魔王城02
「手は抜かないから」
「私も抜かニャいよ」
ベルは杖を取り出して構えた。
「コスモス・フレイムスター!」
ベルの周りに出来た無数の大きな火の玉がギネめがけて飛んでいく。ギネが掌を向けるといくつかの黒い穴が現れ、火の玉は黒い穴に吸収されて穴もろとも消えた。
「お返し」
ギネが人差し指を立てて誘うように動かした。
「!」
ベルは気配に気づいて振り返り、瞬時に床を蹴って距離を稼いだ。
壁に無数の黒い穴が開き、穴の中から火の玉が飛び出してくる。ギネが移動させたベルの魔法だ。
「スペース!」
ベルも瞬時に空間に無数の穴を開け、再び火の玉を別空間へ逃がした。それから間髪入れずに振り返り、杖を持った手を突き出した。
「……」
「……」
ベルの杖がギネの首に突き出されている。
ギネの真っ黒な手がベルの首に伸ばされていた。
二人はお互いの目を見つめたまま硬直した。どちらも動けない。
パチパチパチパチ……
すると拍手が聞こえ、ベルは目をぱちくりさせて思わず音のした方へ視線を投げた。拍手をしていたのはビビットピンクの肌の女だった。女は胸元の開いた身体のラインがはっきり出る黒いドレスを着ており、腰を振る随分艶めかしい歩き方でベルに近寄ってきた。
「すごぉい! 本当に魔法も魔術も使えるのねぇ。わたし、興奮しちゃった」
「にゃっ!?」
女はベルの首をするりと撫で、腰をくっつけた。突然首を触られて鳥肌が立ったベルは身震いして縮こまった。
「……邪魔しないでよ」
ギネがじっとりと女を睨んだ。しかし女はまるで気にしておらず、楽しそうに笑って頬をベルの頬にくっつけた。女の牛のような赤黒い角がこつんとベルの額に当たった。
「なぁにギネ。羨ましいのぉ? 貴男も混ぜてあげるわよぉ」
女の手がギネに伸びる。ギネは女の手が届く前に身を引いて逃げた。
「あぁん、もうっつれないわぁ。お楽しみはこれからなのにぃ。ね、貴女もそう思うでしょぉ?」
女の黄緑色の瞳がベルを捕らえる。それから女は赤黒い爪の指先でベルの顎を持ち上げ、顔を近づけていった。女の淡い水色の髪がカーテンを作り、唇が、重なる……。
しかし唇は寸でのところで止まった。
「……生命力を吸いとるつもりですかね? それとも魔力?」
女の腹に杖が突き付けられていた。女は長いまつげに縁取られた目を瞬かせ、にっこりと口角を上げて笑った。
「あらぁ。バレちゃったぁ? ちょおっと味見させてもらおうと思ったんだけどぉ、だめ?」
「ダメです!」
腕で押すと女は腕を伸ばして上半身を遠ざけた。しかし腰はくっつけたままである。
「つれないわぁ。ちょっとくらいいいじゃないのぉ」
「嫌です! どうしても欲しいニャらギネのをもらえばいいと思います!」
「何でおれを巻き込むの」
ドンッ
「煩いぞ貴様ら。陛下の御前じゃ」
床を叩く杖の音に続いて怒号が響いた。
魔王の隣に立っていた老人が騒ぎ始めた三人を叱咤した。老人は縮れた白く長い前髪の間から黄色い眼球と黒い瞳を覗かせている。
「十分だ。来い、ベル」
魔王に名前を呼ばれた瞬間、心臓を鷲掴みにされたような感覚がした。
ベルは女の腕の中から抜け出し、再び緊張しながら魔王の前まで歩いた。
「魔法や魔術が使える獣人がいると聞いた時は耳を疑ったが、この目で見た以上、信じる他あるまい」
魔王が目を滑らせるとギネが軽く頭を下げた。
「この世の理を根底から覆す存在になりかねん。興味深い。手元に置いておいて損はない。貴様らもそう思うだろう」
「はい、陛下」「おう、陛下」「えぇ、陛下」
ギネと鎧の男、それから女が答える。
「しかし陛下。この娘、怪しいですぞ。聞けばマンシャムの弟子だとか。あの男は信用なりませぬ。この娘はマンシャムの策略でこの城に潜入した、マンシャムの手先かもしれませんぞ」
老人は訝しい顔でベルを睨んでいる。ベルがすました顔で見返してやると、老人は目を細めた。
「何だアスガープ。己の地位を脅かす存在が恐ろしいか? 一度己の地位を奪ったマンシャムの弟子だからと恐れているのか?」
魔王は面白そうに笑った。老人、アスガープは「そういうわけでは……」とごにょごにょと何かを言ったが、魔王は答えることなくベルを見た。
「貴様に選択肢をやろう。ここで働くか否かだ。至極簡単な選択肢だろう? だが気をつけよ。答えを違えば貴様に未来はない」
青い瞳が冷たく言い放つ。唇は面白そうに笑っているが、表情は笑っていない。
ベルは短い間に思考した。
(この人は怖ろしい。今回だけでなく、少しでも何か気に障ることをしたら殺されるかもしれない。できるなら避けたいところだけど……ゲームの世界のような『魔王が支配する世界』が未来にあるのなら、阻止しなければならない。それができるのは、たぶん、私一人……)
ならば答えは決まっている。
「……ここで働きます。ここに置いてくださいませ」
ベルは頭を下げた。
魔王がにいっと口角を上げる。
「よかろう。存分に使ってやる。ギネ、あれをここへ」
「はい」
ギネが足元に黒い穴を空けて空間移動した。ベルは不思議そうな顔をしてギネが去っていった穴を見つめていた。穴が閉じずにずっと空いているのである。きっとすぐ戻ってくるつもりで空けたままにしてあるのだろうなとベルは思った。
案の定、ギネは一分も経たないうちに戻ってきた。しかし一人ではなかった。傍らに少年を連れていたのである。癖のない黒髪の、先端が青く根元が黒い鬼のような角を持った子だ。
(魔王に似てる……)
ふとベルは思った。見比べてみてもやはり似ている。というより、魔王をそのまま小さくしたような容姿をしていた。もしや、とベルの中にある推測が浮かんだ。
「貴様にはこれの教育を任せる」
「きょ、教育ですか!?」
驚いて思わず声を出してしまった。魔王が機嫌を悪くしたかとヒヤリとしたが、魔王は特に何も感じていない様子だった。代わりに隣のアスガープが不機嫌そうな顔をしていた。
「そのお方は魔王陛下のご子息。いずれは魔王の座を受け継ぐ若君である。くれぐれも粗相のないよう己の身を弁え、心して励むのじゃ」
「わ、若君……」
ベルは目を大きくして少年を見た。
真っ直ぐな黒髪に色の無い白い肌、先端から根元にかけて青から黒に変わっている鬼のような角を持ち、黒い眼球の中には大きめの青い瞳が入っている。整った顔をした、美少年。きっと何年かしたらそっくりそのまま魔王のような男になるのだろう。
美少年は見定めるように上から下にベルを見て、吐き捨てるように言った。
「貴様に教えてもらうことなど何もない」
そっぽを向く子魔王。
(……絵に描いたような生意気なガキ)
ベルは気が抜けて心の中でため息を吐いた。魔王城まで来て、まさか子どもの面倒を見ることになるなんて夢にも思わなかったのである。
こうしてベルは魔王城に住み込み家庭教師として仕えることになったのだった。




