エピローグ
ベッドの中で目を覚ました。
ふかふかの布団に、豪華な模様の天井。ここが元の世界ではないことは一目瞭然で、ベルは何となくほっとして息を吐いた。それから目を閉じて便利ツールを開き、日付と時刻を確認して頭の中を整理した。
『大茨の森』で倒れてから一日と半日。目を閉じていた間のことは覚えていないが、閉じる前のことは覚えている。
エルシオンが運んでくれたことと、グリーティアが付き添ってくれていたこと。それから無事に試験を突破できたこと。正直試験については間に合ったのか確証がなかったが、こうしてまだ生きているのだから間に合ったということなのだろうとベルは解釈していた。
「はぁ……」
それにしても骨の折れる大役だった。グリーティアの傍で彼を魔王にするために尽力する大変さを、身をもって知った。けれども最初のようにうだうだ悩む気は起きなかった。頭を素早く回転させて考えて、身体が悲鳴をあげるまで腕を振って全身全霊で尽くしたからだろうか。気持ちがすっきりして晴れやかだった。こうしてまた寝込むことになるのはごめんだが、グリーティアのためにやってやろうではないかという気分だった。
「あらぁ? 貴女すごいわぁ。もう目が覚めたのぉ?」
甘ったるい声に身体がピクリと反応した。
「レチェット……。いるニャらいるって言って」
目だけを動かす。
レチェットはくすくす笑ってベッド脇から移動し、ベッドの上に乗ってきた。
ぎし、とベッドが軋み、片手がベルの顔の横を突く。彼女のふくよかな胸が目の前に迫ってきていてベルは目をそらした。
「ニャんの用? お見舞いってわけじゃニャいでしょ?」
「お見舞いよぉ。どうしてるかなぁと思って様子を見にきたのよぉ?」
にっこりと笑うレチェット。淡い水色の髪がベルの頬にかかる。ベルがじっとりとした瞳で見つめながら手の甲でそれを退けると、レチェットはうふふと声を出した。
「警戒心の強い猫ちゃんねぇ。いつになったら解いてくれるのかしらぁ」
腕を曲げ、肘をつく。すると彼女の大きな胸がベルの胸の上に乗った。ベルの胸も大きいので両者ともに潰れて餅のようになっている。
「レチェットが私に断りニャく部屋に侵入してくるうちは解かニャいよ」
「いいじゃないのぉ。女同士なんだしぃ。それにぃ、わたしには貴女が目覚めたら魔王様にお知らせするっている命があるのよぉ」
「それって本人に言って良いことニャの?」
ベルが訝しげな顔をすると、レチェットは頬杖を突きながら答えた。
「良いわよぉ。だってこれから連れていくんだものぉ」
「え!?」
どぷん、とベルは背中から別空間に落ちた。
「また!?」
目の前にはにこにこ笑って慌てる様子を観察しているレチェットがいる。
「突然こういうことするのは止めてほしいんだけど! レチェット!」
ベルはレチェットから離れようとしたが、魔王城の中では空間移動魔術を使えないことを思い出してやめた。レチェットから離れてしまったらこの別空間に永遠に漂うことになってしまうかもしれない。それは嫌だった。
「うふふ。貴女の怒った顔、可愛いんだものぉ」
レチェットはベルの鼻先を人差し指で触った。ベルは「趣味の悪いやつだニャ」とむっとした顔をした。
「ほら可愛い。そういう顔、魔王様に見せてあげると喜ぶわよぉ」
「魔王様も趣味が悪いニャ」
「ふふふ。そうかしらぁ。さぁ、着いたわ。魔王様を楽しませてあげてねぇ」
どんっ
「にゃ!?」
レチェットがベルの肩を押した。するとベルの身体は下へ下へ落ちていき、ぽっかり口を開いた出口にお尻から出た。
「にゃぁっ!?」
重力を感じた時にはもう何かの上に落っこちていた。それが前回よりは固いがどことなく柔らかく、それでいて居心地が悪いような良いような何とも言えない感じがして、ベルは頭の中に疑問符を浮かべながら視線を上げた。
「にゃっ!?」
そうしてまた驚いた。
目の前に恐ろしいほど綺麗に整った顔があった。
先の青い黒の角に白い肌、黒い眼球に青い瞳。
魔王だ。ベルは魔王の膝の上に落っこちたのである。
「……貴様は俺の上に乗るのが好きなのか」
じ、とベルを見ながら低い声を出す。ベルは慌てて身体を起こした。
「す、すみません!! 今すぐ退きます!!」
宣戦布告した相手でも謝る時は謝る。さすがに無礼が過ぎることはベルにも分かっていた。しかし、魔王は飛び降りようとしたベルの肩を抱き、その場に留まらせたのであった。
「ま、魔王様!?」
「まぁ良い。不毛な報告に退屈していたところだ」
肩を掴んだ手をするりと滑らせ、腰に回す。ベルはビックリして身を強張らせたのだが、さらに驚かされることになった。
「ま、魔王様……」
自分と声色は違うが同じ言葉を吐く者がいた。
他人がいたのである。
目を見開いて声のした方を見ると、ヤギのような角を生やした中年の男が片膝を突いていた。肌は褐色で眼球は黄色く、瞳は赤い。灰色の髪で、口ひげを生やしている。ベルの見たことのない男だった。兵士でも使用人でもない。
