魔王グリーティア09
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重厚な石造りの間に一筋の赤い絨毯が伸びている。重々しい扉から絨毯を追っていくと、一段上がったところに金と赤の一際目立つ椅子が一つだけ置かれていた。
玉座。王の座る場所だ。
玉座の脇に三つ脚のスタンドが立てられている。その先で青い水晶玉がぼんやりと光っていた。
ただの水晶玉ではない。覗き込む者を映すはずの水晶玉の中心には、黒い猫耳を生やした黒髪の少女が映っているからである。
「何か陰謀があるのやもしれませぬ」
水晶玉の中の少女、ベルを睨みつけながらアスガープは低い声を出した。
「若君や四天王と親密な関係になり、城を乗っ取ろうとしているのかもしれませぬぞ」
黄色い眼球に浮かんだ小さな黒い瞳がぎょろりと動く。
玉座では魔王グリーティアが長い足を組み、頬杖をついて目を閉じていた。
「王妃様のところにも毎日通っておりまする。王妃様はこやつのことをたいそう気に入っている様子にございます。……これではまるであやつの再来ではありませぬか」
アスガープは苛立った様子で魔王を見ているが、魔王は目を閉じたまま微動だにしない。アスガープの表情が曇る。
「若君も座学や芸事が早く終わるとすぐ魔術訓練に行ってしまわれます。あやつが来る前は時間を守る良い子でしたのに……」
ぶつぶつと不満を漏らし始めるアスガープ。そのほとんどが無理やり誇張させたどうでも良い不満であった。
「……貴様のそれは杞憂に過ぎぬ。あの娘が誰と親交を深めようと俺には毛ほどの難もない」
「しかし魔王様。あやつは若君を亡き者にして長らく続いたグリーティア様の統治を途絶えさせる気かもしれませぬぞ」
「あれの命、か」
長いまつげに縁取られた右目が開き、真っ青な瞳が露わになった。それと同時に水晶玉に映っているベルの横にアスガープの姿が浮かび上がった。
「欲しいというならくれてやる。それであれが果つるならば、もとより存在せぬもの同然よ」
「しかし……!」
続けようとしたアスガープだったが、魔王の目を見た瞬間に口を閉じた。
ただ見られているだけなのに心臓が鷲掴みにされたような感覚がする。
「王はこの俺だ。俺がいらぬと言えばいらぬ。唯一の子であっても、俺の理想とするものでなければ必要ない。全ては俺が決める。そうであろう?」
にぃっと上がった口角に対して冷え切った目に、アスガープの背に何かが走っていった。
この王には対峙する者を震え上がらせる風格がある。身の内に宿る膨大な魔力だけが彼を魔王たらしめているのではない。この、我が子をも切り捨てようとする情を排した合理主義が彼を魔王たらしめている。
アスガープは愉悦に歪んだ笑みを浮かべた。
「それでは魔王様。一つ、試してみるのはどうですかな?」
水晶の中の娘に視線を戻す。
猫耳娘は何も知らない顔をして、口を動かしていた。
「……可愛い子猫だと思っていたら、ライオンの子だったみたいな感じ。分かる? この気持ち」
ベルははぁと息を吐いてソファに背を預け、クッションを抱きしめた。
「知らないよそんなの。わざわざそんなことを言いにおれの部屋まで来たわけ?」
向かいには無表情に抗議するギネが座っている。ベルはむっとした顔をしてくねくねと尻尾を動かした。
「ギネは私の兄弟子ニャんだから話くらい聞いてくれても良いでしょ。悩む後輩にアドバイスの一つくらいちょうだいよ」
「おれはあんたを認めてないし、そんな義理はない」
「でも部屋に入れてくれた」
「入れないとあんたがドアぶっ壊すからでしょ」
二度と来るなって言ったのに、とため息を吐くギネ。
二人はギネの部屋にいる。夕食を終えたベルがギネの部屋を訪ねてきたのである。ギネは例のごとく居留守を使おうとしたのだが、「ドアを壊す」というベルの脅し文句に屈して自ら扉を開けてやったのだった。
