魔王城08
*
「あ、ギネ」
食事と入浴を済ませ、部屋まで戻る途中でベルはギネと会った。ギネは螺旋階段の隅に佇み、壁に背を預けていた。
「どうしたの? こんニャところで」
そういえば今日初めてギネを見たなとベルは思った。エルシオンとは朝から顔を合わせている。食堂で食事をとる時間が一緒だからだ。アスガープとレチェットとは昼間に廊下で出くわしている。さすがに魔王とは会っていないが、王である彼がその辺りをうろうろしていることはないはずなので除外した。
「……別に」
ギネは視線を下げてぼそりと呟いた。
「ふーん」
ベルはそれ以上特に構わず、ギネの前を通り過ぎようとした。しかし「おい」と呼び止められ、振り返った。
「ニャに?」
ギネはすぐに続けなかったのでベルは訝しげな顔をした。数秒待って、もう一度声をかけようかと口を開いた時、ギネは言った。
「あんた、もう少し気をつけた方がいいよ」
「ニャにを?」
ベルの眉間にしわが寄る。
「……おれは別に、どーでもいーけど。ここは魔王様の城なんだから、もう少し警戒しといた方がいいんじゃないかって言ってんの」
ギネが黒い瞳で睨んでいる。どうやら心配してくれているらしいのだが、その目つきは心配している者のする目ではない。
「ありがと。心配してくれるのは嬉しいけど、どういう風の吹き回しニャの?」
ベルは自分がギネに嫌われている自信があった。お互い第一印象は悪かったはずで、その後も親しくなるようなことはしていない。純粋にどうしてギネが気にかけてくれるのか疑問だった。
「感謝される覚えはない。心配もしてない。おれは、あんたがあまりにも無防備だから忠告しただけ。……死体を片付けるのは面倒だからね」
ギネは一方的にそれだけを告げると例のごとく空間移動で姿を消してしまった。ベルは何だったのか、と考えながら部屋に帰った。
(そういえば、どうして私は空間移動ができないんだろう。ギネやレチェットは使えるみたいなのに)
ベッドの上に寝転がりながらベルは考えた。二人と自分の違いは何なのかと。そしてふと思い立ち、便利ツールからマップを開いてみた。
(空間移動魔術は空間の把握が大事だ。行ったことがないところに行けないのは距離や場所のイメージが湧かないからだろう。たぶん私は、このマップがあるからどこにでも空間移動できるんだ)
ベルは心の中であ、と呟いた。
開いてみたマップが真っ黒だったのだ。どうやら黒い部分は魔王城の中だけで、中庭には色がついている。
(魔王城の中も歩いているのに、マッピングされていない……。認識していないということになっているのか? 認識をずらされている? ということは誰かが意図的に認識させないようにしているということになる。そんなことができそうなのは……ギネ……? アスガープ? レチェット……いや、たぶんこの場合は……)
考えながら、ベルは寝てしまった。もともと寝付きは良い方で、どこでも寝られるうえに一度目を閉じたら目覚ましが鳴るまで目を開けないタイプだ。それが功を奏しているのか、環境が変わってもベッドに入ればすぐに眠れた。
すうすうと寝息を立てるベル。
夜の闇は深くなっていき、月が傾いていく。
ベッドの脇の影がひと際濃くなり、ぬっと伸びた。細長いシルエットは上体を下げ、ベルの顔を覗き込む。カーテンの隙間から入った月光がその人物の顔を照らし出した。
淡い水色の髪が月光を浴びてぼんやり光って見える。ビビットピンクの肌には長いまつげがつくった影が落ちていた。
レチェットは口元に笑みを浮かべ、ゆっくりと顔をベルに寄せていった。
「……ニャにしてるの」
金色の目が開いた。
「! あらぁ残念。気づかれちゃったわぁ」
レチェットは身を引き、すぐさま足元に穴を空けた。
「また貴女が寝ているときに来るわねぇ」
にこっと笑い、手を小さく振って足元から穴の中に沈んでいくレチェット。逃げ足が速い。
「待て!」
ベルは後先考えずにその穴に飛び込み、レチェットに抱き着いた。
「あぁん! 大胆ねぇ!」
必然的にレチェットの大きな胸に飛び込んでしまうことになった。柔らかい感触がしたが、首が折れるのではないかという衝撃もあった。
「変ニャ声出すんじゃニャい!」
「恥ずかしがらなくていいのよぉ。わたしが全部受け止めてあ・げ・る」
「にゃぶっ」
慌てて顔を仰け反らせたが、レチェットに抱き寄せられてしまい、顔が谷間に埋まった。
「むむ~!」
結構苦しい。おまけに何も見えない。
ベルはレチェットに抱きしめられながら真っ黒な空間をゆっくりと落ちていた。まるで水の中に沈んでいくかのように。
そうして数秒空間の中を漂っていると、レチェットの背中に空間の穴が空いた。ベルは谷間に顔が埋まっていたので見ることができなかったため、身体に重力を感じて初めて異空間から外に出たことが分かった。