そんな男に部屋着を見られただけでなく、魔王の膝の上に乗っているところを見られてしまい、ベルは恥ずかしさで爆発してしまいそうだった。顔が熱い。胸がドキドキ煩い。
「日を改めろ。俺はこのように忙しい」
魔王の指が服の下に滑り込んだ。
「ひゃうっ」
冷たい体温に変な声が出てしまってベルは顔を真っ赤にした。
「ですがっ」
「貴様の話は聞かぬと言っているのが分からぬのか」
食い下がろうとした男を魔王は青い目で睨んだ。途端、辺りの温度が一、二度下がったような気がした。
男は青い顔をして頭を下げた。そうしてそそくさと出ていこうとした背中に魔王は追い打ちをかけるように声をかけた。
「再び同じ話をしようものなら、貴様の首はないと思え」
ベルには男がぶるぶると震えているのが見えた。
男は何も答えず、また振り返ることなく謁見の間を出ていった。あまりの恐怖に声が出ず、また魔王を見ることもできなかったのだろうとベルは男を憐れんだ。
「さて。次は貴様だ。貴様は俺を退屈させないだろうな?」
魔王が肘掛に頬杖を突き、冷たい真っ青な目でベルを見つめた。
きゅっと心臓が縮んだ気がして、ベルは急いで飛び退いた。
「無礼をお許しください」
「構わぬ。貴様は俺の飼い猫だ。猫は主人の膝で眠るものであろう」
軽く頭を下げていたベルは魔王の物言いにむっとして目だけを上げた。
「俺を睨むか。主人に爪を立てるつもりか? それとも主人を乗り換えたか?」
ベルは背を伸ばした。
魔王の言わんとすることが分かる。とぼけるつもりは毛頭ないが、はっきり聞かれなければ答えるつもりもなかった。
「もともと私には主人ニャんていません。魔王様は雇い主であって主人ではありません」
つんとした態度で言ってのける。
魔王は足を組み替えた。
「そこに忠誠はないと申すか」
「そうです」
魔王の青い瞳に冷たさが増した。ベルはすくみ上りそうになったが奥歯を噛んで耐えた。
「では問おう。貴様が忠誠を誓う主人は誰だ?」
ごくり、と喉が鳴った。
魔王の声が低く這いずるような声だったので、真実を話したら殺されると咄嗟に思った。しかしベルは答えを一つしか用意できなかった。
「……グリーティア様です。貴方様ではニャいことはお分かりでしょう。私の主人は、次期魔王とニャられるグリーティア四世様です」
ゆっくり口にした。緊張で心臓がバクバクと鳴っている。
魔王が頬杖を突いていた手を下げた。たったそれだけなのに身体がびくりと震えた。ビビりすぎだと自分を叱咤してやるが、緊張は全く和らがない。むしろ意識することになってしまい、吐き気が込み上げてきた。
大変なことを言ってしまった自覚はある。けれどもベルにはそうするしかなかった。ここで偽ることは許されなかった。
「貴様はあれを王とするのか」
「あれとお呼びするのはお止めください」
「あれはあまりに未熟だ。次期魔王ともて囃されておるが、それは俺にあれしか子がおらぬからだ」
「……グリーティア様は貴方様を凌ぐ良き王にニャります」
「何を以てそう言うのだ。貴様にはあれがどう見えておるのだ」
「王太子様と。素質はあります。先の試験で、私はグリーティア様が冷静に合理的ニャ判断を下される様を見ました。今はまだ、彼のための玉座が用意されていニャいだけです」
ハッと魔王は吐き捨てるように笑った。
「玉座は用意されて座るものではない。己で奪うものだ。この椅子は受け継がれてきたものではなく、ただここに佇み、我らがそれを奪い合ってきただけのこと。当然あれも俺から玉座を奪うことになるが、あれには到底無理な話よ。あれが俺に勝つることなど有り得ぬ」
ベルは金色の目で魔王を睨んだ。
「貴方様が……現魔王様が奪えと、そうおっしゃるニャらそう致しましょう」
「無理だ。あれは俺に勝てぬ」
「無理ではありません。私が必ず(かニャらず)グリーティア様を玉座に導いて差し上げます」
「貴様が? 飼い猫風情に何ができると言うのだ」
「お忘れですか? 貴方様が私をグリーティア様の教育係にしたんですよ? 私は次期魔王の教育係です。それくらいやってやります!」
「ハハ。見物だな。精々励め。あれが王になる前に貴様が死んだら笑ってやる」
「ありがとうございます! 乞うご期待を!」
ベルが言い放つと魔王は口の端を上げてにやりと笑った。
初めの目的は『この世界を魔王が独裁する地獄のような世界にしないこと』だった。それがどこをどう間違えたのか、『立派な魔王を育てること』になってしまった。しかしベルとしては目的を変えたつもりはなかった。『この世界を魔王が独裁する地獄のような世界にしないこと』と『立派な魔王を育てること』は両立する。世界を破滅に導かないような魔王を自ら育てれば良いのだ。
それがどんなに難しいことなのかは分かっているつもりだった。けれどももう迷わない。これで良いのか、どうすれば良いのかと悩むのはどんなことにおいてもすることだ。迷うことと悩むことは違う。思い返してみれば、自分は迷ってばかりだったように思う。悩んだとしても迷うことはないようにしよう、とベルは決心した。そしてベルは心の中で叫ぶのだった。
私が魔王をなんとかしてやる!




