魔王グリーティア06
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「良い汗かいた! 今日も付き合ってくれてありがとな!」
「私も身体を動かしたかったから持ちつ持たれつだよ」
ベルは手に持っていたクリスタルの剣をしまい、かわりにタオルを取り出して首にかけた。二枚目をエルシオンに差し出してやると、エルシオンは礼を言って受け取った。
「お前が魔法以外でも戦えるとはな」
タオルを被って乱暴に頭を拭き、にこりと赤い目を向けてくるエルシオン。
「これでも経験豊富ニャの。軽く三回は人生をやり直しているんだ」
「隠語か?」
「まぁそういうことかニャ」
ゲームの話だとは口が裂けても言えず、曖昧に濁す。幸いエルシオンはギネと違って細かいことを気にしないので困ったことにはならなかった。
「ベルはミステリアスな女だな」
「口説くニャら鎧を脱いでからにしてね」
「ハッハッハ! そうだな!」
ベルとエルシオンは大量に掻いた汗を浴場で流すため、訓練場を後にした。
ここ二、三日、ベルはエルシオンの申し出で彼の訓練に付き合っていた。昼間は特に予定もなく、また獣人の身体の使い方にも慣れたかったベルにとってありがたい話だったので迷わず受けた。思ったより有意義な時間を過ごせるのでこのまま習慣化しそうである。
「お。若だ」
エルシオンが手を挙げた。視線を追うと、子魔王が二階の廊下から二人を見下ろしていた。訓練場から大浴場のある生活塔までは外から回って中庭を通り抜けた方が早い。こうして中庭を通り抜けていると、たまに子魔王の姿を見かけるのであった。
じぃっと子魔王が見つめている。ベルが手を振ると、子魔王はそっぽを向いて見えなくなってしまった。
「随分懐いたもんだな」
「そうかニャ?」
ベルは首を傾げた。
あれからずっと魔法の正確さを鍛える訓練をしている。子魔王は次の日にはコップの中に猫のぬいぐるみを詰めるのに成功した。それから丸い玉を積み上げたり、カードでタワーを作ったりする訓練をして一週間が過ぎたのだが、相変わらず子魔王の態度は生意気だ。上から目線でベルを見定め、課題ができないと文句を言い、できると目を輝かせて喜ぶ。
「あぁしてこちらを観察するようなことは今までなかったからな。目も合わせてくれなかった」
「それはエルが嫌われているだけニャんじゃニャい?」
「ハハッ。そうかもしれんな。だが、お前には確実に懐いていると思うぞ。お前も若のことを可愛いと思っているだろう」
「まぁそりゃ可愛いよ。生意気だけど努力家だし、嬉しいことがあると目を輝かせるんだよ。あれを見せられたら、誰でも可愛いって思うよ」
文句は言うが、投げ出したことは一度もない。頑張っている姿を見ていると応援したくもなる。それにキラキラと目を輝かせているところを見ると、こちらも嬉しくなる。一週間以上そうして過ごしてみて、すっかり愛着が湧いてしまった。
「そうだろう。なぁベル。あの賭けの最後の質問を覚えているか?」
エルシオンが赤い瞳をベルに向ける。ベルが「覚えているよ」と返すとエルシオンは頷いた。
「俺は簡単なもので良いと思うんだ。難しく考えるな。目に見えるようなものや、その手に掴めるもの。そういう身近なもので良いと思うぞ」
「身近ニャもの……」
成し得たいと思える、身近なもの。そう言われても、ベルにはピンとこなかった。そもそも、やろうとしていることはある。けれど大きすぎて決心がつかなければ、どうやったら良いのかも分からないことなので宙ぶらりんになっているだけだった。
「ベルならすぐに見つけられる。今悩んでいることの答えも出るだろう」
エルシオンはにこりと笑った。
ベルは目を大きくした。どうして悩んでいることを知っているのかと聞いてみたかったがやめた。悩みについて根掘り葉掘り聞かれても困ると思ったからだった。
「どうしてエルはそんニャに成し(ニャし)得たいことにこだわるの?」
代わりに違う質問を投げた。初めて質問された時にも思ったことだ。エルシオンはこだわっているようだが、ベルには何故そこまでこだわるのか分からなかった。
エルシオンはすぐに答えてくれた。
「何を成し得たいかでそいつの人となりが分かるからだ。俺はまだお前を吟味している。どういうやつなのか知りたいんだ。お前の成し得たいことが分かれば、それも分かる」
「ニャるほど」
納得した。確かに成し得たいこと、つまり願望が分かればある程度どういう人物なのか知ることができる。強くなりたいと言ったエルシオンを単純で心の強いやつとベルが言ったように。こうして何故聞くのかと聞き返さなければ人格の判断材料に使われたとも思わない。巧みな詮索だとベルは思った。
「それからもう一つある」
「ニャに?」
小首を傾げると、エルシオンはにっと笑った。
「成し得たいことというのは夢そのものだ! なければ寂しく、あれば人生が色づく! そいつの人生を鮮やかにしているのは何か聞きたいと、なければ持ってもらいたいと思うのは当然のことだろう! 目標や夢があるだけで人生は何倍も楽しくなる!」
ベルは面食らってきょとんとした顔をしてしまった。エルシオンが突然大声を出したからというのもあるが、話してくれた理由があまりにも単純だったからだ。先程の知性の高さを感じた答えは何だったのか。
「ふふっ。エルらしい」
「おう、そうだろう! 俺はいつでも俺だぞ!」
「あはは! ニャにそれ!」
よく分からない答えが返ってきたのでベルは声を出して笑ってしまった。エルシオンは楽しそうに笑うベルを見てにこりと微笑んだのだった。
それから二人は浴場で汗を流して解散した。エルシオンは武器の手入れ。ベルは子魔王の魔術指導である。
ベルが中庭に着くと、子魔王はすでに待っていた。
「俺を待たせるな」
「まだ時間じゃニャいから大目に見てほしいのですが」
むすっとした態度の子魔王を窘め、ベルは向かいに立った。
「さて。それでは今日の魔術訓練を始めましょう。若様は努力の結果、すごく正確に空間魔法が使えるようにニャりました。よく頑張りましたね」
「当然だ」
胸を張る子魔王。こういうところは子どもらしい。ベルはふふっと笑って話を続けた。
「そこで今日は正確さの訓練ではニャく、自分が空間移動する空間移動魔術を訓練しましょう。まずは距離を無視して空間を移動することからやってみましょうか」
ベルは右手で持ったタクトで自分の右側の空間を割き、縦に長い楕円の穴を空けた。穴に右足左足と順に身体を通し、姿を消したと思ったら穴の向かいに同じような縦長の楕円の穴が開き、中からベルが出てきた。
「やってみてください」
促され、子魔王は右の人差し指を出し、ベルがしたように自分の右側の空間を割いてみた。ちょうど子魔王が通れるくらいの丸い穴が空く。そこに身体を通し、子魔王は異空間へ消えた。間もなく穴の向かいに丸い穴が出現し、子魔王が出てきた。
青い目がキラキラと輝いてベルを見た。
「成功ですね」
子魔王は「当然だ」と言って胸を張った。相当嬉しいらしい。つい一週間前までは空間に穴さえ空けられなかったので無理もない。ベルも教え子の成長した姿を見られて嬉しかった。




