第8話 流された樽
「勇者だ! 逃げろ!」
野盗の頭目が絶叫した。
しかし、もう遅い。
勇者は地面を蹴ると、一瞬で吊り橋へ飛び乗った。
「財宝を返してもらう!」
聖剣が閃く。
ザンッ!
先頭の野盗が橋の上に崩れ落ちた。
「くそっ!」
戦士も大斧を振るう。
橋板ごと敵を吹き飛ばし、野盗たちは悲鳴を上げながら川へ落ちていく。
「ぎゃあああっ!」
激流は一瞬で彼らを飲み込んだ。
賢者の雷撃が走る。
「雷帝閃!」
青白い稲妻が橋を駆け抜け、野盗たちは次々と倒れていく。
聖女も回復だけではない。
「神罰!」
光の槍が野盗を貫いた。
頭目は顔を歪める。
「荷物を持て!」
「持てるだけ持って逃げろ!」
数人の野盗が荷車へ飛びつく。
金貨の袋。
宝石箱。
魔剣。
抱えられるだけ抱え、森へ散り散りに逃げ出した。
「待て!」
戦士が追おうとする。
「いや!」
勇者が叫ぶ。
「まずは荷車を確保する!」
吊り橋の上には、かろうじて残った二台の荷車。
これ以上争えば、橋が落ちる危険もあった。
「了解!」
勇者たちは橋を渡り切り、残された荷車を押さえた。
逃げ遅れた野盗たちは最後まで抵抗したが、疲弊した勇者一行の敵ではなかった。
数分後。
橋の上は静まり返る。
「……終わった。」
勇者が静かに剣を納める。
野盗は全て逃げた。
しかし。
周囲には散乱した荷物。
破れた袋。
転がる金貨。
そして、逃げた野盗たちに持ち去られた財宝。
「かなり持っていかれましたね……。」
賢者がため息をつく。
戦士は唇を噛んだ。
「全部は取り返せなかったか。」
聖女は散らばった荷物を拾い集める。
「この宝石は無事です。」
「こちらの魔道具も。」
四人は黙々と荷物を積み直した。
失われた財宝は多い。
それでも二台の荷車は、再びいっぱいになった。
その時だった。
戦士が川を見下ろす。
「……三台目。」
激流のはるか下流。
荷車だったものが、岩にぶつかって砕け散っているのが小さく見えた。
「あそこまで流されたか。」
勇者も視線を向ける。
「回収するか?」
賢者は首を横に振った。
「あの高さです。」
「今から降りるだけでも半日はかかります。」
「しかも激流です。」
聖女も疲れ切った表情を浮かべた。
「私たちも限界です……。」
勇者は目を閉じる。
魔王との六十時間の死闘。
二日間の行軍。
そして野盗との戦い。
体力も魔力も、ほとんど残っていなかった。
「……諦めよう。」
静かに告げる。
「失われた財宝は惜しい。」
「だが、生きて帰ることが最優先だ。」
三人もうなずいた。
誰も反対しなかった。
そして誰一人として――
三台目の荷車に、あの赤子が乗っていたことを思い出さなかった。
勇者たちの記憶は、目の前の戦いと財宝の回収に追われ、完全に抜け落ちていた。
激流に流されたのは、ただ一台の荷車。
その程度の認識しか残っていなかった。
やがて勇者たちは、残った二台の荷車に散らばった荷物を積み替えた。
荷物は増え、一台では運べない。
近くの村で新たに荷車を六台調達し、財宝を分散して積み直す。
合計八台。
長い隊列を組み、王都への道を歩き始めた。
その頃――
誰にも気づかれないまま、一つの樽だけが激流を下っていた。
中には、小さな女の子が静かに眠っている。
その樽が流れ着く先で、彼女の運命は大きく変わることになる。




