第13話「雪解けの音と芽吹く命」
長い冬が終わろうとしている。
屋根に積もった白い雪が輪郭を崩し始めていた。
軒先から溶けた水が滴り落ちている。
地面のぬかるみが跳ねる小さな音が一定の間隔で響く。
冷たい風の中に微かな春の匂いが混ざっていた。
湿った土と新しい草の青臭い香りだ。
リリアは孤児院の裏庭に立っていた。
分厚い上着を脱いで身軽な格好になっている。
彼女の足元には黒い土が広がっていた。
雪が溶けて水分をたっぷりと含んでいる。
春の種まきに備えて土を返す作業が必要だった。
リリアは木製のクワを手に取る。
柄の表面は長年の使用で滑らかに削れている。
手のひらにぴったりと馴染む感触があった。
彼女は足を肩幅に開く。
重心を深く沈めた。
腕の力ではなく腰の回転を利用して土を掘り起こす。
重い金属の刃が湿った土に深く突き刺さる。
腕の筋肉が滑らかに収縮した。
土の塊がごくりと裏返る。
古い根や石が混ざった土の断面が空気に触れた。
前世で人を殺めるために鍛え上げた身体操作だ。
今はただ命を育むために使われている。
彼女は無心でクワを振り下ろし続けた。
額に薄っすらと汗がにじむ。
冷たい春風が火照った肌を撫でていく。
呼吸は乱れていない。
心臓の鼓動も静かで規則正しいリズムを刻んでいた。
「リリア。少し休まないかしら」
背後から優しい声が聞こえた。
マリアが木の盆を持って立っている。
盆の上には湯気を立てる木の実のお茶が載っていた。
リリアはクワを止める。
柄を土に突き刺して体を起こした。
呼吸を整えてからマリアの方へ振り返る。
太陽の光がマリアの銀色の髪をきらきらと照らしている。
彼女の表情は穏やかで満ち足りていた。
「ありがとうマリア」
リリアは土で汚れた手を布で拭く。
木の盆から温かい陶器の茶碗を受け取る。
指先からじんわりと熱が伝わってきた。
お茶を一口すする。
香ばしい風味が口の中に広がった。
乾いた喉が潤っていく。
マリアはリリアの隣にしゃがみ込んだ。
掘り起こされた黒い土を指先でそっと触れる。
「土が温かくなってきたわ。今年はたくさん野菜が育ちそうね」
マリアの目は未来への希望に満ちていた。
孤児院の借金は消滅した。
冬を越すための食料も十分にある。
悪徳貴族や魔族の脅威も去った。
街は活気を取り戻している。
リリアはお茶の入った器を両手で包み込んだ。
彼女の視線が庭の隅へ向かう。
小さな子供たちが雪の残りで遊んでいた。
笑い声が青い空に吸い込まれていく。
平和な風景だった。
この景色を守るために彼女は手を汚した。
闇に潜み他者の命を冷酷に奪い取った。
その事実に後悔はない。
もし再び脅威がこの場所に近づくなら何度でも同じことをする。
彼女の心の中に迷いはなかった。
『これでいいのよ』
リリアは心の中で静かに呟いた。
空を見上げる。
雲の隙間から眩しい陽光が降り注いでいた。
光が彼女の小さな身体を包み込む。
前世の暗い記憶が少しずつ薄れていくのを感じた。




