弁護士クロヴィス・クラピソン 第七話
医師のフーリエ博士は学会の用事で不在だったが、診療所にはマナドゥが居た。診療所には他に何人も診療を待っている患者が居たが、マナドゥは少年の怪我を先に診た。
「速やかな処置が必要ですが、ここには助手の手がありません……応援を呼ばなくては」
マナドゥは少年を診察し、率直にそう言った。クラピソンはそれを聞いて一歩前に出る。
「兵役で衛生連隊に居ました。野戦病院に勤めた事もあります。患者を支えたり抑えたりする程度の仕事であれば問題無く出来ます」
「それは……助かります、この処置は速い程いいです。若い患者ですしなるべく後遺症を少なくしてあげたい……ただ、フーリエ先生がモルヒネ嫌いで」
マナドゥが外科手術の準備を始めると、クラピソンは施術台に少年をそっと乗せ、患部の周りの衣服を素早く丁寧に切り開く。彼が衛生連隊に居たというのは本当のようだ。
サリエルは少年の顔の近くに居て、しきりに声を掛けていた。
「大丈夫よ、マナドゥ先生は大変な名医ですのよ。きちんと良くなりますわ」
「あ……足を切り落としたりしないでおくれよ……御願いだよ……」
少年はサリエルにすがるような声で泣きつく。クラピソンがそれに応える。
「戦場ではそういう事もある。だけどここはカトラスブルグで、今の所は平和だ。外に大勢の負傷兵が待っていたりしないし、君の足を切り落とす必要は無いが。自分の意志に反しそういう処置を施される人々が居る事を忘れてはならない」
サリエルは少し驚き、クラピソンの方に顔を上げる。サリエルは今、とても痛くて、大層不安であるに違いない少年に、少しでも気を楽にして貰おうと声を掛けていたのに。この男は何故そんな話をするのだと思った。
しかしクラピソンは、真顔でサリエルを見返す。
「貴女は待合室に行きなさい。もう施術が始まる」
「私はマナドゥ先生の救急救命講座を履修していますわ。女の身で出しゃばるつもりはありませんが、二人よりは三人の方がいいと思います」
マナドゥも要領よく外科施術の準備を進めながら、口を挟む。
「そうですね……サルヴェールさんなら御手伝い頂いた方がいいと思います。ここには笑気麻酔しか無いので。サルヴェールさんには患者への声掛けを、そちらの紳士には施術助手を御願い致します。さて……少し急がないと」
◇◇◇◇◇
フーリエ博士の診療所の顧客は裕福な者が多い。フーリエがそれを選んでいる訳ではないのだが、名医と評判のフーリエの所にわざわざ遠くから馬車で来る患者となると、自然と経済力のある者に限られるようになる。
待合室に居るのも概ねそんな富裕層の患者で、大概は診察順を後回しにされた事に不満を漏らしていたのだが。
「ぎゃああああああああ! やめて! いやだ! びゃあああああああ!」
診察室から聞こえて来る迫真の悲鳴は、そんな患者達を黙らせるには十分だった。
「死ぬ! やめて! 殺さないで! でゃああああああああ!」
◇◇◇◇◇
手術はマナドゥの事前の見立て通りの時間に終わった。その後片付けを手伝いながら、サリエルは思う。マナドゥ先生は温厚で、優し過ぎるくらい優しい男性だが、手術となると話は別なのだなと。切らないでと哀願し泣き叫ぶ年端も行かぬ少年の体を、眉根一つ動かさず、手際よく刃物で切り開くマナドゥの姿は、下手をすれば悪魔のそれに見えなくもないと。
「ひでえよ……おいらが何をしたって言うんだ。痛ぇし気持ち悪りぃし最悪だ」
勿論、手術は成功したようだし、出血量も少なく、患者は今も手術についての恨み事をブツブツ言うくらい元気だ。マナドゥは外科医としても優秀なのだろう。
そんなマナドゥは診察記録の記述をしていたが。クラピソンの方も、自分の鞄の中から数枚の便箋を取り出し、何かを書き込んでいる。
「マルコ・シメオン……職業は機械技師見習い、馬車に轢かれた時も仕事の途中だったのだね?」
「そうだよ……親方のお使いが……どうしよう、親方に怒られる」
「君の雇用主には私から事情を説明する。そのお使いの内容について聞かせて欲しい。急ぎのお使いかね? 君がお使いを中断した事で誰がどんな損をする?」
