大茨の森07
右手に青の玉が埋まったクリスタルの長剣を。左手に赤の玉が埋まったクリスタルの長剣を装備し、ベルは右の剣の切っ先を魔物たちに向けた。
ギラリ、と金色の目が獣の光を帯びて瞳孔が開いた。尻尾の毛が逆立ち、髪も膨張する。
「グリーティア様。そこを動かニャいでください。貴方の前に立ち塞がるものは全て、このベルが始末してごらんにいれます!!」
厚底の靴が地面を蹴った。
【風の舞】【風の舞】【風の舞】【大力無双】【大力無双】【大力無双】
限界まで身体強化をかけ、ベルは風のように舞った。
払った右手の剣で魔物を真っ二つにし、左手の剣で魔物の攻撃を受け流し、跳躍して両手の剣を振り下ろす。ベルが一振りすれば一体の魔物が倒れた。それが目にも止まらぬ速さで繰り広げられている。
グリーティアは茫然とベルの猛攻を見つめていた。
否。ベルの苛烈で激しい動きの中に美しさを見出し、見惚れていた。人の動きとは思えない動きで地を、宙を舞い、次々に魔物を倒していくベルから目が離せなくなっていた。
初めに沸いたのは、純粋な強さへの憧れと尊敬。しかしその純粋な気持ちを塗り潰していく感情があった。
己の所有物への誇り。こんなにも優れた者を操るのが自分だという、支配者としての愉悦。幼きグリーティアはこの時知ってしまったのだった。
ベルという存在が己に与える満足感を。
グリーティアは笑っていた。彼自身そうとは気づかずに。
ほどなくしてベルの動きが止まった。
「はぁー」
ベルは大きく息を吐き、両腕をだらりと下げた。
ベルの周りには切り捨てられた魔物の残骸が足の踏み場もなく転がっている。ただ一人、ベルだけが立って天を仰いでいる。
終わった。今度こそ。
百を超える魔物を一人で残らず倒し切った。探ってみたが、周りに魔物の気配はない。あるのは自分とグリーティアの気配だけだった。
安堵した瞬間、糸がぷつんと切れたようにベルはそのまま前のめりに倒れ込んだ。
どさっ
さすがに疲れ切って指一本動かせない。体力も魔力もほとんどない。おまけに限界まで身体強化スキルをかけたので体中が悲鳴を上げていた。ギシギシと筋肉が嫌な音を立てている。けれども意識だけははっきりしていた。
まだ、やらなければならないことがあるからだ。
「ベル!」
倒れたベルにグリーティアが駆け寄ってきた。グリーティアはベルの肩を押して何とか彼女を横に向けさせ、顔を覗き込んだ。
「大事ないか!?」
グリーティアの焦った顔がベルの瞳に映った。
そんな顔は初めて見た。そんな顔もできるんだ。などと悠長なことを思いながら、ベルは唇を動かした。
「グリー……ティア、様……」
「何だ」
小さな声だったのでグリーティアはベルの顔に耳を近づけた。
「力が、残っていれば……杖に乗って……それか走って……お城まで帰る、つもりだったんですけど……。ベルは……もう、動けません……。だから、私を置いて、お一人で……お戻りください」
「ならぬ! ベルを置いていけるか!」
ベルは口の端に笑みを浮かべた。
「大丈夫……です。回復したら、追いかけますから……。直に日が暮れます……お早く……」
うっすらと開いていたベルの目が閉じ、唇が動かなくなった。グリーティアは咄嗟に息があるか手を当てて確認した。
細い息がかかった。気絶しただけのようだ。
「ベル……!」
肩を揺すったが起きなかった。
グリーティアの身体の中に熱い血が流れた。ドクドクと心臓が大きな音を立てる。
今までにない感情だった。ベルの戦う姿に見入っていた時も今までにない感情を味わったが、それとはまた違う。今度の感情はもっと熱くて、胸が震えるような妙な感情だった。
グリーティアにはまだこの感情に名前を付けることができない。しかしこれだけははっきりしていた。
ここでベルを捨てていく訳にはいかない。
