第2話
一時限目が始まってから、すでに15分ほど経っている。
それなのに、いまだに担任が教室へやってこない。
担任が朝のホームルームに遅れてくること自体は、別に珍しいことでもない。
でも、一時限目が始まっても何の連絡もないなんてことは、今まで一度もなかった。
どうやら、担任が来ていないのはうちのクラスだけではないらしい。
隣のクラスの学級委員が、担任が来ていないのが自分のクラスだけなのかを確認するため、わざわざこちらの教室までやってきたほどだ。
そして、うちのクラスの学級委員と二人で職員室へ状況を確認しに行ったのが、今から10分ほど前。
担任がやってこないどころか、確認に行った学級委員さえ戻ってこなくなってしまった。
「さすがに遅すぎない?」
「確かに遅いな」
「職員室で何かあったのかな」
「何かって?」
「え? うーん……犯罪者が襲ってきたとか」
「考えすぎだろ。朝の職員会議が長引いてるだけだと思うぞ」
「それなら、会議が長引いてるから自習しとけ、みたいな放送が流れそうじゃない? 学級委員の子も戻ってこないし」
確かに、金村の言うことはもっともだった。
担任も来なければ放送もない。
それどころか、職員室へ向かった学級委員まで戻ってきていない。
この状況を普通だとは、俺も思わない。
それでも、そこまで焦るような状況だとも思っていなかった。
あと数分もすれば、学級委員と担任、もしくは一時限目の担当教師が戻ってきて、何事もなかったかのように授業が始まる。
そんなふうに楽観的なことを考えていた、そのときだった。
突然、教室のスピーカーから、とんでもない音量で叫び声が響き渡った。
「全校生徒の皆さん、すぐに逃げてください! 殺人鬼に殺されてしまいま、う、うわあああ!」
叫び声の主は、うちのクラスの学級委員だった。
あまりにも悲痛なその声に、教室にいた誰もが言葉を失う。
そして――
学級委員とは違う、低い男の声がスピーカーから流れてきた。
「この放送を聞いてる諸君。今から君たちを一人残らず殺してやる。せいぜい頑張って逃げてくれ。逃げられるのなら、だけどな」
スピーカーからの音声が途切れると、今まで静かだった教室に、生徒たちの絶叫が響き渡った。
廊下は、我先にと教室を飛び出した他クラスの生徒たちであふれている。
そんな中、うちのクラスの生徒たちはパニックになり、どう動けばいいのか分からず立ち尽くしていた。
「みんな、私たちも逃げなきゃ! 騒いでてもダメ。こんなときこそ落ち着いて行動しなきゃ!」
騒然としていた教室に、金村の声が響く。
この非常事態でも、金村は冷静に状況を判断していた。
さっきまで不安そうにしていたのが嘘のようだ。
「神崎、どう逃げたらいい?」
「そこで俺に聞くのかよ」
金村が俺に話を振ったことで、クラス全員の視線が俺に集まる。
「……なら、正門は人が集まってるはずだから、俺たちは裏門から逃げよう」
「裏門って、鍵が閉まってるんじゃないの?」
「裏門の鍵は朝のうちは開いてる。職員会議が終わったあとに教頭先生が閉めるんだ。だから、まだ開いてるはずだ」
「そうだったのか。分かった! みんな、行こう!」
金村に代わり、俺がみんなに指示を出す。
クラスメイトたちは俺の指示に従い、裏門を目指して教室を飛び出していった。
「神崎、ありがとう」
「礼なら無事に逃げ切ってからにしてくれ。俺たちも急ぐぞ」
「うん!」
俺と金村も、裏門に向かって廊下を走り出す。
俺たちの教室から裏門までは、それほど遠くない。
他のクラスの生徒たちはみんな正門へ向かっているらしく、廊下を走っていても誰ともすれ違わなかった。
「正門はどうなってるのかな」
隣を走る金村が、不意に呟いた。
「無事に逃げられてるといいけど」
正直なところ、無事に逃げられてはいないだろうと思っている。
正門へ向かうということは、職員室や放送室のある校舎側を通ることになる。
つまり、あの放送で皆殺しを宣言した男が、正門へ向かう生徒たちを待ち構えている可能性が高い。
「待って!」
突然、先頭を走っていた女子生徒が足を止め、俺たちにも止まるよう促した。
「どうした!?」
「裏門に誰かいる」
裏門のほうへ目を向ける。
そこには、一人の男が立っていた。
男は特に慌てた様子もなく、周囲をきょろきょろと見回している。
「お前ら、遅いじゃないか。早く逃げるぞ!」
男は俺たちに気づくと、こちらへ近づきながら声をかけてきた。
「秋山先生!」
近づいてきた男は、俺たちのクラスの担任――秋山先生だった。
みんなが秋山先生と合流できたことに安堵し、再び裏門へ向かって走り出す。
だが――俺は、秋山先生がいるこの状況に違和感を覚えていた。




