魔王グリーティア07
「じゃ、ちょっと距離を伸ばして移動してみましょう」
ベルは再び開けっ放しにしていた右側の穴の中に入った。すると二メートルくらい離れたところに穴が空いてベルが出てきた。
「若様もこっちに来てください」
手招きするベル。子魔王ももう一度丸く空間を割き、空間移動した。
ぴったりベルの目の前に子魔王が現れた。正確さの訓練も活かされている。上出来だ。
キラキラ宝石のような青い目がベルを見上げた。その様子があまりにも純粋で可愛らしく、ベルは思わず笑ってしまった。ベルが笑うと子魔王はぱちぱちと目を瞬いてどこか不思議そうな顔をしたが、何も口にはしなかった。
「いいですよ若様。じゃ、次です。空間移動を使った鬼ごっこをして鍛えましょう」
「鬼ごっことは何だ。鬼になるのか」
ベルは少しだけ目を大きくした。お手玉はまだしも代表的な遊びの鬼ごっこも知らないとは思わなかったのである。街に行った時に子どもたちが鬼ごっこをして遊んでいたのでこれくらいは知っているかと思ったのだが、どうやら違ったらしい。勉強や芸事に時間を費やしているため、子どもらしく遊ぶ時間はなかったのかもしれなかった。仕方ないのでベルは丁寧に説明することにした。
「鬼ごっこというのは、逃げる相手を追いかけて捕まえる遊びです。捕まえる方は鬼と呼ばれます。今回は私が走って逃げるので、若様が鬼にニャって私を捕まえてください。ただし、普通の鬼ごっこじゃ修行にニャらニャいので、若様は空間移動魔法を使って私を追いかけてください」
「ほう。いいだろう。それで、捕まったらどうするんだ」
「どうもしニャいです。そこで終わり」
「何だ、つまらぬ。鬼ごっこというのだから、もっと鬼らしいことをすべきだろう」
「う~ん。確かにそうですね」
ベルは妙に納得してしまった。鬼ごっこの考え方としては追いかけてくるのが鬼だから怖くて逃げるというものなのだろうが、もう少し鬼らしくても良いような気がした。通常、ごっことつく遊びはそのものになりきることが多い。鬼ごっこだって鬼らしくあっても良いかもしれなかった。
「それじゃ、若様の考えたルールをつけたした若様流鬼ごっこにしましょうか。若様はどうしたら鬼らしいと思いますか?」
ベルが提案すると子魔王は腕を組んで考える素振りを見せた。
たまには子どものやりたいようにさせるのも興味を持たせるためには必要なことだ。それにそういう着眼点は良い。常に何故だろうと考え、研究し、より良いものに変えることがこの世の中では重要だ。なお、この提案がまずかったと思い知らされるのは随分先のことであるが、今のベルはまだ知らないのであった。
「そうだな。捕まったものが食われたり、はらわたを出されたりしたら鬼らしい」
「思ったよりえげつニャいニャ! もっと優しいやつにしてください!」
子魔王は軽く首を傾げてきょとんとした顔をした。どうやら本気でそうするつもりだったらしい。非情なところも遺伝しているのか? とベルはちょっと焦った。
「そうか? では噛みつかれるくらいにしておくか」
「まぁそれくらいニャら……」
噛みつかれるのもどうかと思うが、食われたりはらわたを出されたりするよりはましだったので同意してしまった。
「ではそうしよう。お前の首筋に牙を立ててやる」
にぃっと笑った子魔王の唇から銀色に光る犬歯が見えた。獣人のベルと比べれば随分と可愛らしい犬歯だが、噛まれると痛そうだなとベルは思った。
「それじゃいきましょう。よーいどんで出発するので追いかけてくださいね」
「分かった」
子魔王が頷き、ベルは少しだけ足の裏に力を込めた。
「では。よーい、どん!」
ベルは地を蹴って駆け出し、一気に五メートル程進んだ。タイムラグがないのですぐに捕まってしないようにしつつ、離れすぎないような距離を選んだつもりだったのだが、子魔王はなんといきなり目の前に現れた。
「にゃっ!」
咄嗟にジャンプして背の低い子魔王の頭の上を飛び越え、着地して加速した。
「待て!」
次いで子魔王は真横に現れたが、子魔王が思っていたよりもベルの足が速くてあっと言う間に逃げられてしまった。
「待たんかっ!」
遠く離れたベルの真横に再び現れる子魔王。腕を伸ばしたが、ベルはすり抜けてしまった。
「頑張ってください若様!」
言いながらベルは子魔王のことを分析した。
(最初は空間さえ割けなかったのに、この距離を移動できるのはすごいな。それに本当に正確だ。狙ったところに来られている。しかも若様、ちゃんと私の行く先を予想している。賢い子だ)
子魔王は十メートル程の距離を一瞬で移動してくる。ベルは子魔王がここまでできるようになるにはもう少し時間が必要かと思っていた。子どもの成長は早いのだな、とどこかしみじみ思いながら訓練を前倒しにすることに決めた。
鬼ごっこを始めて三十分も経たないうちに子魔王は魔力を全て使い切った。一方ベルは獣人ということもあってこれくらいの運動なら軽いもので、ピンピンしていた。
「少し休憩しましょうか」
「うむ」
子魔王を促し、噴水に腰かける。それからベルはどこからともなくティーポットとティーカップを出して茶を注いだ。
「どうぞ」
差し出されたカップを受け取り、冷えたお茶を一口飲む子魔王。ベルも口をつけて飲み下した。鼻から香が抜けていく。
「あ、マニラちゃんにゃ」
ふと目を上げたところに映り込んだ少女の名を呟いた。
離れたところで癖のある黄緑色の髪をした少女が生垣を目の前に座り込んでいた。ベルは彼女と面識があった。
「気づくかニャ」
軽く手を振る。すると少女はきょろきょろと辺りを見回した。ややあってベルの手が自分に振られているものだと気づくと、少女は恥ずかしそうに黒い手袋に包まれた手を小さく振った。
「……貴様、あれを知っているのか」
低い声で子魔王は言った。
「えぇ、まぁ。ちょっとお世話にニャっているんですよ」
少女は魔王城で働く使用人の一人で、得意の木魔法を利用して庭師をしている。恥ずかしがり屋で顔も半分近くを重い前髪で隠しているのだが、ベルは彼女とここ数日で随分仲良くなっていた。
何故ベルが少女マニラのことを知っているかというと、時々彼女たちが休んでいる小屋で寝かせてもらっているからであった。魔王に生気を吸われたあの夜の一件から、ベルは保身のためにいくつかの寝床を点々としている。その一つが、庭師たちが使っている小屋なのであった。
「物好きなやつだ」
「どういうことですにゃ?」
ぼそりと呟いた声が気になって聞き返すと、子魔王は眉を少しだけ寄せた。
「あれとは皆距離を置く。あれの能力の所為でもあるだろうが、あれがアスガープの孫だからだろうな」
「えっ!? アスガープの孫ニャんですか!? でもマニラちゃんは精人ですよね?」
「アスガープの子の一人が精人との間に産ませた子らしい。親に見放され、仕方なくここで働かせているそうだ」
「へぇ……ニャるほど。身寄りのニャい子を引き取るニャんて、アスガープにも結構優しいところがあるんですね」
「それはどうだろうな。あのアスガープがそれだけのためにあれを引き取ったとは思えぬ」
一理ある。とベルは思った。