その気持ちが目の前で舞うベルを見た時の感情に由来するものなのか、それとも今の感情に由来するものなのかは彼自身分からなかった。何にせよ、彼の頭の中にはベルをこのまま放置していくという選択肢はなかったのだった。
グリーティアはベルの腕を引っ張って自分の肩に回し、腕をベルの背に巻き付けた。足に力を入れて起こそうとしたが、子どものグリーティアには弛緩した大人の身体を持ち上げられなかった。
こんなことでも己の無力さを思い知る。
グリーティアは強く奥歯を噛み、その場に腰を下ろした。
早くしないと制限時間に間に合わない。それでは気絶するまで頑張ってくれたベルに合わせる顔がない。何としてでも制限時間内に戻り、尚且つベルも連れていかなければならなかった。
グリーティアは地面に手を突いた。
それには、これしかないとグリーティアは思った。
空間移動魔術で移動するしかない。
すでに魔力は底をついている。先程の大剣の空間移動魔術で使い果たした。もう、自分一人通る穴ですら開けられない。
それでもやるしかない。
グリーティアは全身の魔力を手に集中させた。しかし全然魔力が練られている感覚がしなかった。
何も感じない。
「お、お、お、お……」
だがグリーティアは諦めなかった。
腹の底から声を上げ、身体の底から力を絞り出す。
額に青筋が浮き始めた。角が青い光を放ち、根元がズクズクと痛んだ。
それでも諦めない。
「おおおああああああ!!」
ビキビキッ
二本の角の根元が盛り上がって二股に分かれた。新しく生えた角は側頭部で渦を巻き、そして、真っ青だった瞳が真っ赤に燃え上がった。
ブチ、とグリーティアの頭の中で何かが切れたような音がした瞬間、身体の底から魔力が沸いた。
凄まじい力だった。ふっと身体が軽くなり、心地良さを覚える程だった。
気がつくとグリーティアは元の姿で森の外にいた。
突然のことに自分でも驚いて、半ば放心状態で辺りを見回した。
背後には暗い影の降りた『大茨の森』があり、そして目の前には高くそびえる魔王城と鉄格子の門が構えていた。
戻ってきたのだと知覚した途端、目頭が熱くなったがなんとか抑えた。それから視線を下げて首を左右に動かした。
ベルが隣に倒れていた。
ほっとして力が抜け、グリーティアは肺に溜まっていた息を長く吐いた。
「ベル! 若!! よく戻ってきた!!」
響いた大声に身体がびくりと震えた。グリーティアが顔を向けると、門の方からエルシオンが大股で近づいてきていた。
「若は無事なようだな!!」
いつもと変わりないグリーティアの様子を確認し、肩を叩く。エルシオンにしては加減をしてくれたようだが、それでも十分痛くてグリーティアは眉を寄せた。
「ベル!! 大丈夫か!? 今運んでやるからな!!」
それからエルシオンは素早く彼女の背と膝の裏に腕を回して抱き上げ、踵を返して魔王城に戻っていった。グリーティアは慌ててエルシオンの隣に並び、ずっとベルから視線を外さずついていった。
門から敷地内に入り、木で土を囲って作られた階段を上っていく。上がりきったところにある木の扉はグリーティアが開けた。
扉の向こうは幾何学式庭園の中庭だ。離れたところで黄緑色の髪の少女、マニラが三人の様子を見つめている。この時ばかりはグリーティアも彼女を睨むことはなかった。
噴水の脇を通りすぎようとしたところでベルが目を開けた。
「……エル……?」
目に入った金髪赤目の男前の名を呼ぶ。するとエルシオンは優しい顔でベルを覗き込んだ。
「ん? 目が覚めたか。大丈夫か? ベル」
「……グリー……ティア様は……?」
エルシオンの問いには答えず、問い返す。
「ここだ」
下から声が聞こえ、ベルは目を流して視線を下げた。
グリーティアが真っ青な目で見上げていた。
「良かっ……た……グリーティア様……。よく、頑張りましたね……。ベルは、貴方様のことを……誇りに思います……」
ふ、と微笑み、ベルは再び目を閉じた。
それからしばらくベルの目が開くことはなく、丸一日を経て目を覚ますことになるのであった。




