第12話 黒猫の導き
クレーム老婆が家を出てから、一時間ほどが過ぎていた。
古びた小屋の中では、小さな女の子が毛布の上で目を覚ます。
「……あぅ。」
辺りを見回す。
誰もいない。
静かな部屋。
やがて、小さなお腹が鳴った。
「おぎゃあああっ!」
元気な泣き声が、小屋中に響き渡る。
しかし、誰も来ない。
老婆はすでに鑑定師とともに王都へ向かう馬車へ乗り込み、赤子のことなど頭から消えていた。
その頃。
村の外れの林から、一匹の小さな黒猫が姿を現した。
生まれて間もないような、小柄な子猫。
金色の瞳だけが、不思議な輝きを放っている。
「ニャー。」
子猫は真っすぐ老婆の小屋へ歩いて行く。
扉の前で立ち止まり、中から聞こえる泣き声に耳を澄ませた。
「ニャ……。」
まるで返事をするように一度鳴くと、今度は村の中へ走り出した。
「今日は天気がいいわねぇ。」
洗濯物を干していた隣家の奥様の足元へ、黒猫がちょこんと座る。
「ニャー!」
「まぁ。」
奥様は思わず笑った。
「かわいい子猫ちゃん。」
子猫はもう一度鳴く。
「ニャー! ニャー!」
そして少し歩いては振り返る。
また鳴く。
「ついて来いってこと?」
奥様が近づくと、子猫は嬉しそうに走り出した。
「ふふっ。」
「案内してくれるの?」
子猫は一直線に村外れへ向かう。
やがて、クレーム老婆の小屋の前で立ち止まった。
その瞬間。
「おぎゃああああっ!」
赤子の泣き声が外まで聞こえてきた。
「えっ?」
奥様は驚いて扉を開ける。
「誰かいるの?」
返事はない。
聞こえるのは赤子の泣き声だけ。
部屋へ入ると、毛布の上で真っ赤な顔をして泣く女の子がいた。
「まぁ!」
奥様は慌てて抱き上げる。
「お腹が空いたのね。」
赤子は泣き続ける。
「待ってて!」
奥様は急いで自宅へ戻り、温めたミルクを哺乳瓶へ入れて再び小屋へ駆け込んだ。
「はい、どうぞ。」
ごく……
ごく、ごく。
赤子は夢中で飲み始める。
「よかった。」
「いっぱい飲みなさい。」
あっという間に哺乳瓶は空になった。
赤子は満足そうに笑う。
「あぅ。」
「かわいい。」
奥様も自然と笑顔になった。
足元では黒猫が丸くなり、安心したように目を閉じている。
「ありがとう、子猫ちゃん。」
「教えに来てくれたのね。」
黒猫は小さく、
「ニャ。」
とだけ鳴いた。
奥様は改めて部屋を見回す。
誰もいない。
食べ物もない。
赤子だけが置き去りだった。
「……ちょっと待って。」
「なんでクレーム婆さんの家に赤ちゃんがいるの?」
嫌な予感がした。
「あの人……どこからか攫ってきたんじゃないでしょうね。」
もちろん真実は違う。
しかし事情を知らない奥様には、そう思えてしまった。
「こんな所へ置いておけないわ。」
奥様は赤子を優しく抱きしめる。
「うちで預かるからね。」
赤子は安心したように奥様の胸で眠り始めた。
黒猫は満足そうに立ち上がる。
そして誰にも気づかれぬまま、ふっと姿を消した。
その頃。
街道では王都行きの大型馬車が走っていた。
ガタゴト……
荷台には鑑定師とクレーム老婆。
「王都は遠いのかい。」
「三日ほどです。」
「褒美、たくさん出るかねぇ。」
「まだ分かりません。」
老婆は褒美のことばかり考えていた。
家に赤子を置き去りにしたことなど、きれいさっぱり忘れて。
馬車はゆっくりと王都へ向かって走り続ける。
一方、魔王の娘は――
優しい隣人の腕の中で、穏やかな眠りについていた。




