魔王城11
そういえばこの部屋もゲームの中の部屋に似ているような気がした。大きなベッドと鏡台に、テーブル、ソファ、クローゼット、暖炉。そして長い赤のカーテンの向こうにはバルコニーがある。肖像画こそないものの、酷似しているように見えた。
「どうしたの? 部屋が気になる?」
フランウィーネは小首を傾げていた。
「あ、いえ。ニャんでもありません。じろじろとすみません」
慌てて首を振るとフランウィーネは「そう」と言って笑った。
「……ねぇ、ベルさん」
「ベルでいいです」
「そう、ベル。少し、聞いても良いかしら。嘘偽りなく話してほしいのだけれど、良い?」
「ニャんニャりと。私に答えられることでしたら答えます」
言ってベルは近くに置いてあった椅子に手を伸ばした。隣のサイドテーブルに黒い猫のぬいぐるみが置いてある。
ベルは椅子を引き寄せて座った。いつの間にか身体のふらつきが治っている。獣人の驚異的な回復力のおかげかもしれなかった。
「わたくしの息子の出来はどう?」
「そうですね……。まだ指導を始めたばかりでニャんとも言えません。けど、真剣に取り組んでくれますよ。聞けば座学にも熱心ニャんだとか。努力家ですね」
ベルが本当に嘘偽りなく答えるとフランウィーネは微笑んだ。
「ありがとう。……そうね、まだ、今日が初めてだものね。答えにくいことを聞いてしまったわね。でも……聞きたかったの」
黄色い瞳がじっとベルを見た。
「初めてなの。あの子が楽しそうに魔術訓練のことを話してくれたのが、初めてだったのよ。いつも、こちらから聞いても何も答えてくれなかったの。でも今日は、部屋に入るなり話してくれたのよ。それから『おてだま』という遊びを一緒にしたの。わたくし、とても、とても楽しくて……。あの子が楽しそうに笑っている姿なんて、久しぶりに見て……」
黄色い瞳がうるっと光った。フランウィーネは「ごめんなさい」と謝って指先で涙を拭いた。
「……あの子は、魔王の息子。他に兄弟はいないわ。あの子が魔王を継ぐことになるの。だから、あの小さな身体に宿る力以上のものを求められているわ。周りの期待が……特に、あの人の期待が大きくて……。いつか、潰れてしまうかもしれないと、不安なの」
黒い手がベルの手を握った。
「貴方に……。まだここに来て間もない貴方にこんなことをお願いするのは、おかしいのかもしれないけれど……。でも、貴方にしか頼めないと思うの。まだこの魔王城に染まりきっていない貴方になら、あの子がにこにこ笑って話をしてくれる貴方になら、頼めるわ」
ベルを握る手に力が入る。
「お願いよ、ベル。あの子を……あの子を守ってあげて。わたくしの分も、あの子を守ってあげて。あの子には味方がいないの。誰かが守ってあげないといけないのよ」
強い意志を持って訴える瞳にぐらりと揺れた。こんなにも必死に懇願されてしまったら、力になってあげたいと思ってしまう。断れない。ベルは口を開けて返事をしようとした。しかし頭の中をマンシャムの言葉がかすめ、ベルは口を閉じた。
『どんなに優しい人でも疑いなさい』
『損益を必ず考え、判断するように』
ベルは悩んだ。フランウィーネが自分を利用しようとしているようには見えない。息子の将来を案じているただの母親だ。少なくともベルにはそうとしか見えない。損益もすぐには打ち出せなかった。
「……守ってくれる人ニャらいます。フランウィーネ様、貴方がいますよ」
すぐに答えが出なかったのでそう返すと、フランウィーネは首を振った。
「わたくしはだめよ。病気なの。もう長くないわ。あの子の成長さえ、見届けられない。だから……わたくしに代わる人を、見つけたいの。わたくしを安心させて。わたくしの代わりにあの子の成長を見届けて、守ってあげて。お願いよ……!」
両手でベルの手を取り、額をつけるフランウィーネ。
ベルは腹の底からこみあがってきたものを飲み込んでフランウィーネの肩を軽く押した。その肩がビックリするほど細く、骨張っていて、本当に彼女には先がないのだと思わざるを得なかった。
「……頭を上げてくださいフランウィーネ様。どこまでできるか分かりませんが……魔術教師として、精いっぱい尽くしますので。私にできることはいたします。ですから、弱気ニャことを言わず、お辛いでしょうが、ご病気と闘いましょう。若様のためにも。フランウィーネ様がいニャくニャってしまったら、若様は心の底から悲しむ(かニャしむ)でしょう」
フランウィーネがそっと顔を上げた。頬が涙に濡れている。ベルが優しく拭ってやると、フランウィーネは鼻をすすりながら身を引いた。
「そう、ね。ごめんなさい、わたくしったら。取り乱してしまって、初対面の貴方になんてことを……。……夜はだめなの。ついつい弱気になってしまって、一人でいろいろと考えてしまうのよ。不安なことばかりで……。あの子のことも、あの人のことも……」
視線がベッドの上に落ちた。
無理もない、とベルは思った。夜の闇は心細い。それは誰でもそうだが、フランウィーネは病気で長くない。静かな場所で一人きりになってしまえば考えずにはいられないのだろう。
「では、これから毎日……夜に少しだけ私とお話しませんか? お一人でいる時間も減れば、いろいろと考えることもニャくニャるでしょうし、私も若様のご報告ができますので」
「よろしいの?」
フランウィーネは目をぱちぱちと瞬いた。まつ毛の上に涙の粒が乗っている。
「えぇ。フランウィーネ様さえご迷惑でニャければですが」
「迷惑だなんてとんでもない。とても嬉しいわ。ありがとう。ここに来てくれるのはあの人やあの子を除けば侍女やアスガープだけで、誰も話し相手になってくれないのよ。貴方となら、楽しいお話ができそうだわ」
にこりと優しく笑うのにベルもつられて笑った。
「ではそのようにいたしますね。お体にも障りますし、今日はこの辺りで退出して、また明日お伺いいたします」
立ち上がり、椅子を元に戻す。フランウィーネは「また明日ね」とどこか嬉しそうに笑っていた。
ベルは廊下に続く扉まで歩き、ノブをひねった。
「……グリーティアのことを、よろしくね」
ベルの背中にフランウィーネの言葉が投げかけられる。声に気づいて振り向いた時にはもう、扉を閉めてしまっていた。
ベルは数秒その場に留まって扉を見つめてから歩き始めた。
長い廊下を端まで歩き、螺旋階段を下りる。三階まで下りたが、自室に戻る気が起きなくてそのまま階段を最後まで下りた。
(フランウィーネ様にはあぁ言ってしまったけれど……)
迷っていた。このまま子魔王の魔術教師をしていて良いものなのか。
ベルはフランウィーネに会う前に考えていたことを再び考え始めた。
魔王に生気を吸われ、レチェットも夜な夜な狙っており、エルシオンも「魔王様を脅かそうとするのなら、俺はお前を殺さなくてはならない」とはっきり言っている。ギネも協力的とは言えず、アスガープはベルを毛嫌いしているらしく恨みがましい視線を送ってくる。敵ばかりとも言い切れないが、今のところ味方はいないようだ。そんなところでこれから先どうやって生き延びていけば良いのか。ましてや魔王が世界を支配しようとするのをどうやって止めるのか。




