失っていた。
不器用さに慣れるように、ゆっくりと出口まで歩き進める。
出口には、見慣れた顔の老人が立っていた。
そうして再び歩けるようにまで回復したニアへ、優しい笑みを浮かべると、
「気をつけて行ってくるんだよ」
「はい、本当にありがとうございました」
老人の言葉に深々と礼を返し、やがて背を向けていく。
ニアと老人が互いの姿を視認できなくなった頃、老人は深いため息をついた。
その表情には、傷よりも深い何かを抱えた少年への、心配が浮かんでいた。




