黒犬
笠原誠を琴子は勝手に黒犬と名付けてた。本人も犬に成りたいと聞いて心で小躍りする。
バイトがバータイムも入るから夜の10時に会うことになった。家は江東区の団地らしい。
「じゃあ、帰り道錦糸町駅使うよね?そこで待ってるよ。」と琴子が言うと驚く。
「そんな遅くにあそこら辺うろついて大丈夫かよ?」笠原が心配する。
「え〜っ、私地元だし大丈夫だよ〜駅の反対側は普通の古い住宅地だよ〜親が江戸切子の職人やってるの。
笠原くんの家がある方は繁華街だからスゴいハデだけどね。どうせバスで団地帰るんでしょ?あっバスが最終の時間か?
いや、オヤジに酒飲まずに待ってろと言っとくよ。家までウチの父が送るから!それで良い?」琴子は本気なのだ。
「なあ?なんで俺なんだ?」深夜10時過ぎに錦糸町のドトールで笠原が琴子に聞く。
「いや、本当にもう耐えられないの!推しに急に手を引かれるのが。
いや、一個人としては無理なんか絶対しなくて良いと思うよ。でも、推しちゃうとね〜ダメージが!
ふとグッズと目が合うだけで喪失感が…この4年間が走馬灯みたいに。」と、言葉を切って本当に琴子が泣き出す。笠原は周りを見てハラハラする。
「笠原くんの生い立ちは知らないけど、言動がこうシビアで嘘偽りなく刺さるんだよね。
こう今の世の中、みな傷つけるのも傷つくのも嫌で言葉選ぶじゃん?
それが処世術だと分かってても、こう腹に黒いものがフツフツと溜まるような…不快感あるんだよね。
それが笠原くんには無いんだよ。
傷付くことも傷付けられることも覚悟して、それでも前に正直にまっすぐ突き進むような。」琴子の説明に笠原が途中から真顔になる。
「…おやじがさ、工事現場で死んだんだ。事故で。
その日からガラッと生活が変わった。まず引っ越して転校して、母はいつも疲れててイライラして。俺もイライラして。
周りは前と何も変わってないのに、俺らだけ別世界に放り出されたみたいに。
そこから、お前ら目を覚ませよ!お前の前にある現実なんか、ある日突然全部変わるんだからな!ってな。
昔の自分に警告する代わりに人にね、トゲトゲしいとは思うけど。」笠原が済まなさそうな顔をする。
「良いんじゃない?猿の集団だって経験値高い猿が必ずグループには居て、警告音出すんだよ。
それでグループがこれから何が起こるかを察知するんだよ。多分、私が感じる不快感は、経験値高い猿が近くに居ないから、不安で不快になってるんだよ。
生き残るには、経験値高い猿の警告音聞ける環境にいる者だけが生き残れるだし。
タイタニックに船が沈んだ経験者いれば、もっとすぐに対応できて氷山と衝突しなかったかもしれない。
アナタは同世代で貴重な経験してるから、私が推したくなるじゃない?」と答えた。
笠原はしばらく考えているようだった。
「…そうだな。周りに毒吐いて敬遠されてるより、もっと沢山の奴に嫌われに行くか?
何より金が稼げそうだ。そこで稼げたらバイト減らせるし。まだ1年だから何とかなってるが、ゼミ始まればもっと大学に居ないと単位が取れない…挑む価値はあるか?」笠原がかなり傾いてきた。ココで一押しだ!
「配信者は機材居るんだよ。もし、場所や機材を揃えられないなら私に先行投資させて!」琴子が畳み掛ける。
「なんでそこまで???」笠原が気味悪がる。
「推しを失うツラさなんかアナタには分からないから説明できないよ。
私はもう2度と失いたくないの!ほんとに!」琴子は訴えた。
センスがあるのに漫画の描き方知らない主人に画材一式を揃えてプレゼントしました…そんな昔を思い出しながら。




