魔王城09
ぼふんっ
「ふにゃっ」
「きゃーっ」
レチェットに抱き着かれているので受け身も取れず、ベルはそのまま何かの上に落っこちた。幸い柔らかいものの上に落ちたので身体の痛みは無かった。
「レチェット! ニャにするんだ!」
自分の頭を押さえつける腕の力が緩んだので顔を上げる。ベルが睨んでもレチェットは気にしていないのか、口元に手を当ててくすくす笑っていた。
「わたし、頭の中に悪戯する魔術は得意だけれどぉ、あっちへ行ったりこっちへ行ったりする魔術は得意じゃないのよぉ」
「そうニャの? それニャら仕方ニャいけど、危ニャいからせめて見えるようにしてもらいたい。それで、ここはどこ……」
乱れた髪を元通りにしながら辺りを見回してみる。
部屋ということはすぐに分かった。ベルが与えられた部屋よりも狭い。カウチソファとクローゼットが置かれていて、大きな鏡が壁に埋め込まれている。それからベッドサイドテーブルにランプ。そして、今座っているキングサイズのベッドの上には……人が、一人。
「にゃにゃにゃっ!? ま、魔王様っ!?!?」
ベッドに魔王が横たわっていた。
真っ青な目と合った瞬間、サッと血の気が引いて心臓が止まるかと思った。
「ニャんで魔王様がここにっ」
「貴様がそれを言うか。貴様らが俺の上に落ちてきたのだろう」
「にゃっ!? そっ!? も、申し訳ありません!!」
どうやらレチェットが出口に選んだのは魔王の寝室、それもベッドの上だったらしい。
(何でこんなところにっ!)
くすくす笑っているレチェットを睨みつけ、ベルはベッドから降りようと後退した。しかしベッドに突いた腕を真っ白な手に掴まれてしまい、降りることができなかった。
「逃がさぬ。何故ここに来たのか吐け」
魔王は上体を起こし、ベルを上から見下ろした。相変わらず冷たい瞳に肝が冷え、ベルは咄嗟にその場で土下座した。
「すみません! 私の部屋に忍び込んだレチェットが空間移動で逃げたのを追いかけたところ、ここに出てきてしまったんです! お休みのところお邪魔してしまって本当に申し訳ありません! 今すぐ出ていきますのでどうかお許しを!」
ベルの頭の中にあるのは「殺される」だった。
謁見の場で魔王を見たときの恐怖が未だに残っている。美しく完璧な姿だけでも次元が違うと感じさせられるのに、恐怖を煽る冷たい瞳と高圧的な態度が輪をかけてこの魔王という人物を魔王たらしめている。見た瞬間、そこにいると分かった瞬間に恐怖を感じざるを得ない。ベルにとって魔王とはそういう存在だった。
「貴様が連れてきたのか」
魔王はレチェットを一瞥する。レチェットは身体を起こしながら「えぇ陛下」と答えた。
「ちょおっと生気をもらいにいったら怖ぁい顔で怒るんですものぉ。もうほんとに怖くってぇ。エルシオンやギネのところに行っても助けてもらえないかもしれなかったのでぇ、魔王様のところに来ちゃいました」
ふふ、と笑い、レチェットは魔王の身体に後ろから抱き着いた。ちなみにベルは頭を下げたまま(私のところに来たのはそういうことか)と憤慨していた。エルシオンやギネに言われて警戒していなかったら知らぬ間に生気を吸われていたところだった。
「ほう」
魔王は片眉を上げた。それから手をベルの頬に添えた。冷たくてビク、と身体が震えた。レチェットの谷間に顔を埋められたときにも思ったことなのだが、どうやら魔人は体温が低いらしい。
「貴様生気を吸われるのが嫌なのか」
魔王の手がベルの顎を掬い、強引に上を向かせた。身体を起こすと真っ青な目と合い、ドッと心臓が跳ねた。
「……い、嫌に決まっています。合意の上ニャらまだしも、勝手に抜かれるニャんて言語道断です」
ちら、と目を動かしてみるとレチェットが楽しそうに笑っているのが見えた。少しだけむっとする。
「合意、か。貴様合意する気はあるのか」
「ありません」
合意があればとは言ったが、そんなものは言葉の文である。ベルには生気を分けてやるつもりなど毛頭なかった。それは誰が相手でもだ。光魔法で治してやるのは良いが、直接自分のものを吸われるのは生理的に受け付けなかった。
「そうか」
にぃっと魔王が笑った。
「んむっ」
と思った瞬間、ベルは口付けられていた。
ビックリして目が大きくなり、耳がぴんと立って尻尾がぶわっと大きくなった。相手が魔王ということも忘れて夢中で胸を叩く。しかし魔王は離れず片手を後頭部に回してベルの頭を覆った。
「はぁ……」
すると唇を重ねているだけなのに数秒で頭がぼーっとしてきて、ベルは固く締めていた口を薄く開けた。すかさずぬるりと舌が入ってくる。舌はベルの口の中を、水音を立てて楽しんで出ていった。
「んあ……」
ベルの口の端から涎が垂れ、熱い吐息が漏れる。それと同時に、何だか全身の力が抜けてベルは脱力した。身体に力が入らない。
魔王は後頭部と背中に腕を回し、ベルを支えてやった。
「もし、か……して……」
か細い声が問いかける。
金色の瞳の中で、魔王がにぃっと口角を上げて笑った。
「無力で、すがることしかできない顔だな」
「どう……して……生気、を……?」
「一度拒絶したことをされたとき、貴様がどういう顔をするのか見たかった」
「そういう、ことっ……」
ベルは何とか身体に力を入れ、自分を支えてくれていた魔王の手から転がり出た。ベッドに腕を突き、荒い息をして、乱れた髪の間から魔王を睨んでやる。
「どう、ですかニャ? お気に、召しましたでしょうか」
暗い部屋の中でキラリと光る金色の目を見た魔王は至極楽しそうな顔をした。
「悪くない」
ベルは歯を食いしばった。
身体がだるい。頭がくらくらして吐き気がする。貧血で倒れたときのようだ。
(十分に動けない人を見て笑っていられるなんて、この人、やっぱりゲームの中の魔王そのものだ)
冷酷非道な魔王。人を痛めつけることが好きで、何よりも不幸と苦痛に歪んだ表情が好き。ゲームの中の魔王は革命軍に殺されて当然なのではないかと思ってしまうほど、性格の歪んだ人物だった。目の前の魔王もそうだ。実際に会ってみても何も変わりはしない。
この人物がいずれ、この世界を地獄に陥れるのだ。
(とにかく、ここを出ないと……殺される)
ベルは強く拳を握り、ずるずると頭を引きずってベッドから降りた。降りたと言うより落ちたと言った方が良かったかもしれなかった。どしんと音を立てて床に転がったベルは、視界の端に映った扉まで這っていった。
「ずるいですわぁ。わたしもあの子の生気、欲しかったのにぃ」
レチェットが扉を開けて出て行こうとするベルを横目で見ながら甘い声を出した。
「欲しいなら今すぐにでも奪えば良い」
魔王はレチェットの顎を手で掬い、引き寄せた。
「あらぁ。死んでしまっても良いのぉ?」
「構わぬ。ここで死ぬようなやつはいらぬ」
片方の白い手がビビットピンクの太ももを撫で、足を持ち上げる。頭の痺れるような甘い声がレチェットから漏れてきた。ベルは耳を伏せて聞かないようにし、部屋を出て扉を閉めた。
扉を閉めても中の音が聞こえてくる。はちみつのようにとろとろに甘い音。