「まぁまぁ。その点については重ねて詫びるよ。許してほしいニャ。私だってできればギネの迷惑にニャるようニャことはしたくニャい。でも聞いてほしかったから仕方ニャい」
「相談ならおれじゃなくてエルシオンのところにでも行けば? どうしておれのところに来るわけ?」
「それはあれだよ。ギネはマンシャム様の弟子ニャんだから師弟関係ニャら経験があるし、共感するところもあるかニャと思って」
あわよくば仲良くなって協力関係を築こうとしているということは思っていても言えない。ふーんと目を細めるギネには何かしら勘ぐられている気もするが、ベルは何も知らないふりをする。
「まぁ……師匠とおれの関係は獅子が子獅子を育てる感じだっただろうけど、あんたの場合は猫が子獅子を育ててるからね」
「うまいこと言うニャ」
「あんたには荷が重いんじゃないのって言ってるんだけど」
ギネはじと、とベルを見つめてからため息を吐いた。
「……そうなるだろうなとは思ってたけど、ほんとにあんたみたいな得体の知れないその辺のやつに若様の教育を任せるなんてね」
「そうニャるだろうニャと思ってたの?」
ベルは小首を傾げた。ギネはベルから視線を外した。
「まぁ、ね。おれが師匠のところに行ってたのは、魔術の出来が芳しくない若様の新しい魔術教師を師匠に任せようとしてたからだから。師匠は最後まで首を縦に振らず……代わりにあんたがなったわけ」
「えっ。そうだったの!? 知らニャかった……」
驚いた声を出してから、ベルは待てよ……と手を顎に持ってきた。尻尾の先が右や左に折れる。ギネはテンポよく動き続ける尻尾に注目した。
「もしかして師匠、若様の教師にニャりたくニャかったから私に留守番を任せてギネを追い払わせようとしたのかニャ?」
「だろうね」
「あの外見詐欺鬼師匠め~~!」
それならせめて先に言ってほしかった、とベルは思うのだった。
この舞台はどうやらマンシャムが整えた舞台らしい。この世界のことを知りたがっていたベルにとってはありがたいことだとも言えるが、いきなり敵地に放り込むのはどうなのかとも思う。獅子は崖から子獅子を落とすと言うが、それにしてもスパルタすぎる。おかげで悩みが尽きないどころか増えるばかりだ。
マンシャムは魔王の子も同じ名前だということを知っていたのだろうか。最悪の未来を創りあげる魔王が現魔王ではなく、次期魔王かもしれないということを踏まえてここへ寄越したのだろうか。概要を全て明かさず放り出すような師匠なので十分あり得る。
「そうと知っていたら、ここに来る前に教える側としての気構えとか聞いておきたかったニャ」
ベルはクッションを抱えたままソファに寝転がり、天井を仰いだ。すかさずギネが「ちょっと寛がないでよ」と不満を漏らしたが無視する。
「どうすればいいんだろう……。私に魔王を育てるニャんてできるのかニャ?」
しかもただの王ではない。この世界を地獄の底へ陥れるかもしれない王である。現魔王さえ注意しておけば良いと思っていたが、新たな可能性が浮上して次期魔王にまで注意しなければならなくなってしまった。現魔王に対してどういう対策をするのかもはっきり決めていないのに、また問題が増えてしまったわけである。
「魔王様にやれと言われたから、やるしかないでしょ」
「そんニャ簡単ニャ話じゃニャいよ」
睨んでやるとギネは黙った。ベルの考えていることを全て把握しているわけではないだろうが、それなりに思うことはあるらしい。
「私の所為で若様の性格が歪んでしまったらどうすれば良いの……」
ベルはそれが怖くて仕方がなかった。自分の所為で大虐殺を繰り返し、世界を混沌の渦に巻き込んでいく存在を作り出してしまうのではないかと思うと気が気じゃない。御陰で魔術訓練に身が入らず、今日は空間移動追いかけっこで子魔王に捕まってしまった。しかも子魔王は自分で決めたルールをしっかり覚えていて、容赦なくベルの首に噛みついたので風呂のお湯が染みて痛かった。安請け合いするんじゃなかったという後悔をしたところである。
