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遠い世界の君から  作者: 凍った雫
遠い世界
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22/105

唯一の技で

「…」


 手放すナイフと共に、腕につけられた傷。


 地面を転がっていくルエアは、瞬く間に体勢を立て直す。

 その瞳には、明確な殺意が込められていた。


「何をした…?見切られた…?違う、どうでもいい、なんでもいいの、死んで」


 吐き捨てるルエア。

 そこに、先ほどまでの縮こまっていた少女の姿は何処にもない。

 ただ、殺意だけを纏った凶殺者が立っていた。


ーーやっぱり、あいつの力はただ『見えない』だけだ。確実にその場にいるし攻撃も当たる。

その足音が速く聞こえるのは見えてないから起こるただの“勘違い”。

実際はごく普通の歩幅と足音だ。



『真喝(しんかつ)』

 それはこの一月の血の滲むような努力の果てに身につけた、唯一の技だった。


 攻撃を弾いてから相手へと切り返す他の攻撃とは違う。

 『真喝』は相手の攻撃…その風圧が、音がニアへと接した瞬間に半自動的に放たれ、相手の技が届くよりも先に切り伏せる。


 普通なら習得までに数ヶ月がかかる技。

 それを1ヶ月でものにしたのは、ニアの異常な反射神経あってのものだった。

 まさしく先手必勝の技。


ーーいける、この技なら…!



 構えさえ完成してしまえば、確実に当たる。

 勝ち筋が見えたことにニアが歓喜するのも束の間。


 立ち上がったルエアは背中へと手を回すと、その手に再びナイフを握りしめる。

 銀色に光り輝く刀身を視界に捉えた直後、

 ルエアの姿は消え——、


「っ…!」


 足音すら響かない。

 その身には幾つもの血飛沫が上がった。


ーーさっきよりも早い…つまりこれがこいつの本気…!



 足音は、雨のように四方のあらゆる場所で鳴り響く。

 その速度は、先ほどとは比にならないほど。


 ——息が詰まる。

 

 着実に身へと刻まれていく傷。

 

「くっ…!」


 比例するように意識は朦朧としていく。

 遊びではない。

 今度こそ、ルエアはニアを殺すためだけに襲い来る。


 猛攻に身を怯ませながらも、ニアは真喝の構えを取ろうと手を伸ばす。

 刹那、その喉元へはナイフが迫り来る。


 あえて目に見えるほどの速度で襲いくるナイフは、「次に構えようとすれば、その前に殺す」と、そう忠告しているようだった。

 

「痛い?ねえ、痛いのかな?あははっ!!」


 致命傷になる一撃は、なんとかいなしている。

 それでも、ニアに傷が増えるたびにルエアは楽しげに笑う。

 速度は加速し、その身に新たな傷を残す。


ーーどうする、真喝の構えを取ろうにも構えに移行しようとした瞬間の隙を狙われる…

かと言ってこのまま耐え続けるだけじゃじきにやられるのは俺の方だ…





 荒い呼吸を何とか落ち着かせる。

 平然を強制するようにその思考を回転させていく。

 だがその時、不意にルエアはニアの目の前へと姿を見せた。

 手に持ったナイフをニアの方へと向け、残虐に笑うと、


「終わらせるね、本気の一撃。お前じゃ防げない。死んで終わり」


 ——消えた。

 響く音は、先ほどよりも更に加速する。

 辺りの草木は激しく揺れる。


ーーまだ早くなるのかよ…!考えろ…どうする、どうすればあいつより先に構えを取れる…?

どうすればあいつに勝てる…?


 