少年……シメオンは手術をしたばかりの人間としては元気な部類であったが、それにしても、たった今脚を切り開かれ骨にボルトをつけられた人間である。
「あの……この子に今あれこれ聞くのは気の毒なのでは……」
「今聞いておかないと不都合な事も多いのだ。長い戦いになる事は覚悟しているが。マルコ。お使いの事について私が聞いているのは、あの馬車を急がせていた無法者共から、君が怪我をした分の慰謝料と、君が怪我をして仕事が中断したせいで君の雇用主が損をした分の慰謝料を取る為なのだ。君がさっきしていた仕事は? 薬局に? マグネシウムと硝酸カリウムを買いに行っていたと……」
クラピソンはマルコの口元に耳を近づけ、聞き取った言葉を便箋に記述して行く。
サリエルは、少し遠慮がちに尋ねる。
「あの」
「……何かね」
「クロヴィスさん……貴方は弁護士で、私を捜していたとお聞きしましたが」
「うん。その通りだ」
「それとは別に……その子、マルコの為に……お仕事をなさるんですか?」
クラピソンは一旦シメオンの方に視線を向ける。笑気麻酔が切れつつあるのだろうか。少し疲れの色が濃くなって来た。
「マルコ君、また後で聞こう。今は休んでくれ、ありがとう」
クラピソンはそう言って立ち上がり、マナドゥの方に向き直る。
「マナドゥ先生。マルコ・シメオンの医療費は私が立て替えます。私は今、彼の弁護士になりました。手術代も入院費も私に請求して下さい」
マナドゥは小さく溜息をつく。
「解りました。私も出来るだけ御協力します。とりあえず診察記録の写しを作りましょう……しかし……バイヤール家を訴えるのですか?」
「それは解りません。バイヤール家が賠償を拒むのなら訴訟をする事になりますが。示談で目的を達成出来れば理想的だと思います」
サリエルは記憶を手繰る。
バイヤール家はカトラスブルグから少し離れた町の名門で、爵位は男爵だ。
カトラスブルグはこの地方の中心都市なのでバイヤール家の馬車がここに居た事は珍しい事ではない。
バイヤール家の当主は、何年か昔に一度見た……あれはいつ、どんな席だっただろう。そうだ、ストーンハート屋敷だ。
オーギュスト伯爵が主催する、何かの式典……その時自分は十三歳くらいだったろうか。そこにバイヤール家の当主もやって来る事になった。
バイヤール家の当主は、話に聞いていた範囲ではオーギュスト伯と同じくらいの年という事だった。
それでオーギュスト伯爵のような素敵な紳士が来るのを期待していたら、やって来たのはヒキガエルを擬人化したような背が低く横幅の広い男だった。
「これは何とも可愛らしいメイドさんだ、何故ここで働いておられる?」
当時、無神経にもそんな事を聞かれた……サリエルのバイヤール家への個人的な印象は決して良くない。
世間的にはどうなのだろう。かつての封建領主で長い歴史を持つ名門貴族なのだとは思う。彼らの資産は昔ながらの小麦畑と田舎の立派な城、そして先程見掛けたような居丈高な家臣達。
シメオン少年に治療費や慰謝料を払うくらいの財産は問題なく持ち合わせているとは思うが。そういう人種が、簡単に市井の一市民に謝罪と補償をするものなのだろうか。
サリエルはそこでようやく、自分も仕事中であった事を思い出す。
「あの……私もお嬢様に買い物を頼まれていたのでしたわ。それも、私もマグネシウムと硝酸カリウムを買いに薬局へ……」
サリエルが少し慌てた様子を見せると、マナドゥは悪戯っぽく笑った。
「ふふ、また叱られてしまいますね。ここはもう大丈夫です、ありがとうございました、落ち着いたらまたお礼に伺います。さあ、お急ぎ下さい」
「先生! 滅多な事をおっしゃらないで下さい、お嬢様が鞭を振り回すのは愛情表現ですのよ……いけない、私まで余計な事を」
マナドゥもサリエルも笑顔でそんな話をしていたのだが、書類を片付けていたクラピソンは、それを見ていなかった。
「……貴族が平民を踏みつけて平然としていられる。そんな時代は終わった」
クラピソンの呟きは、たまたま大路を通り掛かった馬車の警笛に掻き消され、誰の耳にも届かなかった。
「サルヴェールさん。貴女には後程連絡させていただきます。私はまず事故の事を警察に届けないといけない」




