大茨の森08
青い水晶玉に、エルシオンに抱かれたベルの姿が映っている。魔王が両目を開けると像は跡形もなく消えた。
「……」
玉座の魔王は沈黙している。その隣で水晶玉を覗き込んでいたアスガープは、ただでさえ深いしわをさらに深くして苦い顔をしていた。
「どうやら、若様を殺そうとは思っていないみたいねぇ」
くすくす笑い声を立て、レチェットが肘置きに腰を下ろした。
「大した子猫ちゃんだわぁ。あのおっきな魔物を倒してぇ、百を超える魔物も斬り殺したんだものぉ。ぞくぞくしちゃう」
楽しそうなレチェットをアスガープが睨んだ。レチェットはその視線に気づいていながらも笑うのをやめなかった。それがさらにアスガープを煽る。
「あのくらい儂でもどうとでもなるわっ! あの小娘が特別なことをしたわけではない! これは当然のことじゃ! 疑いも晴れたわけではない! 儂らがまだ疑心を抱いていると勘付いて若君に手をかけなかっただけじゃろう!」
「そんなにムキにならなくてもいいじゃないのぉ。ねぇ、ギネもそう思うでしょぉ?」
レチェットが黄緑色の瞳を移した先にはギネがいた。
「別に。おれにはどーでもいー」
ギネはいつもの無表情で返した。するとレチェットは唇を尖らせて「つれなぁい」と不満そうな声を出した。
「ギネ。貴様もどうでも良いとはどういうことじゃっ! これはどうでも良いと切り捨てられるものではないぞ!」
ギネにも当たり散らすアスガープ。ギネは何も答えず、ただ呆れたようにため息を吐いた。するとアスガープはさらに顔を赤らめて怒り、説教をし始めた。
「その態度はなんだ貴様! マンシャムの弟子だからと慢心するのもいい加減にせよ! そもそも儂はお前も認めたことはないのじゃぞ! だいたい貴様は毎度毎度……」
当事者のギネもレチェットもそっぽを向いて完全に聞き流す姿勢である。それでもアスガープは口を閉じなかった。
そうしていくらかアスガープの説教が続いた。それを止めたのは魔王の低い声だった。
「……あやつは何か隠しているかもしれぬな」
ただの呟きのようだった。聞き逃しても良いものかもしれなかったが、不思議と魔王の声はよく響き、他の誰もが彼の声を聞こうと口を閉じた。
「ギネ。貴様、何か知らぬか」
青い瞳がギネを見た。
射抜かれたような感覚がする。
「……私は何も知りません」
ギネはいつもの無表情で答えた。
「まぁ良い」
魔王は目を細め、手を顔の横に持っていった。
「魔術を使える特別な猫として愛玩用にでもするつもりだったが、興が乗った。近々あやつにも試験とやらを与えてやろう」
「それはどういったものですかな?」
誰に言うでもなく零した魔王の言葉をアスガープが拾った。すると魔王は口の端に笑みを浮かべて言うのだった。
「死人が出るだろう。それが一つなのか二つなのか……はたまたそれ以上なのかはあやつ次第だ」
青い目がゆっくりと閉じられる。
それと同時に水晶玉にぼうっと像が浮かび上がった。
ベッドに寝かされたベル。それを覗き込むエルシオンと、グリーティア。彼らが話している内容までは分からないが、二人ともベルの心配をしていることは分かった。
交わることのなかった二人がベルを通じて交わっている。変わるはずのなかった心が変わり始めている。
これは微々たる変化だ。まだ脅威と呼べるほどのものではない。しかし放っておけるものでもない。小さなほころびはやがて大きな穴を開ける。
そのほころびは誰にとってのほころびなのか。