 思考はある結論へと辿り着いく。

 その答えに、ニアは諦めたようにため息をつく。


「…やっぱり、これしかないか」


 幾度も思考によぎった“最悪の手”。

 未だに動かないアングレイン。


 素性の見えないアングレインがいたため、躊躇っていた行為。

 覚悟を決めたニアは、突如として弾いたナイフの落ちる地点へと駆け出す。


 転がるナイフはニアの血で塗れていた。


「そんなもの使ったところで、意味ない」


 嘲笑うように吐き捨てるルエア。

 だがニアの目的は違う。


 ナイフを拾い上げた次の瞬間、腹部へと突き刺した。


 耐え難い痛みが全身を駆け巡る。

 その痛みに、思わず膝をついてしまう。


「…!?…なにして…!…いいや、なんでもいい」


 突然の自傷行為に、ルエアはわずかな間だけ動きを鈍らせる。

 違いがわからないほどの、微かな時間。


 ——十分だった。

 その一瞬さえあれば。


「…餌だよ。お前が一瞬でも動揺するためのな」


 瞬間、再び加速するルエア。

 今までの最高速度を以てトドメを刺すべく、ナイフを大きく振りかぶる。


 ——その時にはもう遅い。


 生まれたわずかな隙。

 それはニアに足りなかった、ほんの微かな時間。

 同時に、この戦いに決着をつけるために必要な時間だった。


 溢れる血と共に立ち上がるニア。

 その手は既に刀へと添えられている。


「しまっ…!!」


 振り抜いたナイフは、ニアへと衝突する寸前でかろうじて停止した。

 しかし、それだけでは足りない。


 生まれた風圧は、確かにニアの元へと届いてしまった。

 咄嗟に防御の姿勢を取ろうと、ルエアはナイフを前へと突き出す。


 同時に、ニアは静かに呟いた。


「真喝」


「か…ぁ…」


 最速の反撃。

 ルエアが防御の姿勢をとるよりも早く直撃し、その身は地面を転がっていく。


 その身からは、既に意識は手放されていた。


 格上との実践。

 それも、稽古ではない命をかけた死闘。


 勝ち目のほとんどなかったその戦いは、ニアの機転により勝利に終ったのだった。

 だが、まだ終わってはいない。


 2人の戦いの様子へ、笑顔で手を叩くアングレイン。

 荒くなった呼吸を落ち着かせながら、ニアは平然を装うと、


「…お仲間は倒した、…次はお前か?」


「いやなに、素晴らしいね。ルエアは私たち幻龍師団の中でもかなりの上澄みなんだが…まさか冷静じゃなかったとはいえ技ひとつにやられるとは…。少々ガッカリだよ」


 吐き捨てられた言葉。

 そこには、なんの意思も宿ってはいなかった。


 遂に動き出したアングレイン。


 その行先はニアではなく、そのさらに背後。

 悠々と横たわるルエアの元へと歩み寄ると、その耳元で何かを呟いた。


 なんと言っていたのかは聞き取れなかった。


 背中は隙だらけ。

 ニアにとっても、明確な敵をみすみす見逃す理由はない。

 一歩を踏み出した。


 刹那、ニアの全身には殺気が訪れる。


 心臓は鼓動を早め、意識すらしない間に呼吸は過呼吸に近しいほどへと加速する。

 それが何故なのか、それは考えるまでもなかった。


 隙だらけのはずのアングレインの背中。

 なのにも関わらず、その一挙手一投足にニアは死を連想するほどの圧を感じてしまっていた。


 アングレインは、動くことのできないニアの存在に気づく。

 続けてわざとらしく小さく笑ってみせると、


「賢い判断だね。僕としても君にはまだ生きていて貰わないと困るんだ」


「お前達の…いや、違うな。お前の目的はなんだ」


 向けられた、色のない瞳。

 ニアは理解する。


 この者(アングレイン)は、嘘をついているのだと。

 アルクヘランと呼ばれる存在の封印を解くことの他に、あるいはそれ以上に優先するべき目的のために動いているのだと。


「僕の目的…そうだな、さっき言った封印の解放。あれは嘘じゃない。だけど、確かにあれは僕じゃなく『僕たち』の意思だ」


「ならお前の目的は…」


「それは答えられないな。何故なら僕ははなから君を殺すつもりはなかったし、君をここへ呼んだのもちょっとした用事を済ます為だからね」


「用事…?」


「それじゃ、また会おうね、ニアくん」


「待っ…!!」


 意味深な言葉を残し、アングレインはその場を去ろうとニアへ背を向ける。

 

 不意にアングレインは何かに気づいたように空を見上げると、


「…あれ?」


 そんな声と、同時だった。


 突如としてニアとアングレインの間を、光の刃が横切った。

 その空間に、小さな亀裂を生じさせる。


 正体不明の出来事。

 誰がそれをやってのけたのか、わかる者はいない。

 ——だが、

 

「…先輩?」


 亀裂はゆっくりと、空間を剥がれ落としていく。


 視界の全てをヒビが覆い尽くす。

 瞬間、崩れ落ちた。


 振り落ちる空間のかけら。

 それを見たニアは、アングレインの世界から脱したことを理解する。


「…ふーん」


 目を細めたアングレイン。


 その先には、刀へと手をかけたエリシアが立っていた。

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