「世の中の親は不安にニャったりしニャいのかニャ……」
自分の子が犯罪者にならないだろうかという不安。それから自分の教育が正しいのかという不安。ベルは自分を育ててくれた両親のことを考えながら天井の模様を見つめていた。
両親はそんな漠然とした不安にさいなまれたことはないのだろうか。そこまでではないにしても、どういう子に育つか不安になったことはないのだろうか。
「考えすぎじゃないの」
ベルはギネのいる方に首を傾けた。
「そうやって考えてる間にも若様は成長していくんだよ。もたもたしてると成長しきっちゃうんじゃない? 魔人の成長は個人差が激しいんだよ」
「そうニャの? 若様はどう?」
「珍しく年相応って感じかな。……魔王様は若様の歳にはもう魔術を一通り使えるようになってて、見た目も青年くらいだったらしいけど」
「えっ。そんニャに違うものニャの?」
ベルは思わず身体を起こした。
「十年経っても思考が子どものままのやつもいれば、一年で成熟するやつもいるし、急激に身体が成長したりその逆もある。魔人は他の種族より長生きする分、成長が遅くなりがちなんだけど、たまに魔王様みたいな人もいるんだよ。若様みたいに年相応なのも結構すごいよ」
「不思議だニャ。ギネは遅かったの?」
「おれは……あんたに話すことはない」
ギネは口から出かけた言葉を飲み込んで踏みとどまった。
他人のことは話しても、自分のことは話してくれないらしい。とはいえ魔王や子魔王のことは話してくれるので固い忠誠を誓っているわけではないのかもしれなかった。
「う~ん。ますます難しくニャった気がするニャ」
子魔王がこれから急成長を遂げるなら、一日の失敗が何かのきっかけになってしまうかもしれない。
「だから、考えすぎ。考えることが悪いとは言わないけど、考えすぎて動きが鈍ればそれこそ取り返しのつかないことになるかもよ。『もしかしたら』ってのは確定した未来じゃないんだから、ある程度越えたら悩むだけ無駄。答えの出ないことでいつまでも悩むのは無意味。というか取り返しのつかないことになったら責任取って死にますって覚悟でやれば?」
「死にたくニャい」
「次期魔王を育てるんだからそのくらいの覚悟したらってことだよ」
冷たく言い放つギネ。ベルはそんな覚悟なんてしたくないと思うのと同時に確かにな、と納得もしていた。魔王でなくとも一国を統べる王を育てるということはそういうことなのだろう。これまで自分が子魔王を育てるということを随分軽く考えてしまっていただけのようだ。
「ここで働くって言ったのは私だし、覚悟しニャきゃいけニャいみたいだニャア」
とはいえ今この瞬間に覚悟できるかと言われるとそうではない。意識の中にぼんやりと命をなげうつ覚悟をしなければならないというものが芽生えた程度である。いまいちはっきりしないのは、命をなげうつ覚悟なんてものをしたことがないからだろう。平凡な過程で普通に生きていてそこまでの覚悟になることなんて滅多にない。
「私、覚悟できるのかニャ」
現実味が得られず、思わず漏らす。
「さぁね。知らない。おれには関係ないし。でもまぁ近いうちに嫌でも覚悟しなくちゃいけない状況になるんじゃないの」
「どういうこと?」
ベルは首を傾げた。
「ここは魔王城だよ。いろんなやつの策略の裏で面倒くさい陰謀も張り巡らされてるところだ。気がついたら絡めとられてるってことなんてざらにあるよ。……あんたみたいに警戒心のないやつは嵌めやすいだろうね」
ベルは何かを言おうとして口を開いたが、一旦閉じた。
「……ギネもニャにか考えているの?」
ベルは金色の目を細めた。
「さぁね」
無表情に答えるギネ。声にもまるで抑揚がない。肝心なところでギネはこうして黙る。腹の底を読もうとしても読ませてくれない。魔王城という場所はギネのような人物の巣窟なのかもしれないとベルは思った。




