第8話「静寂の制裁と崩れる野望」
重厚な扉の前に立つ。
扉の向こうから荒い呼吸音が漏れていた。
リリアはためらいなくノックをする。
乾いた音が三回響いた。
「誰だ。ザガンか」
室内から男の震える声が響く。
リリアは答えない。
木製の取っ手に手をかける。
鍵はかかっていなかった。
扉をゆっくりと押し開ける。
部屋の奥に巨大な机が置かれている。
その陰に中年の男がうずくまっていた。
派手な貴族の衣装を着ている。
頭髪は薄く顔は脂ぎっていた。
彼は手にした小さな短剣を震わせる。
リリアの姿を捉えると目を丸くした。
「子供。なぜこんなところに子供がいる」
彼は立ち上がろうとして足をもつれさせる。
机の角に腰をぶつけて顔をしかめた。
リリアは無言で部屋に足を踏み入れる。
扉を後ろ手で静かに閉めた。
カチャリと冷たい金属音が鳴る。
男は短剣をリリアに向けた。
「近寄るな。衛兵を呼ぶぞ」
リリアは足を止めない。
ゆっくりとした歩みで男に近づく。
その足運びには隙がなかった。
男の目に恐怖の色が浮かぶ。
彼は目の前の幼女が放つ異様な冷気に当てられていた。
『小悪党の末路ね』
リリアは机の前に立つ。
男の震える手から短剣を軽く弾き飛ばす。
刃が床に落ちて澄んだ音を立てた。
男は悲鳴を上げて床に尻餅をつく。
リリアは懐から書類の束を取り出した。
夜の街でバルドから奪った裏帳簿だ。
それに加えて館の書斎で見つけた手紙の束もある。
ザガンとの密約が記された証拠品だ。
彼女はそれらを机の上に放り投げる。
羊皮紙が滑る音がした。
男の視線が書類に釘付けになる。
彼の顔から血の気が引いた。
「そんなばかな。それは燃やしたはずだ」
リリアは冷ややかな瞳で男を見下ろす。
怒りも憎しみもそこにはない。
ただ汚れた虫けらを見るような目だった。
彼女は男の首元へ顔を近づける。
冷たい吐息が男の肌に触れた。
「これであなたの野望は終わりよ。大人しく罪を償いなさい」
声のトーンはどこまでも平坦だ。
男は首を激しく横に振る。
「待て。金ならいくらでも払う。私を見逃してくれ」
リリアは男の言葉を無視した。
彼の首の後ろにある急所を指先で突く。
意識を刈り取るための的確な一撃だ。
男は白目を剥いた。
糸が切れた操り人形のように床に崩れ落ちる。
いびきをかき始めた。
リリアは証拠の書類を机の目立つ場所に並べ直した。
領主軍が踏み込めばすぐに気づく配置だ。
◆ ◆ ◆
窓の外から歓声が聞こえてきた。
正門の方角からだ。
ザガンが消滅したことで魔物の統率が崩れたのだろう。
冒険者たちが魔物を押し返し始めている。
彼女は窓枠に足をかけた。
夜明け前の冷たい風が頬を撫でる。
空の東側がわずかに白み始めていた。
リリアは街の屋根へと跳躍する。
影のように滑らかに移動する。
誰の目にも留まることなく館を後にした。
足取りは羽のように軽い。
彼女の帰るべき場所は決まっている。




